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2020年09月28日
摩耶夫人410円の分室局和文ローラー印(大阪中央局郵政局内分室)
昭和56年1月20日から封書定形料金が60円になり、書留も350円になったため書留書状の基本料金として発行されたのが「摩耶夫人410円」です。新しい額面であったため全国の郵便局で初日から販売されたため初期使用は多くなります。しかし図柄は不評で翌年昭和57年12月に「色絵藤花文茶壷」が発行されたため、短期間の販売になりその分使用済み収集が難しい切手になりました。
(局の変遷)
・1927年1月16日〜1949年6月30日=大阪中央郵便局 逓信局内分室
・1949年7月1日〜2003年3月31日大阪中央郵便局 郵政局内分室
・2003年4月1日〜2007年7月30日=大阪中央郵便局 北浜東分室
・2007年7月30日〜北浜東郵便局
(局の変遷)
・1927年1月16日〜1949年6月30日=大阪中央郵便局 逓信局内分室
・1949年7月1日〜2003年3月31日大阪中央郵便局 郵政局内分室
・2003年4月1日〜2007年7月30日=大阪中央郵便局 北浜東分室
・2007年7月30日〜北浜東郵便局
2020年09月24日
慶弔切手ハート50円の分室局丸型印(淀川局新大阪駅内分室)
雲水模様の第4次慶弔切手が利用者に不評で、図柄が同じようなため郵便局員でも間違えるといったトラブルが続いたために、第5次慶弔切手として発行されたのが慶事用ハート50円です。明らかに慶弔をイメージとしたデザインになりました。特に50円は結婚式などの招待状に使用されるためデザイン変更は必須だったようです。この分室は、新大阪駅2階に設置され取扱は郵便業務のみで、土・日・休日も営業を行なっていました。
(局の変遷)
・1965年2月1日〜1974年2月28日=東淀川郵便局 新大阪駅内分室(
・1974年3月1日〜2014年2月15日=淀川郵便局 新大阪駅内分室
(局の変遷)
・1965年2月1日〜1974年2月28日=東淀川郵便局 新大阪駅内分室(
・1974年3月1日〜2014年2月15日=淀川郵便局 新大阪駅内分室
2020年09月21日
ニホンジカ10円コイルの分室局櫛型印(久留米局自衛隊内分室)
ニホンジカ10円コイル切手は4種類のコイル切手の販売機(C-4型・B-4型)が完成し(マツ20円・弥勒菩薩像50円赤・新丹頂鶴100円)、東京中央局・麹町局・神田局・大森局・蒲田局へ配備され販売されました。また東京中央局・名古屋中央局・京都中央局・大阪中央局では窓口販売されました。C-4型とB-4型の違いはB-4型は紙幣も使用できました。しかし皮肉なことに発売開始日には該当する郵便料金はなく、多くは郵趣家により使用されています。低額面で印面も明るいことや稀少性から注文消しに多く使用されています。消印は久留米局自衛隊内分室印です。
(局の変遷)
・1950年10月21日〜1951年9月30日=久留米郵便局 訓練所内分室
・1951年10月1日〜1952年10月14日=久留米郵便局 予備隊内分室
・1952年10月15日〜1954年6月30日=久留米郵便局 保安隊内分室
・1954年7月1日〜1990年4月29日=久留米郵便局 自衛隊内分室
(局の変遷)
・1950年10月21日〜1951年9月30日=久留米郵便局 訓練所内分室
・1951年10月1日〜1952年10月14日=久留米郵便局 予備隊内分室
・1952年10月15日〜1954年6月30日=久留米郵便局 保安隊内分室
・1954年7月1日〜1990年4月29日=久留米郵便局 自衛隊内分室
2020年09月17日
弥勒菩薩像50円赤の分室局和文ローラー印(名古屋中央局柳橋分室)
弥勒菩薩像50円赤は色検知式郵便物自動取り揃え押印機に対応するため、弥勒菩薩像小豆を改色して発行された切手です。この色検知方式は赤、黄、緑、シアン、青、マゼンダの6色を検知可能で色別に郵便物を仕分けできることから、赤色は速達用として検知されるように速達用切手は赤色になっています。この切手は新金魚7円、新キク15円、新はにわの馬65円とともに実用実験用として昭和42年は京浜地区と都内南部の局で先行半ばされています。消印は名古屋中央局柳橋分室の和文ローラー印です。
2020年09月14日
観音菩薩像350円の分室局櫛型印(札幌中央局丸井内分室)
観音菩薩像350円は昭和51年1月の郵便料金改正に伴い、同年6月に定形書状書留用の額面として発行されました。その間約4か月間は弥勒菩薩像50円緑と興福寺仏頭300円を2枚貼って対応していたのでしょう。あまりにも不便なため発行された訳です。小包にも該当額面があり使用されています。その後昭和56年1月の郵便料金改正で書留加貼り料金に該当するため平成元年の消費税導入まで発行されました。消印は昭和53年の札幌中央局丸井内分室印で書留で使用されたものと推測されます。
(局の変遷)
・1950年6月1日〜1959年6月14日=札幌郵便局 丸井内分室
・1959年6月15日〜1990年5月9日=札幌中央郵便局 丸井内分室
・1990年5月10日〜=札幌丸井内郵便局
(局の変遷)
・1950年6月1日〜1959年6月14日=札幌郵便局 丸井内分室
・1959年6月15日〜1990年5月9日=札幌中央郵便局 丸井内分室
・1990年5月10日〜=札幌丸井内郵便局
2020年09月10日
平成切手メジロ50円の分室局丸型印(広島中央局東白島分室)
前回に引き続いて郵政局内分室の消印ですが、今回は局名を改称した分室です。2003年4月の郵政公社発足に伴い郵政事業庁や郵政局は無くなることから関連の名称を持つ郵便局と分室は改称されました。広島中央局郵政局内分室も東白島分室へと変わりましたが約1年後に廃止され、代替として広島白島郵便局が日本郵政公社中国支社内に移転設置されました。この分室は注文消し以外ではめったに見かけません。
(局の変遷)
・1944年8月6日〜1949年9月14日=広島駅前郵便局 広島逓信局内分室
・1949年9月15日〜1958年10月31日=広島駅前郵便局 郵政局内分室
・1958年11月1日〜1964年4月19日=広島郵便局 郵政局内分室
・1964年4月20日〜2003年3月31日=広島中央郵便局 郵政局内分室
・2003年4月1日〜2004年3月29日=広島中央郵便局 東白島分室
(局の変遷)
・1944年8月6日〜1949年9月14日=広島駅前郵便局 広島逓信局内分室
・1949年9月15日〜1958年10月31日=広島駅前郵便局 郵政局内分室
・1958年11月1日〜1964年4月19日=広島郵便局 郵政局内分室
・1964年4月20日〜2003年3月31日=広島中央郵便局 郵政局内分室
・2003年4月1日〜2004年3月29日=広島中央郵便局 東白島分室
2020年09月07日
旧前島密1円の分室局櫛型印(松山中央局通信局内分室)
ヤフオクなどのオークションでは時々、昭和40年代の旧前島密1円の注文消しによる櫛型印満月を見かけます。当時の切手で最も安価で消印が映えるもので1円だったのではないでしょうか。2円秋田犬や3円旧ホトトギス、4円ベニオキナエビスでは印面が暗い、基本的にはハガキ額面以上ではないと押印が受付出来ないことになっていますが、多くの局では応じていたと推測されます。消印は松山中央局通信局内分室の櫛型印、今となっては注文消しではないと入手は困難です。郵政局の分室は郵政民営化とともに廃止されています。
(局の変遷)
・1944年8月6日〜1949年7月15日=松山郵便局 逓信局内分室
・1949年7月16日〜1967年5月31日=松山郵便局 郵政局内分室
・1967年6月1日〜1989年7月2日=松山中央郵便局 郵政局内分室
・1989年7月3日〜=松山宮田郵便局
(局の変遷)
・1944年8月6日〜1949年7月15日=松山郵便局 逓信局内分室
・1949年7月16日〜1967年5月31日=松山郵便局 郵政局内分室
・1967年6月1日〜1989年7月2日=松山中央郵便局 郵政局内分室
・1989年7月3日〜=松山宮田郵便局
2020年09月03日
1985年「国際職業訓練競技大会」の分室局櫛型印(名古屋中央局第二豊田ビル内分室)
今回も前回に引き続いての記念切手への分室櫛型印です。この名古屋中央郵便局第二豊田ビル内分室ですが、櫛型印も和文ローラー印も当時のキロボックスでも、平成になってからかなり見かける分室です。現在ではシンフォニー豊田ビルになっていますが、駅前立地で柳橋分室同様に特殊郵便の取り扱いが多かったのが理由でしょう。
(局の変遷)
・1955年11月1日〜1973年12月9日=名古屋中央郵便局 豊田ビル内分室
・1973年12月10日〜2012年10月9日=名古屋中央郵便局 第二豊田ビル内分室
(局の変遷)
・1955年11月1日〜1973年12月9日=名古屋中央郵便局 豊田ビル内分室
・1973年12月10日〜2012年10月9日=名古屋中央郵便局 第二豊田ビル内分室