2016年08月05日

第315回 幸子






文●ツルシカズヒコ



 さて、大杉には五人の妹と三人の弟がいたが、ここで整理してみたい。

 栄(一八八五年生・一九二三年没)

 長妹・春(一八八七年生・一九七一年没)/中国・北京在住。三菱商事北京支店長・秋山いく禧・いくぎと結婚。※『定本 伊藤野枝全集 第三巻』解題(書簡・柴田菊宛て・一九二二年十一月二日)

 次妹・菊(一八八八年生・一九八一年没)/アメリカ在住。柴田勝造と結婚。

 長弟・伸/のぶる(一八九〇年生・一九二二年没)/中国・漢口在住。三菱商事漢口支店勤務。

 三妹・松枝(一八九三年生・一九五八年没)/中国・天津在住。軍の通訳書記官・牧野田彦松と結婚。

 次弟・勇(一八九四年生・一九四六年没)/横浜在住、電気会社の技術者。

 末弟・進(一八九七年生・一九八〇年没)/神戸在住、電気会社の技術者。

 四妹・秋(一八九八年生・一九一六年没)

 末妹・あやめ(一九〇〇年生・一九二九年没)/アメリカ・ポートランド在住。レストラン料理人・橘惣三郎と結婚。

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 四妹・秋は日蔭茶屋事件で縁談が破談になり自殺したので、この時点で大杉には四人の妹と三人の弟がいた。

 七人の弟、妹のうち五人がアメリカと中国に住んだのは、官憲の監視を避けたからだという(大杉豊「大杉栄を受けとめた弟妹と娘たち」/『新日本文学』二〇〇三年九月・十月号)。

 ちなみに『日録・大杉栄伝』の著者、大杉豊は大杉勇の子息である。

 一九二〇(大正九)年の七月下旬、大杉の長弟・伸と、三妹・牧野田松枝が鎌倉の大杉宅を訪れた(『日録・大杉栄伝』)。

 大杉の長妹・春の夫は三菱北京支店長をしていたが、伸はその伝手で三菱漢口支店に就職していた(「大杉栄を受けとめた弟妹と娘たち」※以下、特に資料を提示していない伸と松枝に関する記述は『日録・大杉栄伝』と「大杉栄を受けとめた弟妹と娘たち」を参照)。

 天津在住の松枝は、天津で軍の通訳書記官をしていた牧野田彦松と結婚していた。

 伸は社用で帰国すると大杉の家によく来ていたので、このときは伸と松枝が一緒に帰国し、大杉の家を訪れたようだ。

 大杉は安谷に伸をこう紹介した。


『僕のとこの変り種で、こいつ一寸違ってるんだ、何だか薬や歯磨きなどを仕入れてシナからモウコの奥に行くんだって、歯磨きや仁丹で大概の病気が治るので、珍しい石とか毛皮など貰って来ると云ふんだ、何だか面白いじゃないか!』

(安谷寛一「晩年の大杉栄」/『展望』一九六五年九月・十月号)





 伸と松枝は大杉宅に二、三日滞在し中国に戻った。

 そして大杉家から生後七ヶ月の次女・エマの姿も消えた。

 松枝の来訪はエマを養女に貰いたいという懇望のためだった。

 大杉と野枝は、結婚後九年、子供がいない松枝に同情してしぶしぶ承諾した。

 松枝は喜び、大杉と野枝の気持ちが変わらないうちに、エマを連れてすぐに中国に帰ったのだった。

 安谷は野枝と次女・エマの別れについて、こう書いている。


『エマ、もう今日あたり連絡船に乗るわネ』

 野枝さんが思い出してポツンとそんなこと云った。

 このママ平気かなと思っていたが、やっぱり気になっていたらしい。


(同上)





 エマは八月、「幸子」と改名され牧野田夫妻の養女として入籍された。

 大杉はエマの改名についてこう書いている。


 ……第二の女の子は、其の母親によつて、エマと呼ばれた。

 が、此の子は、生れると直ぐに、僕の妹の一人に殆んど搔つさらはれて行つて、さち子と云ふ飛んでもない名に変へられて了つた。


『二人の革命家』序・アルス・一九二二年七月/『労働運動』三次六号・一九二二年八月に一部省略して掲載/日本図書センター『大杉栄全集 第7巻』)





 牧野田幸子(結婚後、菅沼幸子)は天津の小学校卒業後、静岡英和女学校に入学。

 幸子の寄宿先は、アメリカから帰国して静岡市に在住していた叔母・柴田菊(大杉の次妹)の家だった。

 幸子が生みの親のことを知ったのは、静岡英和女学校の学生時代だったという。


 私が両親のことを知ったのは、十五歳の時だった。

 その家の洋間の本棚には、『大杉栄全集』『伊藤野枝全集』などが並んでいた。

 ある日、従妹と、その洋間でおしゃべりをしていた。

「話に聞いていた物書きの叔父さんて、この人なのね。何が書いてあるのかねェ」と言いながら、パラパラ頁をめくると、家族の写真の斜め上に、丸く囲まれて、なんと私の写真がある。

 おかしい、なんの間違いかと、次の頁を繰ると、系図が出ていた。

 その中に、長女魔子、次女幸子とあった。

 もう疑いようのない事実に、一瞬は胸を衝かれたが、父も母も、すでに亡き人達のことでもあり、「それはそれで」と心の中に呟いて、そうだったかと納得のようなかたちで、隅っこに押しやった。

 それより何より、従姉と信じていたマコが、姉だったことの喜び、妹が二人もいる。

 今宿には祖父母もいた。

 そして兄たち二人も現われて、嬉しさの方が大きかった。


(菅沼幸子「伊藤野枝 はるかなる存在のひと」/『いしゅたる』十号・一九八九年二月/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』「月報1」・二〇〇〇年三月)





 幸子が手にしたのは『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・一九二五年十二月)である。

 幸子は実母についてこう記している。


「あんたのママはお産しても、翌日から腹這いになって原稿用紙に向い、赤ん坊が泣こうが、おむつが濡れようが、夢中になって何か書いていた人だった。いよいよ、あんたを連れて出発する日、東海道の国府津まで送ってきて、そこで下車し、汽車がゴトンと動いたとたん、あんたのママは、大声をあげて泣き出した」、と養母は話していた。

 生後一年目の写真を養母が送ると、あの忙しい母から、白羽二重の生地に鶴と松の模様の日本刺繍を、自分で刺した写真立てが送られてきた。

 それが長い間、箪笥の上に飾られていたのを覚えている。

 その後、えんじ色の絹にこまかい梅の花模様の、綿入れの被布と長着が、やはり自分で手縫いして送られてきた。

 日本のおいもを「幸ちやん」に食べさせてやって、という手紙と一緒に、さつま芋がたくさん届き、その手紙も後に見せてもらった。

 そんな風で、泣きわめく赤ん坊にもかまわず、原稿用紙に向っていた母親も、遠くへ手離した親心というのは、はるばるとこうしたかたちに、”母の想い”を託していた様子である。


(同上)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
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