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2021年04月12日

海神の族 その7

海人の内地移住
大和の蔣代(こもしろ)の屯倉の田部が、もと淡路の野島の海人なりしが如き是なり。
信濃安曇郡に海神の祠あり。
是れ亦安曇氏に屬する海人の移住せるを示す。
此の信濃の海人は、もと伊勢より移れるものか。
伊勢の海人は古來有名なるものにして、此の沿海には海人部(あまべ)の民後までもなほ多く住す。
古語に伊勢人といひ、伊勢部といふもの、蓋し之に當る。
伊勢風土記には、神武天皇東征の時、伊勢の國ツ神伊勢津彦、風波を起して信濃國に移るとあり。
蓋し其の故地を優勢の民族に讓りて、内地の住民となれるなり。
こは一旦海部として知られたる民衆の、後に内地住民となりし一例たるに過ぎずして、民族本來の系統を尋ぬれば、山神の族、海神の族、もと同一系統に屬する先住民族にして、彼等が優勢の民族に接觸するに及びて、其の多數は是と融合同化して蹟を日本民族中に没し、其の機會を捉へ得ざりしものが、一は山地に退きて山人となり、一は海岸に止まりて海人となりしものにてもあるべし。
而して我が古傳説に、山神、海神共に皇家の外戚たることを言ふものは、山海悉く皇家の御稜威に服したることを示し、叉我が皇祖が、是等の山海の先住民族をも綏撫し、之を同化して、悉く日本民族に融合せしめ給へる、徳化の洽ねきを示したるものと解すべきなり。

タグ:海人
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