2009年03月07日
世はつれずれ
昨日は曇っていたが温かい朝、配達は途中から上着を脱いでしまいましたがいい汗をかける陽気になりました。昨日は浄水器のカートリッジの梱包発送の予定だったが浄活水器の問い合わせがあり急きょ資料と見積もりを作る必要があり中断となってしまった。最近は環境の問題からか「水」について考える方が多くなってきています、実はボトルクーラーについて検討する必要があって調べましたが、これはなかなか好評なようです、しかし我が家の場合はすべてこれで対応しようとすると経費がかかりすぎ、現状はパスしていますがその代りに「セルゲンミネラルウオーター」なるものを飲んでいます、これですと初期投資は必要だがあとは年一回のカートリッジ交換だけで浄水されて天然ミネラルを添加された水を飲むことができます。朝起きがけにこの水で顔を洗ってコップに2杯ごっくん、お湯・料理は100%利用で夜の焼酎割も最高です、このせいかなあ、ちと飲みすぎのためか昨年は名誉の?「メタボ予備軍」ともなり、トホホ、これについては前にも書きこんでいるがつらいですね、今も何とか進めていますがやっと57kgが視野に近づいてきたというところです、何せ妻の料理が多いもんだから・・年齢の差がこんなところにしわ寄せになってしまって、年齢が高くなると基礎代謝が少ないのが原因と思うが、やはり運動量が足りないということになりますね。今年こそはもう少ししっかりと体を動かしてっと、また「鳥になってみるかな」と気持ちだけはあるんだがこの不景気では先立つものがねえ、なんとかしたいんだが・・・。「あの日に帰りたい」と思う事は年取ったということになるのかもしれませんね。私の両親は母は98歳で健在、父は74歳だっかな、そういえば昨日は父の命日でした、職業軍人であった父は怪我のために太平洋戦争時には除隊していたがいつも存在感がありました。子供のころは戦争中の話を聞かせてほしかったがほとんど話してくれることはありませんでした、しかし中国戦線までいき、空母赤城にも乗船していたらしく、相当苦労したせいなのかもしれないですね。終戦後は母の実家でもある岩手県に疎開していたために東京の状況が分からず、他の人の連絡を待っていたら出遅れてしまって、私たちはどん底の生活を送ることとなりましたが苦労したまま旅立ったわが父でしたが、我が人生の師として尊敬している一人です。やはり自分が師として認めた人がいる人は救われますね、確かに「あんたにそんな事まで言われなくてもいいよ」と「独立独歩」もいいかもしれません、しかし人生は「山あり河あり」「困った時はお互いさま」ではないかと思います、私なんて自分ひとりの考えでは何もでけん、だから人の話を聞く、「な〜るほどそれも一理あるじゃん」「おれの考えもいいけど、それと一緒にすればよりいいじゃんか」と、時には「風見鶏」と言われたこともあったかも、けれど「読書」から人間形成をすることも結果は同じじゃないかなあ。そんな生き方をして早61年を過ぎちゃいました、思えば30歳前半までは逃げるばかりの人生でした、思い返すと不思議です、そんな人生観が変わったきっかけは、当時勤めていた会社の社長に「○○くん、君はこれからどうしたいんだ」の質問、う〜〜ん困ったなあ、なんもないなあ、あっそうそうあの資格取りたいと思ってたっけ、あれを言っておこう「はい、僕はこれから高圧工事士の資格を取って電験の資格を取りたいと思います」「そうかあ、それは言いことだね、がんばりなさい」私の人生はここが本当のスタートだと思っています。困った時、苦しい時、必ずここに戻るんです、私はいい経験を積んできたと感謝しています。しかしこれも健康であるからこそ、今やっている健康食品のネット販売もスタートはまずは自分で試して人に薦められるもの、ということがきっかけ、今の不況は生活費を得ることだけでもなかなか厳しいですができることならば年相応に自分でできる社会への奉仕もそろそろ考えていければとは考えているんですが・・パソコンで小金持ち、いいねえ!?
セーブ・ザ・チルドレン
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