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2024年03月26日
彩王子
アクセサリーの断捨離
第二弾が始まった。
彫金も
7年くらい習っていたのもあるのか
アクセサリーが好きで、
良いものが安くで出ていて
自分もお金のある時に
買っていた。
その当時
金18のダイヤモンドのものを
良く買っていて
でも、
今の私には似合わなくなってきたので
思い切って売ろう!
ということになった。
介護の現場で
良くつけていて
トイレの鏡を見るたびに
少し慰められていたのを思い出します。
耳元にダイヤが光ると
少し気持ちが
華やぎます。
ネックレスの
一粒ダイヤも
良くつけていました
ユニフォームから少し見える
厳しい現場だったから
毎日
走り回って
動き回って
そういう私を知っている
アクセサリーたち。
何となく
離しがたいのですが、
もう
引き出しの中に入れっぱなしなので
とうとう
介護の現場の思い出とともに
売りに出すことに・・・
何となく
卒業式のようなイメージですね。
ようやく
仕事は楽しいけれど
でも、
何となく寂しくって
受け止めてくれる人が
そばにいなくって
なぜ私だけ一人なんだろう
そういう思い。
そういう私を
ダイヤモンドが
キラキラ。
今まで有難う。
ようやく
誰かに何かを言える
そういうこと
誰かが見てくれて
聞いてくれている
私になれたのは
きっと
このダイヤたちが
慰めてくれたから。
ダイヤの代わり。
そういうと少し変だけれど
私にも
彩王子。
2024年03月25日
信じる者は救われるの意味を知る。
色々あって
丁度いい。
誰の言葉だっただろうか?
この言葉を
初めて聞いたのは
高校生くらいだったかもしれない。
色々?
その当時の私は
何が色々なのか
理解できていなかった。
と
平和な学生時代
悩み事なんて
無かったかな。
今の年齢になって
学生時代を
楽しく謳歌した付けが回ってきたせいか、
辛いことや
耐えること
苦しむことも増えたけれど
一番高い木はな、
その木にしか見えへん景色があるねん
と言われた
一番高い木を
目指していたわけではないけれど
自分なりの
個性ある木にはなったかな(笑)
何があっても
信じるものが救われる
この言葉
本当に
信じるものが
そばにある
それだけで
ここまで突っ走て来たように
感じる
信じることができたからだな。
辛い時も
悲しい時も
苦しい時も
どんな時でも
ただ存在を感じるだけで
走り抜けることができた
これからもですね。
結果
一番高い木の景色を
今後見れるか
そのこと自体
今の私にはわからないけれど
高い木よりも
そばにいてくれている
同じように
太陽に向かっている
同志に会えたことが
幸せなんだと
そんなこんなで
私は
これからどうなるのかは
分からないけれど
信じる者は救われる
この言葉の意味は
一生かけて
感じていくワードになると思います。
喉まで手が出ているはずの春
天然なくせに
掘り下げて考える人だから
気づいたら
凄く斜め上に行っていることも
多々ある私。
親、姉妹・・・
みんなに心配させてきただろう。
私自身
こんな人間が身内にいたら
そう考えると
申し訳なくて仕方がない( ノД`)シクシク…
でも、
仕事をしていくにつれて
少しづつ
世間に慣れてきて
何となく
自分のタイプと生き方と
そして
偽り方を学んだ
ここ何十年
人間は
自分に癖があると思ったら
少し営業用の自分を
作っておいた方がいい
そう学んだ
30代40代
そのほうが
上手く生きやすいのと
傷つきにくい。
ここ数年で
色々なことがあった
髪の毛
急に白髪が増えたことは
否めない。
強くないと。
そうやって
生きてきたここ数年
自分で生きていかないと
船が沈んでしまう。
そんなことを
考えながら
ようやく生活が落ち着いた。
まだまだ
不安なことはあるけれど
まだまだ
気苦労もあるけれど
なんだか
いつも矢面に立たされていて
何でだろう?
と思うけれど
どれもこれも
定めと言う物だろう。
きっと
私だから出来ることも
あるのだろう
今まで迷惑かけてきたんだから
仕方がないかなとも思う。
でも、
何で私ってこうなんだろう。
何で私が。
って思わないでもない
でも、
父の姿を見ていたら
遺伝だな
そう思わざるを得ない。
誰かのために
何かをすることは
悪いことではない。
そして
誰かが
何かをしないと
いけない時もある
適任の人間が動けばいい
そんなことを
思いながら
近くまで来ている春を
喉から手が出るほど
欲している
今の私。
勉強だと思って
という言葉も良く聞くもので
そうそう
全ては自分のためになる。
そうじゃなきゃ
不公平すぎる。