2018年06月30日
世界1周の旅 :アジア編 B【ネパール】神々の領域ーここへ来た意味
A voyage round the world : Asia Edition B Region of Gods ーThe reason of why I came here 【February 2011】
サランコットから見る夜明け Watching dawn in Sarankot
それは、言葉にできない瞬間だった。想像していたよりも遥かに高い場所、まさに雲の上にゆっくりと姿を現したヒマラヤ山脈は、神々しいとしか表現できない。別世界の扉が開いたような気がした。人が侵してはならない神域がこの世界には確かにあるのだ、と思った。
世界がまだ闇の中にある早朝5時半集合のはずが45分まで待たされ、ガイドのミスター・ラメスの車でサランコットという山頂へ朝日を拝みに行く。エリちゃんは5時集合と言われたらしい。相変わらずいい加減な人たちだ…。
年季の入った車に揺られること30分、ヒマラヤを望む絶景ポイント、サランコットに到着。
途中、暖かそうなオレンジ系の民族衣装姿で川から水を汲んでいる老女を見かけた。
こんな高地にも人が住んでいるのだ。
狭い駐車スペースに車を止めると「ここからは歩き。ボクはここで待ってるから、いってらっしゃ〜い!」とラメス氏は満面の笑みで手を振った。
眠い目をこすりながら人々の列に混じってエミちゃんと山道を登ること15分、薄暗がりの中にサランコットの展望台が見えてきた。
しかしまだ暗すぎてどちらが東かもわからない。
山の上は予想以上に冷える。
昨日大判パシュミナ・ストールとスパッツを買っておいて良かった。
よく考えたら(よく考えなくてもわかるだろ〜!)日本より緯度が低いといってもネパールはヒマラヤの麓なのだ。
セーターにウィンドブレーカーだけでは凍えるのも当然、ここでは絶対にダウンコートが要る。
隙間もないほど大勢の人が展望台(といっても丸い円形の階段状になった台があるだけで屋内ではない)に集まった頃、うっすらと世界が朱に染まり始めた。
それと気付かない速度でゆっくりと周囲が明るさを取り戻していく中、北の方角に山々の稜線が浮かび始める。
徐々に高度を上げた太陽の光が当たり、白く輝き始めるアンナプルナ連峰。
「マチャプチャレ(魚の尾)」と呼ばれるひときわ尖った峰を持つ山は、地元民に崇拝される神聖な山として今でも登山が禁止されている。
雪を戴く山々の中でマチャプチャレがくっきり見えるようになっても、まだ太陽は山の上に全貌を出し切ってはいない。
太陽の放つ光とは、なんと偉大な力だろう。死者の世界も、こんな光と静寂に満ちているに違いないと思えた。
私はこの国に、この景色を見るために来たのだ、とわかった。
何枚も写真を撮ったが、そこに真実は写り込まない。
自分の胸にしかこの神秘に満ち溢れ、祝福された景色は残らないと感じ、目に焼き付けようと思いながら立ち尽くしていた。
ポカラで食べる Eat in Pokhara
フェワ湖の対岸、小高い山の上に日本山妙法寺という寺がある。
エリちゃんと二人、嬉々として登ったこの山から眺めるヒマラヤ山脈はまさに絶景。
空の中に浮かぶ天界を垣間見ているようで溜息しか出ない。
世界の壁は途方もなく高いので、湖を囲む山々の二倍以上高い位置にあり、雪を被った白い峰が空に浮かんでいるようにしか見えない。
完全に人間界からは切り離されているのだ。
一人だと夜の外出は控えてしまうのだが、その夜はエリちゃんに誘われ地元のレストランへ出かけることに。
ネパールでは夜はほぼ停電するので、レストランなどは自家発電で灯りを点けている。
当然薄暗いが、イベント並の音量で流される音楽とストリップ・バーを連想させる色とりどりの電球がまたいかがわしくて、なかなかオツだった(笑)。
エリちゃんは誰に話しかけられても明るく偏見なく接するとても素直ないい子だった。
フォーのような麺料理を注文し、地ビールで乾杯して、シリアで2年間海外青年協力隊員として働いていたという中東好きの彼女からこれから行く予定のヨルダン情報を聞いたり、世界一周旅行の話で盛り上がる。
こうして、偶然出会った旅好きの頼もしい連れとの楽しい一夜は更けて行った。
旅の意味 The meaning of this journey
たった2泊のポカラ滞在が終わり、翌日からはエリちゃんとは別行動。
午前の飛行機でカトマンドゥへ戻るためラメス氏の車で空港へと向かう途中、車窓に見えたポカラの家並みは、戦後の日本を思わせた。
トタン屋根の今にも崩れそうな粗末な家が肩を寄せながら建っており、最下層の人々の暮らしを想像するには充分だった。
搭乗までの待ち時間を、バカ高いのは世界共通の空港カフェでネパール・ティーを飲みながら過ごす。
130ルピー(日本円で130円、でもネパールでは高いのだ!)もしたが、ポットサービスだったから、まぁいいか。
ポカラの、滑走路一本という小学校の校庭かと思うほど小さな空港からも、天空に浮かぶヒマラヤ山脈がきれいに見えた。
と思ったのだが、写真の中の彼は複雑な表情をしている。
私が何のために彼の写真を撮ったのか理解に苦しむ、といった顔だ。途端に自分の取った行為が恥ずかしくなった。
私はこの時、ノートにこんな書き込みをしている。
「旅に出るといつもどこかで考える。私は一体ここで何をしているのだろう、と。旅に出た意味がわからなくなるのだ。形のない、でも今の自分にとって必要な何かを探して旅に出るのは皆同じだろう。だが今回の私の旅は今までとは全く違う。もう38、世界一周などという年齢ではない。若いなら当てもなく異国の街を一日ふらつくだけで何かを得られる。しかし38ともなると、もはや心ときめかすものも少なく、疲れを感じることの方が遥かに多い。」
サランコットから見る夜明け Watching dawn in Sarankot
それは、言葉にできない瞬間だった。想像していたよりも遥かに高い場所、まさに雲の上にゆっくりと姿を現したヒマラヤ山脈は、神々しいとしか表現できない。別世界の扉が開いたような気がした。人が侵してはならない神域がこの世界には確かにあるのだ、と思った。
世界がまだ闇の中にある早朝5時半集合のはずが45分まで待たされ、ガイドのミスター・ラメスの車でサランコットという山頂へ朝日を拝みに行く。エリちゃんは5時集合と言われたらしい。相変わらずいい加減な人たちだ…。
年季の入った車に揺られること30分、ヒマラヤを望む絶景ポイント、サランコットに到着。
途中、暖かそうなオレンジ系の民族衣装姿で川から水を汲んでいる老女を見かけた。
こんな高地にも人が住んでいるのだ。
狭い駐車スペースに車を止めると「ここからは歩き。ボクはここで待ってるから、いってらっしゃ〜い!」とラメス氏は満面の笑みで手を振った。
眠い目をこすりながら人々の列に混じってエミちゃんと山道を登ること15分、薄暗がりの中にサランコットの展望台が見えてきた。
しかしまだ暗すぎてどちらが東かもわからない。
山の上は予想以上に冷える。
昨日大判パシュミナ・ストールとスパッツを買っておいて良かった。
よく考えたら(よく考えなくてもわかるだろ〜!)日本より緯度が低いといってもネパールはヒマラヤの麓なのだ。
セーターにウィンドブレーカーだけでは凍えるのも当然、ここでは絶対にダウンコートが要る。
隙間もないほど大勢の人が展望台(といっても丸い円形の階段状になった台があるだけで屋内ではない)に集まった頃、うっすらと世界が朱に染まり始めた。
それと気付かない速度でゆっくりと周囲が明るさを取り戻していく中、北の方角に山々の稜線が浮かび始める。
徐々に高度を上げた太陽の光が当たり、白く輝き始めるアンナプルナ連峰。
「マチャプチャレ(魚の尾)」と呼ばれるひときわ尖った峰を持つ山は、地元民に崇拝される神聖な山として今でも登山が禁止されている。
雪を戴く山々の中でマチャプチャレがくっきり見えるようになっても、まだ太陽は山の上に全貌を出し切ってはいない。
太陽の放つ光とは、なんと偉大な力だろう。死者の世界も、こんな光と静寂に満ちているに違いないと思えた。
私はこの国に、この景色を見るために来たのだ、とわかった。
何枚も写真を撮ったが、そこに真実は写り込まない。
自分の胸にしかこの神秘に満ち溢れ、祝福された景色は残らないと感じ、目に焼き付けようと思いながら立ち尽くしていた。
ポカラで食べる Eat in Pokhara
フェワ湖の対岸、小高い山の上に日本山妙法寺という寺がある。
エリちゃんと二人、嬉々として登ったこの山から眺めるヒマラヤ山脈はまさに絶景。
空の中に浮かぶ天界を垣間見ているようで溜息しか出ない。
世界の壁は途方もなく高いので、湖を囲む山々の二倍以上高い位置にあり、雪を被った白い峰が空に浮かんでいるようにしか見えない。
完全に人間界からは切り離されているのだ。
雲ひとつない青空の中に浮かぶヒマラヤ山脈は滅多に見られるものではないので君たちはラッキーだ、と後でラメス氏に言われた。 晴れ女冥利に尽きる。 ツアー終了後エリちゃんと別れ、ランチのために入ったカフェで初めてダルバートを食べた。 ダルバートとはネパールの定食のようなものでカレー味のダル(豆スープ)とバート(ご飯)に野菜と漬物がダルバート専用の一枚のお皿に盛られて出てくる。 |
飲み物はネパール・ティー(スパイスの効いた濃い紅茶にミルクたっぷりのいわゆるチャイ・ラテ)が一般的。 ネパール・ティーは美味しくて私好みだったが、ダルバートは量が多すぎて残してしまった。 |
一人だと夜の外出は控えてしまうのだが、その夜はエリちゃんに誘われ地元のレストランへ出かけることに。
ネパールでは夜はほぼ停電するので、レストランなどは自家発電で灯りを点けている。
当然薄暗いが、イベント並の音量で流される音楽とストリップ・バーを連想させる色とりどりの電球がまたいかがわしくて、なかなかオツだった(笑)。
エリちゃんは誰に話しかけられても明るく偏見なく接するとても素直ないい子だった。
フォーのような麺料理を注文し、地ビールで乾杯して、シリアで2年間海外青年協力隊員として働いていたという中東好きの彼女からこれから行く予定のヨルダン情報を聞いたり、世界一周旅行の話で盛り上がる。
こうして、偶然出会った旅好きの頼もしい連れとの楽しい一夜は更けて行った。
旅の意味 The meaning of this journey
たった2泊のポカラ滞在が終わり、翌日からはエリちゃんとは別行動。
午前の飛行機でカトマンドゥへ戻るためラメス氏の車で空港へと向かう途中、車窓に見えたポカラの家並みは、戦後の日本を思わせた。
トタン屋根の今にも崩れそうな粗末な家が肩を寄せながら建っており、最下層の人々の暮らしを想像するには充分だった。
搭乗までの待ち時間を、バカ高いのは世界共通の空港カフェでネパール・ティーを飲みながら過ごす。
130ルピー(日本円で130円、でもネパールでは高いのだ!)もしたが、ポットサービスだったから、まぁいいか。
ポカラの、滑走路一本という小学校の校庭かと思うほど小さな空港からも、天空に浮かぶヒマラヤ山脈がきれいに見えた。
カフェといってもボーイは格安航空会社のカウンターで受付をしてくれたのと同じどう見ても15,6歳の少年で、どうやら彼が全てを一人でこなしているようだった。 チップをもらうためならフォト・サービスも喜んで、とばかりにヒマラヤ山脈をバックに笑顔で私のカメラに収まってくれた。 |
と思ったのだが、写真の中の彼は複雑な表情をしている。
私が何のために彼の写真を撮ったのか理解に苦しむ、といった顔だ。途端に自分の取った行為が恥ずかしくなった。
私はこの時、ノートにこんな書き込みをしている。
「旅に出るといつもどこかで考える。私は一体ここで何をしているのだろう、と。旅に出た意味がわからなくなるのだ。形のない、でも今の自分にとって必要な何かを探して旅に出るのは皆同じだろう。だが今回の私の旅は今までとは全く違う。もう38、世界一周などという年齢ではない。若いなら当てもなく異国の街を一日ふらつくだけで何かを得られる。しかし38ともなると、もはや心ときめかすものも少なく、疲れを感じることの方が遥かに多い。」
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