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2016年03月22日

第39回 青鞜






文●ツルシカズヒコ



 九月十三日、明治天皇の大喪の礼が帝國陸軍練兵場(現在の神宮外苑)で執り行われた。

 乃木希典と妻・静子が自刃したのは、その日の夜だった。

 野枝がらいてうから送ってもらった旅費で帰京したのは、「伊藤野枝年譜」によれば九月の末だが、秋たけなわというような「日記より」の文面やサボンの旬は十月ぐらいからなので、野枝の帰京は十月末ごろだったのではないだろうか。

 野枝は結局、まわりの人間を諦めさせたのであろう。

 末松家との協議離婚交渉に当たったのは代準介だった。


 再び、代とキチは上京し、ノエの説得を試みるも、結果、翻意ならず、代はノエの気性を知悉しており、元の鞘に戻す事を諦める。

 代はけじめをつけるために、腹にさらしを巻き、紋付袴の正装で末松家を訪れる。

 大喪の最中であり、「姦通罪」で訴えるのも時節柄破廉恥であると説き、これまでの学費費用や結納金ほか諸費用を倍返しする。

 男の面子を潰したのであるから、当然である。

 末松家は受け取らぬという。

 そこを代は三拝九拝して受け取ってもらう。

 心にねじり鉢巻をしての謝罪だった。


(矢野寛治『伊藤野枝と代準介』)


 末松福太郎と野枝の協議離婚が正式に成立したのは、一九一三(大正二)年二月十一日だった。

 紀元節で「よき日」だったからだ。

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『青鞜』一九一二年十月号(第二巻第十号)の「編輯室より」には、「新に入社せられし方……伊藤野枝」とあり、野枝が青鞜社員になったことを告げている。

『青鞜』の「芳舎名簿」には「伊藤野枝 福岡県三池郡二川村濃瀬(ママ) 阪(ママ)口方」とある。

 二川(ふたかわ)村大字濃施(のせ)は、野枝の叔母・坂口モトの婚家で渡瀬(わたぜ)駅前で旅館を営んでいた。

「芳舎名簿」は名古屋市在住の青鞜社員・青木穠(じょう)が書き写した青鞜社の名簿。

『青鞜』十一月号(第二巻第十一号)には野枝の詩「東の渚」が載った。


 矢野寛治『伊藤野枝と代準介』は「東の渚」は野枝が今宿の郵便局に勤務していたころの心情だと見ているが、『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下)』は、野枝が「結婚問題の整理に故郷へ帰ったとき、海を見ながら涙を流したという、ひとときを歌ったもののようです」と解釈している。

「東の渚」の末尾に「一〇、三」とあり、つまり十月三日時点で野枝はまだ今宿にいたのであろう。

 とすれば、「東の渚」はらいてうの解釈が妥当だと思える。

 野枝は後に『大阪毎日新聞』に「雑音」(サブタイトルはーー「青鞜」の周囲の人々「新しい女」の内部生活」)を連載(一九一六年一月三日から断続的に同年四月十七日まで)するが、「雑音」は一九一二(大正元)年晩秋から一九一四(大正三)年ごろまでの『青鞜』の内部を描いている。

「雑音を書くに就いて」(『定本 伊藤野枝全集 第一巻』)によれば、野枝が青鞜社に入社し内部でらいてうの手伝いをするようになったのは、一九一二(大正元)年十一月からだった。

 当初は「青鞜社への誤解をときたい」という執筆動機があったが、それは捨てて、「自伝をかくと同じやうな心持で……自分の大事な記録としてかきたいと云ふ風に考へ」、自他ともに「私の良心が許すかぎり正直にかざりなく書きたいと思つてゐます」と書いている。

 らいてうは野枝の生活の援助も考慮していたが「十円ほどのお小遣いを上げるのが、当時の青鞜社ではやっとのこと」だったという。





 ……生き生きした、いつも生命力にあふれるような姿を見せるようになり、紅吉、哥津、野枝の三人は、三羽烏といった格好で、社内を賑わすようになりました。

 なにがおもしろいのか、三人寄ればキャッキャッと笑い声が上がり、哥津ちゃんも野枝さんも、紅吉のふっくらとした大きな手で背中をよくぶたれていたものです。

 ……こうして野枝さんが加わってから、編集室の空気はいっそう活気づいたものとなり、わたくしは心ひそかに野枝さんを将来有望な人として見守っていたのでした。

 実際面であまりあてにならない紅吉と違って、野枝さんはいちばん若いにかかわらず、役に立つ人として、社内のだれからも親しまれてゆきました。

 紅吉のように、複雑で、わからない部分をもっている人でなく、打てば響くという実践的なところが、一番年下のこの人を頼もしく思わせたのでしょうか。


(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下)』)





 小林哥津は明治の浮世絵版画家、小林清親の五女。

 仏英和女学校(現・白百合学園)在学中に、『青鞜』発起人のひとり木内錠子(ていこ)に誘われ社員になった。

 背が高く浅黒いきりっとした顔、浅草育ちの哥津は東京の下町娘といった風情で、書くものにも下町趣味が色濃く出ていた。

 原稿を取りに来た哥津を田村俊子がこう描写している。


 素足で、白飛白(かすり)に帷子(かたびら)を着て 濃い勝色繻子と黄色つぽい模様の一寸見えたものと腹合せの帯を小さく貝の口のやうにちよいと結んで、洋傘を開いて……。

 美人だの、美しいのと云ふよりは美い容貌と云ひ度いやうな顔立をしてゐる。

 細おもてゞ顔が緊つて、鼻がほそく高くつて、眼がぴんと張りをもつて、険を含んでいる。

 江戸芸者の俤(おもかげ)を見るやうなすつきりした顔立ちだつた。


(田村俊「お使ひの帰つた後」/『青鞜』一九一二年九月号・第二巻第九号)


 尾竹紅吉は日本画家、尾竹越堂の長女。

 紅吉の叔父たち竹坡、国観も日本画家で紅吉は名門尾竹一族の愛娘だった。

 大阪の夕陽丘女学校を卒業後、東京菊坂の女子美術学校に入学したが中退。


女子美術学校2 ※尾竹紅吉2

※尾竹紅吉3ーー中山修一著作集2『富本憲吉とウィリアム・モリス』(紅吉関連写真


●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 18:12| 本文
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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
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