2021年02月26日
天孫降臨の經路 その11
東路
而して其の宇佐島とは、古へに所謂于山國(うさんこく)にして、今の鬱陵島なるべく、卽ち東路の船懸りの島なり。
隠岐に知夫里島あり。
道觸の義にして、海路を守る道觸(ちぶり)~を祭れるより此の名を得たり。
此の隠岐より鬱陵島に航する、舟人の難事とせざるところ。
隠岐の島人は今も扁舟によりて、容易に此の島に往復するなり。
以て古代航海の狀を察すべし。
而も又一方に於て、其の市寸島姫命は筑前沖の島なる奥津宮(おきつみや)に鎭座し、田心姫命は大島なる中津宮に鎭座し、湍津姫命は海濱なる邊津宮に鎭座し、通じて宗像の~と呼ばれて、西路の道中を守護するの~として崇祭せらる。
(以上日本紀一書に依る。古事記には多紀理毘賣命(たきりびめのみこと)は胸形の奥津宮に座し、市寸(いちき)島比賣命は胸形の中津宮に座し、田寸津比賣命は胸形の邊津宮に座しますとあり。何れか是なるを知らず。)
蓋し東路、西路、共に道中の~として此の三女~を祭りしものなるべし。
日本紀に素戔鳴尊が出雲より韓國に入り給へりといひ、又其の御子五十猛(いたける)~等の諸~が韓國より我に渡り給へりといふは、其の東路により給へりと傳へらるるものなり。
而して其の宇佐島とは、古へに所謂于山國(うさんこく)にして、今の鬱陵島なるべく、卽ち東路の船懸りの島なり。
隠岐に知夫里島あり。
道觸の義にして、海路を守る道觸(ちぶり)~を祭れるより此の名を得たり。
此の隠岐より鬱陵島に航する、舟人の難事とせざるところ。
隠岐の島人は今も扁舟によりて、容易に此の島に往復するなり。
以て古代航海の狀を察すべし。
而も又一方に於て、其の市寸島姫命は筑前沖の島なる奥津宮(おきつみや)に鎭座し、田心姫命は大島なる中津宮に鎭座し、湍津姫命は海濱なる邊津宮に鎭座し、通じて宗像の~と呼ばれて、西路の道中を守護するの~として崇祭せらる。
(以上日本紀一書に依る。古事記には多紀理毘賣命(たきりびめのみこと)は胸形の奥津宮に座し、市寸(いちき)島比賣命は胸形の中津宮に座し、田寸津比賣命は胸形の邊津宮に座しますとあり。何れか是なるを知らず。)
蓋し東路、西路、共に道中の~として此の三女~を祭りしものなるべし。
日本紀に素戔鳴尊が出雲より韓國に入り給へりといひ、又其の御子五十猛(いたける)~等の諸~が韓國より我に渡り給へりといふは、其の東路により給へりと傳へらるるものなり。
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/10563057
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック