2020年06月26日
怒りという感情について
今日、新しい概念?といいますか、考え方を教えてもらったのでブログにも書いておこうと思います
何かというと、怒りという感情についてのお話でした。
まず、私の怒りという感情は、基本的に表に出さないことを徹底しています。
それは、周りに嫌われたくないということではなく、怒りという感情をコミュニケーションとして使いたくないからです
新人の頃、私を教育してくれた先輩はそれはそれは怒りを周りにぶちまける人でした。
人にも物にも当たり散らして、影でのあだ名は狂犬だった程です
その先輩だけが私の考え方に影響したわけではないですが、いい大人が何ともみっともない…と思ったものです。(本人を前にしたら怖いので絶対に言えませんが)
それと周囲への悪影響が酷い。本人が怒っているだけならいいのですが、その空気が周りを委縮させてしまいます。
当時、仕事の環境としてはギスギスしていて何とも息苦しさがありました。
何ともネガティブな事ばかり書いてしまいましたが、とりあえず怒りにはいい思い出はありません
そんな感じで時は立ち、今は私が先輩の立場になっているのですが、新人君の教育以外でも結構仕事を振られていっぱいいっぱいになってしまうことが多いと思っていたのですが、その理由が私が怒らないことにありそうなのです
怒ることの目的は、例えば相手を支配したり、優位に立ちたい、なめられたくないなどもありますが、自分が限界であることを伝える為にもしばしば用いられます。(自分を守るための防衛本能)
確かに、思い返せば私も限界に来た時にはブチギレたこともあります
話が脱線しましたが、相手が怒っているということはその人は限界ですよというのがぱっと見で分かる状態ということです。
私は、振られた仕事はなるだけやってあげたいという考えもあり、周りから見ると仕事も断らないし怒らないしまだまだいけるんだなと思われているということ。
今後は、周りの人たちを信用して、もっと出来ないことは出来ないと言っていくべきだと決心した1日でした
もっと怒っていこうということではなく、相手に自分の限界をうまく伝えていく方法を身に着けることが大切だと考えます。
怒りに頼らず、周りにもっと自分の状態をうちあげようと思います。
何かというと、怒りという感情についてのお話でした。
まず、私の怒りという感情は、基本的に表に出さないことを徹底しています。
それは、周りに嫌われたくないということではなく、怒りという感情をコミュニケーションとして使いたくないからです
新人の頃、私を教育してくれた先輩はそれはそれは怒りを周りにぶちまける人でした。
人にも物にも当たり散らして、影でのあだ名は狂犬だった程です
その先輩だけが私の考え方に影響したわけではないですが、いい大人が何ともみっともない…と思ったものです。(本人を前にしたら怖いので絶対に言えませんが)
それと周囲への悪影響が酷い。本人が怒っているだけならいいのですが、その空気が周りを委縮させてしまいます。
当時、仕事の環境としてはギスギスしていて何とも息苦しさがありました。
何ともネガティブな事ばかり書いてしまいましたが、とりあえず怒りにはいい思い出はありません
そんな感じで時は立ち、今は私が先輩の立場になっているのですが、新人君の教育以外でも結構仕事を振られていっぱいいっぱいになってしまうことが多いと思っていたのですが、その理由が私が怒らないことにありそうなのです
怒ることの目的は、例えば相手を支配したり、優位に立ちたい、なめられたくないなどもありますが、自分が限界であることを伝える為にもしばしば用いられます。(自分を守るための防衛本能)
確かに、思い返せば私も限界に来た時にはブチギレたこともあります
話が脱線しましたが、相手が怒っているということはその人は限界ですよというのがぱっと見で分かる状態ということです。
私は、振られた仕事はなるだけやってあげたいという考えもあり、周りから見ると仕事も断らないし怒らないしまだまだいけるんだなと思われているということ。
今後は、周りの人たちを信用して、もっと出来ないことは出来ないと言っていくべきだと決心した1日でした
もっと怒っていこうということではなく、相手に自分の限界をうまく伝えていく方法を身に着けることが大切だと考えます。
怒りに頼らず、周りにもっと自分の状態をうちあげようと思います。
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