2020年04月18日
祖国の父カルロス・マヌエル・デ・セスペデス生誕201年 キューバ
カルロス・マヌエル・デ・セスペデスの銅像
Radio Habana Cuba、2020年4月18日、PL
キューバはきょう、生誕から2世紀が過ぎた祖国の父、カルロス・マヌエル・デ・セスペデスを、キューバの歴史上もっとも偉大な人物の一人、独立に向けた戦いの創始者として、回想する。
カルロス・マヌエル・デ・セスペデスは今からちょうど201年前、キューバ東部の都市バヤモで生まれた。その裕福な地位にもかかわらず、1868年10月10日、自身の奴隷を解放し、スペイン植民地体制と戦うことを決意した。
弁護士のセスペデスは、キューバにおける革命プロセスの起源となる十年戦争(1868年〜1878年)の最中、1869年4月12日から1873年10月27日まで、キューバ共和国の初代大統領だった。
セスペデスは大統領就任に際して、スペインの富を破壊し、その経済基盤を弱体化させることにより、最終的に国家主権を掌握するため、キューバ東部から西部への侵攻で全土へ戦いを広げるための戦略を描いた。
この戦いは、失敗したものの、反植民地的性格を持ち、独立と同時に、奴隷制度の完全撤廃を実現するため、改革派や併合論者たちの思想に反対する政治運動を擁護していた。
セスペデスは1873年の大統領解任後、キューバ東部のシエラ・マエストラにあるサン・ロレンソ農場に幽閉され、そこで2か月後、スペイン軍の急襲により負傷する。
セスペデスはこんにち、祖国の父として回想されている。自身の末息子への処刑宣告の知らせを聞き、もし息子を救いたければ武器を捨てろと脅迫されたとき、セスペデスはこう言った。オスカルは私の唯一の息子ではない。私は革命のために死んでいったすべてのキューバ人の父親である、と。
Cuba evoca natalicio de Carlos Manuel de Céspedes, Padre de la Patria
http://www.radiohc.cu/noticias/cultura/220151-cuba-evoca-natalicio-de-carlos-manuel-de-cespedes-padre-de-la-patria
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