2021年10月27日
第五節 天孫降臨の經路 海北道中
【私按、 天孫渡來説は國體を傷つくといふことに就きて】の續き
第三章 天孫降臨
第五節 天孫降臨の經路
高天原の在所既に之を地表上に求むべく、而して天孫降臨の地が、假りに日、肥、豊三國の境上附近にありとすれば、果して如何なる徑路を取りて、天孫の此の地に來り給ひきと信ぜられたりしか。
是當然次に起るべき問題なりとす。
東亞民族南下の情勢
つらつら亞細亞東部に於ける民族南下の情勢を考ふるに、孔子の所謂未開勇猛なる北方の強者が、南方温暖なる好地を求め、黄河の流域なる中原地方に向って其の歩を進むるの事は、志那歴代の史の常に繰り返す所なり。
而して朝鮮半島に於ける民族の遷移、亦實に同一の經過を取れるもの多きを見る。
有史以前の事は考古學の撥達を俟って後決すべく、暫く架空の忖度を避く。
されど其の今日迄に世に知られたる石器時代遺物分布の系統を案ずるに、我が本州の西半、並びに四國、九州等の地方の遺蹟より發見せらるる所の或る種類の遺物は、南は臺灣より、北は朝鮮、滿洲にまでも連絡を有するものの如く解せらるるなり。
是れ蓋し嘗ては同一系統の民族によりて、是等の諸地方が時を同じうして、又は時を異にして、棲息せられたりしことあるを示せるものなるべし。
降りて志那に於ては、殷末に當り、箕子殷の遺民を率ゐて東の方朝鮮に來り、ここに古朝鮮國を建てたりと傳へらるる。
其の事必ずしも信ずべきにあらざらんも、亦以て朝鮮歴史の始原とすべからんか。
後久しくして燕人衞滿東に遷りて、箕氏を逐ひ、箕氏乃ち更に南に遷りて、韓國を建てたりといふ。
是れ今の全羅南北道の地方にして、所謂馬韓の地なりと稱するなり。
然らば朝鮮は、當初漢族によりて建てられたりとなすものの如し。
然れどもこは韓人が志那の文明に憧憬して、祖先を其の賢哲の名に附會せしものか、然らずば漢人が古賢哲箕子の末路を粉飾し、若くは己が民族の勢力を誇張して、唱へ出せし附會説にてもあるべく、韓族は蓋し、古書にて知り得る朝鮮半島最古の住民なるべし。
志那の古代に之を干夷といふ。
彼等もと廣く北部地方にまで蔓延せしが、西北より侵入せる漢族其の地の壓迫によりて、先づ南下するに至りしものなるべし。
かくて衞氏代りて朝鮮に王となりしが、後久しからずして漢の武帝の遠征に遇ひ、其の地遂に漢の郡縣となる。
馬韓の東に秦韓あり、弁辰と雜居す。
今の慶尚南北道の地方なり。
其の國人もと秦の亂を避けて流移し、馬韓王其の東界の地を割いて是に與ふ。
故に秦韓と名づくと稱せらる。
秦韓人漢の樂浪人を稱して阿殘といふ。
我等黨與の遺留者の義なり。
亦以て秦韓人が、自ら漢族たることを覺知せし證とすべし。
蓋し秦人韓の地に入りて、其の土人と混じ、而も自ら漢族を以て任ぜしものならん。
弁辰一に弁韓と稱す。
辰韓と雜居し、習俗頗る相類す。
其の之を分つは、蓋し土着韓人の要素多きに居りしものならんか。
叉別に扶餘族あり、遼東より南下して半島の中部以北に繁延す。
高句麗、沃沮、濊、貊等の族、皆之に屬するなり。
中にも高句麗の族最も勢力あり、遼東の地方より半島の北部に渉りて國を建つ。
其の族の南に遷りて馬韓の地に興れるもの、之れを百濟となす。
是れ實に朝鮮史の語れる古代民族遷移の大要なり。
固より事古代に屬し、載籍不備にして其の委曲を知るを得ざれども、大體に於て朝鮮半島に民族南下の事の屢々行はれたりし事は、到底之を否定すべからず。
而して其の南下して朝鮮半島に在りしもの、他の壓迫により、若くは自ら好地を求めて、更に是れより南下せんには、必ず我が群島國に來らざるべからず。
東亞民族の渡來
應~天皇の十四年秦始皇帝の後と稱する弓月君が、百二十縣の民を率ゐて百濟より我に歸化せりと傳ふる如きは、其の一例なり。
是れ所謂秦人(はたびと)にして、其の部族甚だ多く本邦各地に蕃延す。
彼等は其の自ら謂ふ如く、果して志那秦朝の遺民なりや否やは固より之を確知するに由なきも、ともかく一旦南下して朝鮮半島に居住せしものが、更に大擧して我が皇の徳を慕ひ、好地を求めて我に移民せりと傳ふるものなることは、毫も疑を容れざるなり。
ついで同天皇の二十年には、後漢の靈帝の後と稱する阿知使主(あちのおみ)及び都加使主(つかのおみ)の父子、十七縣の黨類を率いて帯方より來歸す。
帯方は半島に於ける漢人設置の郡なり。
蓋し彼等もと志那より來りて一旦此の地方に居を定め、後更に我に大擧移民せしものと解すべく、之を我が國に於て新漢人(いまきのあやびと)と稱す。
「新(いまき)」は「今來(いまきた)る」にして、新に海外より渡來せる漢族の義なり。
彼等多く大和高市郡に住し、奈良朝末に於てなほ郡民十の八九は此の族なりきといはる。
而して此の郡に嘗て今木(いまき)郡の名あり。
新漢人(いまきのあやびと)の郡の義なり。
其の今來の漢人の名稱に對しては、必ず舊く來れる漢人ありしことを認めざるべからず。
たとへその事古史に見る所なくとも、其の今來の語よく之を證す。
蓋し嘗て其の以前に於て別に漢族の渡來ありし事は、考古學の研究上よりも之を想像し得べきものあるなり。
銅鐸の發見と漢族の渡來
之を遺物遺蹟に徴するに、本邦往々にして銅鐸と稱する一種の銅器を土中より發見する事あり。
其の埋藏の範圍は、近畿を中心として殆ど其の左右數國の域に限られ、其の器は志那三代文化の影響を受けたるものと解すべく、其の製作意匠等、本邦に於て發見せらるる他の古代遺物と殆ど何等の關係を認むるを得ざるものなり。
蓋し太古志那の文化を享得せし一種の民族が、恐らく朝鮮半島より南下して、近畿を中心とせる四近の地方に蕃延し、此の銅器を造りて之を遺留せしものなりと解せざるべからず。
而して其の民族の蕃延の頗る盛なりし事は、銅鐸の發見數の意外に多きによりて察することを得べし。
之を我が古記に徴するに、新羅王子天日槍渡來の傳説あり。
事恐らく~代に屬し、當時未だ新羅國あるなし。
蓋し秦韓人の渡來を意味するものなるべし。
日槍の傳説亦近畿を中心として、其の四邊の地方に存す。
是れ或は古く渡來せる漢族の事蹟を傳ふる片鱗の遺れるものにして、先秦文明の影響を有すると認めらるる銅鐸の如きも、亦是等秦韓渡來の民族によりて、製作せられたるものなりと解せらるるなり。
或は素戔鳴尊の御子~等が、韓ク(からくに)の島より我が大八洲國に渡來し給ひきと傳へ、延喜式に韓國(からくに)の~を祭れる古社の少からず見ゆるが如きも、太古朝鮮より我に來りし民族の、各地に其の蹟を止めし事蹟を反映するものと解すべし。
ともかくも我が古代に於て、朝鮮半島より、又は朝鮮半島を經由して我に來れる民族の、其の數頗る多かりしことは、到底之を認めざるべからず。
而して天孫民族の渡來、亦實に是等と類似の經路を取りしものにはあらざるか。
これ啻に傍例を以て類推すべしと謂ふのみにあらず。
既に言へる如く、我が國語の系統が、朝鮮半島を經て滿洲方面の諸民族と同系の關係を有するが上に、更に其の祖先に關する傳説に於て、又風俗、習慣等に於て、相互の間に少からざる類似の點あるを認め得るによりてなり。
東亞民族の祖先に關する古傳説の類似
高句麗、百濟は共に扶餘族の國なり。
其の高句麗の英主好太王の碑に曰く、「惟昔鄒牟王之創基也、出自北夫餘。
天帝之子、母河伯女郎」と。
我が桓武天皇の御生母高野氏は百濟王家の出なり。
而して續日本紀に之を傳して曰く、「其遠祖都慕王者河伯之女感日精而所生」と。
ここに都慕(つも)王とは、好太王碑に所謂鄒牟王なり。
かくて其の鄒牟王の父が天帝なりといひ、日精なりといふもの、實に我が皇室が日~卽ち天照大~を以て御先祖なりと仰ぎ奉るに類し、彼に其の母を河伯の女なりといふは、我に海~の女なりといふと極めてよく相類せり。
ただ彼は大陸國なるが故に河伯となし、我は海洋國なるが故に海~と爲すの差あるのみ。
而して斯くの如きの傳説は、ひとり高句麗と百濟とのみならず、廣く傍近の諸國の諸民族間にも行はれたりしものの如し。
降臨地名の類似
天孫の降臨給ひし高千穂峯は、一に之を槵觸(くしふる)峯と稱す。
是が類似を朝鮮の開闢説に求むるに、六伽耶國祖の降れる地之を龜旨(きし)峯といふ。
龜旨は卽ちクシにして、フルは韓語村落の義なれば、龜旨(くしぶる)村卽ち加羅國祖降臨の傳説を有する地は、我が槵觸と類似の地名なりとすべし。
高千穂峯又一に添峯(そほりのたけ)ともいふ。
これ亦類似を朝鮮に於て見るを得るなり。
古事記に、素戔鳴尊の御子~なる大年~の子に韓~(からのかみ)、曾富理~(そほりのかみ)あるを云ふ。
百濟の國都泗沘を、亦一に所夫里(そほり)といふ。
共に「そほり」の名に縁あるが如し。
又新羅の都之を徐羅伐(そらぶる)とも、蘇伐(そぶる)ともいふ。
蘇伐は發音ソホリといふに近く、後世訛りて京城をソールといふ。
其の義蓋し王都を意味するなり。
果して然らば我が「そほり」の峯、亦王都の義にてもあるべし。
而して其の斯くの如きは、必ずしも我が古傳説の朝鮮半島に存すといふにあらざるべきも、彼に於て傳ふる所が、我が太古の傳説と相因縁する所あることは、之を認むるに難からざるなり。
風俗習俗の類似
又馬韓の俗、「瓔珠を以て財寶となし、或は以て衣を綴りて飾となし、或は以て首に懸け、耳に垂れ、金銀錦繍を以て珍となさず、五月種を下し訖るを以て鬼~を祭り、群聚歌舞飲酒して晝夜休むなく、其の舞は數十人俱に起ち、相隨ひて地を踏み、手足を低ミして、節奏に相應す。
鐸舞に似たるあり。
十月農功畢らば亦復かくの如し。
鬼~を信じ、國邑各一人を立てて主として天~を祭る。
之を天君と名づく。
又諸國各々別邑あり、之を名づけて蘇塗となす。
大木を立てて鈴皷を懸け、鬼~に事ふ」とあり。
是れ魏志に見ゆるところにして、亦頗る我が古代の俗に類するものあるを覺ゆ。
而して斯くの如きもの、必ずしも悉く暗合とのみ見るべからず。
是れ蓋し我が古俗に類するものが彼の地にも存して、朧氣ながら彼是相因縁するところあるを示すに似たり。
蓋し我が天孫民族と比較的關係深き民族が、古く朝鮮、滿洲等にも存在して、斯くも類似の言語、傳説、土俗等を傳へたるものなるべし。
ひとり言語、傳説、土俗の類似あるのみならず、我が古代の文献の上に於ても、朝鮮地方との關係を説けるもの亦少からざりしが如し。
素戔鳴尊及び其の御子~達の、彼の地に往來し給ひしことを云へるが如きは、蓋し其の傳説の一部分の、たまたま存するものなり。
而も中頃我と朝鮮と、政治上の關係中斷せしより、邦人其の關係を言ふを好まず、隨って記、紀亦多く之に及ばず、桓武天皇の御代に至りて、悉く是等の書類を焼かしめたりと傳へらる。
従って今其の徴證を古書の上に求むべきものは多からずとするも、太古彼此の間に深き因縁のありしことは、到底之を蔽ふべからざるものなるべし。
されば今暫く天孫降臨に關する古傳説を以て、古代の人士が我が天孫民族渡來の事實を語れるものなりと假定して、所謂高千穂の古傳説地の所在に基づき、其の我に來りし經路を地理上に考察せんに、ほぼ古人の思考せし所を推測するに足るものあるが如し。
朝鮮交通の兩路
按ずるに太古朝鮮半島より我に往來するに當りて、普通に經由せし道筋に、凡そ東西兩路ありしものの如し。
東路は則ち鬱陵島、隠岐島等を經るものにして、山陰、北陸方面に到り、西路は則ち對馬島、壹岐島、若しくは越前沖の島等を經るものにして、九州北部に達すべし。
海北道中
朝鮮半島古へ我に於て之を海北と稱す。
日本紀引く所の一書に、天照大~其の生み給へる市杵島姫(いちきしまひめ)命、田心姫(たごりひめ)命の湍津姫(たぎつひめ)命の三女~を以て、筑紫洲(つくしのくに)に天降らしめ、「汝三~道中に降り居まして、天孫を助け奉り、天孫の爲に祭られよ」と教へたまひきとあり。
或は曰く、「三女~を以て葦原ノ中ツ國の宇佐島に降り居(す)ましむ、今海北道中に在り、號して道主貴(みちぬしのむち)といふ」と。
海北道中とは卽ち朝鮮への交通の航路にして、前説に道中とあるもの亦是に同じ。
蓋し是等の三女~は、其の海北との航路を守り給ふが故に、道主貴(みちぬしのむち)の名はあるなり。
第三章 天孫降臨
第五節 天孫降臨の經路
高天原の在所既に之を地表上に求むべく、而して天孫降臨の地が、假りに日、肥、豊三國の境上附近にありとすれば、果して如何なる徑路を取りて、天孫の此の地に來り給ひきと信ぜられたりしか。
是當然次に起るべき問題なりとす。
東亞民族南下の情勢
つらつら亞細亞東部に於ける民族南下の情勢を考ふるに、孔子の所謂未開勇猛なる北方の強者が、南方温暖なる好地を求め、黄河の流域なる中原地方に向って其の歩を進むるの事は、志那歴代の史の常に繰り返す所なり。
而して朝鮮半島に於ける民族の遷移、亦實に同一の經過を取れるもの多きを見る。
有史以前の事は考古學の撥達を俟って後決すべく、暫く架空の忖度を避く。
されど其の今日迄に世に知られたる石器時代遺物分布の系統を案ずるに、我が本州の西半、並びに四國、九州等の地方の遺蹟より發見せらるる所の或る種類の遺物は、南は臺灣より、北は朝鮮、滿洲にまでも連絡を有するものの如く解せらるるなり。
是れ蓋し嘗ては同一系統の民族によりて、是等の諸地方が時を同じうして、又は時を異にして、棲息せられたりしことあるを示せるものなるべし。
降りて志那に於ては、殷末に當り、箕子殷の遺民を率ゐて東の方朝鮮に來り、ここに古朝鮮國を建てたりと傳へらるる。
其の事必ずしも信ずべきにあらざらんも、亦以て朝鮮歴史の始原とすべからんか。
後久しくして燕人衞滿東に遷りて、箕氏を逐ひ、箕氏乃ち更に南に遷りて、韓國を建てたりといふ。
是れ今の全羅南北道の地方にして、所謂馬韓の地なりと稱するなり。
然らば朝鮮は、當初漢族によりて建てられたりとなすものの如し。
然れどもこは韓人が志那の文明に憧憬して、祖先を其の賢哲の名に附會せしものか、然らずば漢人が古賢哲箕子の末路を粉飾し、若くは己が民族の勢力を誇張して、唱へ出せし附會説にてもあるべく、韓族は蓋し、古書にて知り得る朝鮮半島最古の住民なるべし。
志那の古代に之を干夷といふ。
彼等もと廣く北部地方にまで蔓延せしが、西北より侵入せる漢族其の地の壓迫によりて、先づ南下するに至りしものなるべし。
かくて衞氏代りて朝鮮に王となりしが、後久しからずして漢の武帝の遠征に遇ひ、其の地遂に漢の郡縣となる。
馬韓の東に秦韓あり、弁辰と雜居す。
今の慶尚南北道の地方なり。
其の國人もと秦の亂を避けて流移し、馬韓王其の東界の地を割いて是に與ふ。
故に秦韓と名づくと稱せらる。
秦韓人漢の樂浪人を稱して阿殘といふ。
我等黨與の遺留者の義なり。
亦以て秦韓人が、自ら漢族たることを覺知せし證とすべし。
蓋し秦人韓の地に入りて、其の土人と混じ、而も自ら漢族を以て任ぜしものならん。
弁辰一に弁韓と稱す。
辰韓と雜居し、習俗頗る相類す。
其の之を分つは、蓋し土着韓人の要素多きに居りしものならんか。
叉別に扶餘族あり、遼東より南下して半島の中部以北に繁延す。
高句麗、沃沮、濊、貊等の族、皆之に屬するなり。
中にも高句麗の族最も勢力あり、遼東の地方より半島の北部に渉りて國を建つ。
其の族の南に遷りて馬韓の地に興れるもの、之れを百濟となす。
是れ實に朝鮮史の語れる古代民族遷移の大要なり。
固より事古代に屬し、載籍不備にして其の委曲を知るを得ざれども、大體に於て朝鮮半島に民族南下の事の屢々行はれたりし事は、到底之を否定すべからず。
而して其の南下して朝鮮半島に在りしもの、他の壓迫により、若くは自ら好地を求めて、更に是れより南下せんには、必ず我が群島國に來らざるべからず。
東亞民族の渡來
應~天皇の十四年秦始皇帝の後と稱する弓月君が、百二十縣の民を率ゐて百濟より我に歸化せりと傳ふる如きは、其の一例なり。
是れ所謂秦人(はたびと)にして、其の部族甚だ多く本邦各地に蕃延す。
彼等は其の自ら謂ふ如く、果して志那秦朝の遺民なりや否やは固より之を確知するに由なきも、ともかく一旦南下して朝鮮半島に居住せしものが、更に大擧して我が皇の徳を慕ひ、好地を求めて我に移民せりと傳ふるものなることは、毫も疑を容れざるなり。
ついで同天皇の二十年には、後漢の靈帝の後と稱する阿知使主(あちのおみ)及び都加使主(つかのおみ)の父子、十七縣の黨類を率いて帯方より來歸す。
帯方は半島に於ける漢人設置の郡なり。
蓋し彼等もと志那より來りて一旦此の地方に居を定め、後更に我に大擧移民せしものと解すべく、之を我が國に於て新漢人(いまきのあやびと)と稱す。
「新(いまき)」は「今來(いまきた)る」にして、新に海外より渡來せる漢族の義なり。
彼等多く大和高市郡に住し、奈良朝末に於てなほ郡民十の八九は此の族なりきといはる。
而して此の郡に嘗て今木(いまき)郡の名あり。
新漢人(いまきのあやびと)の郡の義なり。
其の今來の漢人の名稱に對しては、必ず舊く來れる漢人ありしことを認めざるべからず。
たとへその事古史に見る所なくとも、其の今來の語よく之を證す。
蓋し嘗て其の以前に於て別に漢族の渡來ありし事は、考古學の研究上よりも之を想像し得べきものあるなり。
銅鐸の發見と漢族の渡來
之を遺物遺蹟に徴するに、本邦往々にして銅鐸と稱する一種の銅器を土中より發見する事あり。
其の埋藏の範圍は、近畿を中心として殆ど其の左右數國の域に限られ、其の器は志那三代文化の影響を受けたるものと解すべく、其の製作意匠等、本邦に於て發見せらるる他の古代遺物と殆ど何等の關係を認むるを得ざるものなり。
蓋し太古志那の文化を享得せし一種の民族が、恐らく朝鮮半島より南下して、近畿を中心とせる四近の地方に蕃延し、此の銅器を造りて之を遺留せしものなりと解せざるべからず。
而して其の民族の蕃延の頗る盛なりし事は、銅鐸の發見數の意外に多きによりて察することを得べし。
之を我が古記に徴するに、新羅王子天日槍渡來の傳説あり。
事恐らく~代に屬し、當時未だ新羅國あるなし。
蓋し秦韓人の渡來を意味するものなるべし。
日槍の傳説亦近畿を中心として、其の四邊の地方に存す。
是れ或は古く渡來せる漢族の事蹟を傳ふる片鱗の遺れるものにして、先秦文明の影響を有すると認めらるる銅鐸の如きも、亦是等秦韓渡來の民族によりて、製作せられたるものなりと解せらるるなり。
或は素戔鳴尊の御子~等が、韓ク(からくに)の島より我が大八洲國に渡來し給ひきと傳へ、延喜式に韓國(からくに)の~を祭れる古社の少からず見ゆるが如きも、太古朝鮮より我に來りし民族の、各地に其の蹟を止めし事蹟を反映するものと解すべし。
ともかくも我が古代に於て、朝鮮半島より、又は朝鮮半島を經由して我に來れる民族の、其の數頗る多かりしことは、到底之を認めざるべからず。
而して天孫民族の渡來、亦實に是等と類似の經路を取りしものにはあらざるか。
これ啻に傍例を以て類推すべしと謂ふのみにあらず。
既に言へる如く、我が國語の系統が、朝鮮半島を經て滿洲方面の諸民族と同系の關係を有するが上に、更に其の祖先に關する傳説に於て、又風俗、習慣等に於て、相互の間に少からざる類似の點あるを認め得るによりてなり。
東亞民族の祖先に關する古傳説の類似
高句麗、百濟は共に扶餘族の國なり。
其の高句麗の英主好太王の碑に曰く、「惟昔鄒牟王之創基也、出自北夫餘。
天帝之子、母河伯女郎」と。
我が桓武天皇の御生母高野氏は百濟王家の出なり。
而して續日本紀に之を傳して曰く、「其遠祖都慕王者河伯之女感日精而所生」と。
ここに都慕(つも)王とは、好太王碑に所謂鄒牟王なり。
かくて其の鄒牟王の父が天帝なりといひ、日精なりといふもの、實に我が皇室が日~卽ち天照大~を以て御先祖なりと仰ぎ奉るに類し、彼に其の母を河伯の女なりといふは、我に海~の女なりといふと極めてよく相類せり。
ただ彼は大陸國なるが故に河伯となし、我は海洋國なるが故に海~と爲すの差あるのみ。
而して斯くの如きの傳説は、ひとり高句麗と百濟とのみならず、廣く傍近の諸國の諸民族間にも行はれたりしものの如し。
降臨地名の類似
天孫の降臨給ひし高千穂峯は、一に之を槵觸(くしふる)峯と稱す。
是が類似を朝鮮の開闢説に求むるに、六伽耶國祖の降れる地之を龜旨(きし)峯といふ。
龜旨は卽ちクシにして、フルは韓語村落の義なれば、龜旨(くしぶる)村卽ち加羅國祖降臨の傳説を有する地は、我が槵觸と類似の地名なりとすべし。
高千穂峯又一に添峯(そほりのたけ)ともいふ。
これ亦類似を朝鮮に於て見るを得るなり。
古事記に、素戔鳴尊の御子~なる大年~の子に韓~(からのかみ)、曾富理~(そほりのかみ)あるを云ふ。
百濟の國都泗沘を、亦一に所夫里(そほり)といふ。
共に「そほり」の名に縁あるが如し。
又新羅の都之を徐羅伐(そらぶる)とも、蘇伐(そぶる)ともいふ。
蘇伐は發音ソホリといふに近く、後世訛りて京城をソールといふ。
其の義蓋し王都を意味するなり。
果して然らば我が「そほり」の峯、亦王都の義にてもあるべし。
而して其の斯くの如きは、必ずしも我が古傳説の朝鮮半島に存すといふにあらざるべきも、彼に於て傳ふる所が、我が太古の傳説と相因縁する所あることは、之を認むるに難からざるなり。
風俗習俗の類似
又馬韓の俗、「瓔珠を以て財寶となし、或は以て衣を綴りて飾となし、或は以て首に懸け、耳に垂れ、金銀錦繍を以て珍となさず、五月種を下し訖るを以て鬼~を祭り、群聚歌舞飲酒して晝夜休むなく、其の舞は數十人俱に起ち、相隨ひて地を踏み、手足を低ミして、節奏に相應す。
鐸舞に似たるあり。
十月農功畢らば亦復かくの如し。
鬼~を信じ、國邑各一人を立てて主として天~を祭る。
之を天君と名づく。
又諸國各々別邑あり、之を名づけて蘇塗となす。
大木を立てて鈴皷を懸け、鬼~に事ふ」とあり。
是れ魏志に見ゆるところにして、亦頗る我が古代の俗に類するものあるを覺ゆ。
而して斯くの如きもの、必ずしも悉く暗合とのみ見るべからず。
是れ蓋し我が古俗に類するものが彼の地にも存して、朧氣ながら彼是相因縁するところあるを示すに似たり。
蓋し我が天孫民族と比較的關係深き民族が、古く朝鮮、滿洲等にも存在して、斯くも類似の言語、傳説、土俗等を傳へたるものなるべし。
ひとり言語、傳説、土俗の類似あるのみならず、我が古代の文献の上に於ても、朝鮮地方との關係を説けるもの亦少からざりしが如し。
素戔鳴尊及び其の御子~達の、彼の地に往來し給ひしことを云へるが如きは、蓋し其の傳説の一部分の、たまたま存するものなり。
而も中頃我と朝鮮と、政治上の關係中斷せしより、邦人其の關係を言ふを好まず、隨って記、紀亦多く之に及ばず、桓武天皇の御代に至りて、悉く是等の書類を焼かしめたりと傳へらる。
従って今其の徴證を古書の上に求むべきものは多からずとするも、太古彼此の間に深き因縁のありしことは、到底之を蔽ふべからざるものなるべし。
されば今暫く天孫降臨に關する古傳説を以て、古代の人士が我が天孫民族渡來の事實を語れるものなりと假定して、所謂高千穂の古傳説地の所在に基づき、其の我に來りし經路を地理上に考察せんに、ほぼ古人の思考せし所を推測するに足るものあるが如し。
朝鮮交通の兩路
按ずるに太古朝鮮半島より我に往來するに當りて、普通に經由せし道筋に、凡そ東西兩路ありしものの如し。
東路は則ち鬱陵島、隠岐島等を經るものにして、山陰、北陸方面に到り、西路は則ち對馬島、壹岐島、若しくは越前沖の島等を經るものにして、九州北部に達すべし。
海北道中
朝鮮半島古へ我に於て之を海北と稱す。
日本紀引く所の一書に、天照大~其の生み給へる市杵島姫(いちきしまひめ)命、田心姫(たごりひめ)命の湍津姫(たぎつひめ)命の三女~を以て、筑紫洲(つくしのくに)に天降らしめ、「汝三~道中に降り居まして、天孫を助け奉り、天孫の爲に祭られよ」と教へたまひきとあり。
或は曰く、「三女~を以て葦原ノ中ツ國の宇佐島に降り居(す)ましむ、今海北道中に在り、號して道主貴(みちぬしのむち)といふ」と。
海北道中とは卽ち朝鮮への交通の航路にして、前説に道中とあるもの亦是に同じ。
蓋し是等の三女~は、其の海北との航路を守り給ふが故に、道主貴(みちぬしのむち)の名はあるなり。
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