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2018年07月04日

ユミルカ・ルイス 「先生が私の腕を救った」 フランク・パイス病院での思い出を語る

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ユミルカ・ルイス

Radio Rebelde、2018年7月4日、Rodolfo Durán Almeida記者

バレーボール選手ユミルカ・ルイスは、ジャーナリストで作家のエデルベルト・サンチェスが書いた本「エル・マゴ・ケ・カジョ・デル・シエロ」(天から降ってきた魔術師)で証言者となった選手の一人だった。この本が先日、コマンダンテ・マヌエル・ファハルド身体文化大学の講堂で発表された。

1947年ハバナ生まれの著者は、この作品のために、30人を超える選手たちにインタビューし、そこからキューバ医学、主にフランク・パイス病院の(専門医ロドリゴ・アルバレス・カンブラス率いる)整形外科医療チームのプロフェッショナリズムについての彼らの感謝、尊敬の感情や批評を収集した。

五輪二連覇(1996年アトランタ、2000年シドニー)のユミルカ・ルイスは、キューバスポーツ殿堂入り選手の一人であり、エデルベルトのインタビューを受けることになった彼女は、「先生が私の腕を救った。」、と断言した。

「あれは1999年のことだった。私は重傷を負って、右腕を手術しようとしていた。カナダのウィニペグでのパンアメリカン大会にいたときで、私たちは金メダルを取れなかった。その大会が終わったあと、私はフランク・パイス病院の先生と彼の医療チームが施してくれた治療のおかげで回復できた。」、とユミルカは語った。

「私のその負傷はとんでもない痛みを伴っていて、私は髪をとかすにも腕を上げられない状態だった。でもそこで受けた治療のおかげで、私はスポーツキャリアを続けることができ、シドニー五輪に出場し、私にとって二度目の王座についた。」、と回想した。

「エル・マゴ・ケ・カジョ・デル・シエロ」の発表会においてユミルカは発言の機会を求め、バレーボール女子チームの名において語った。

「私たちは数多くの歴史を抱えているが、私たち皆は、「ラス・モレーナス・デル・カリベ」(カリブの褐色)の名において、先生に感謝し、あの時代を彼と共にした医療チームの皆に感謝するのみだ。人が彼について話すとき、それはまるで私たちがエウヘニオ・ジョージ監督について話しているときのようだ。」、と語った。

1978年5月カマグエイ生まれのユミルカは、キューバ代表として15年間にわたり活躍し、何度も最優秀アタッカーに選ばれた。その中でも2008年の北京五輪は際立っており、この大会は現在のところキューバ女子最後の五輪出場となっている。

書籍発表会でのユミルカ・ルイスのコメント音声はこちらから。



Yumilka Ruiz: El profe me salvó el brazo
http://www.radiorebelde.cu/noticia/yumilka-ruiz-profe-me-salvo-brazo-audio-20180704/
posted by vivacuba at 19:46| Comment(0) | TrackBack(0) | Deportes
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