2024年03月25日
信じる者は救われるの意味を知る。
色々あって
丁度いい。
誰の言葉だっただろうか?
この言葉を
初めて聞いたのは
高校生くらいだったかもしれない。
色々?
その当時の私は
何が色々なのか
理解できていなかった。
と
平和な学生時代
悩み事なんて
無かったかな。
今の年齢になって
学生時代を
楽しく謳歌した付けが回ってきたせいか、
辛いことや
耐えること
苦しむことも増えたけれど
一番高い木はな、
その木にしか見えへん景色があるねん
と言われた
一番高い木を
目指していたわけではないけれど
自分なりの
個性ある木にはなったかな(笑)
何があっても
信じるものが救われる
この言葉
本当に
信じるものが
そばにある
それだけで
ここまで突っ走て来たように
感じる
信じることができたからだな。
辛い時も
悲しい時も
苦しい時も
どんな時でも
ただ存在を感じるだけで
走り抜けることができた
これからもですね。
結果
一番高い木の景色を
今後見れるか
そのこと自体
今の私にはわからないけれど
高い木よりも
そばにいてくれている
同じように
太陽に向かっている
同志に会えたことが
幸せなんだと
そんなこんなで
私は
これからどうなるのかは
分からないけれど
信じる者は救われる
この言葉の意味は
一生かけて
感じていくワードになると思います。
喉まで手が出ているはずの春
天然なくせに
掘り下げて考える人だから
気づいたら
凄く斜め上に行っていることも
多々ある私。
親、姉妹・・・
みんなに心配させてきただろう。
私自身
こんな人間が身内にいたら
そう考えると
申し訳なくて仕方がない( ノД`)シクシク…
でも、
仕事をしていくにつれて
少しづつ
世間に慣れてきて
何となく
自分のタイプと生き方と
そして
偽り方を学んだ
ここ何十年
人間は
自分に癖があると思ったら
少し営業用の自分を
作っておいた方がいい
そう学んだ
30代40代
そのほうが
上手く生きやすいのと
傷つきにくい。
ここ数年で
色々なことがあった
髪の毛
急に白髪が増えたことは
否めない。
強くないと。
そうやって
生きてきたここ数年
自分で生きていかないと
船が沈んでしまう。
そんなことを
考えながら
ようやく生活が落ち着いた。
まだまだ
不安なことはあるけれど
まだまだ
気苦労もあるけれど
なんだか
いつも矢面に立たされていて
何でだろう?
と思うけれど
どれもこれも
定めと言う物だろう。
きっと
私だから出来ることも
あるのだろう
今まで迷惑かけてきたんだから
仕方がないかなとも思う。
でも、
何で私ってこうなんだろう。
何で私が。
って思わないでもない
でも、
父の姿を見ていたら
遺伝だな
そう思わざるを得ない。
誰かのために
何かをすることは
悪いことではない。
そして
誰かが
何かをしないと
いけない時もある
適任の人間が動けばいい
そんなことを
思いながら
近くまで来ている春を
喉から手が出るほど
欲している
今の私。
勉強だと思って
という言葉も良く聞くもので
そうそう
全ては自分のためになる。
そうじゃなきゃ
不公平すぎる。
お遊び器用の浮世離れ。
私はかなりの気ままなんだと思う。
それと
一人で遊ぶのが上手い。
打ち込むことが好きで
一つのことを
飽きるまで
延々とやり続ける。
ある程度
出来上がれば
また次へ
ジプシーのように
色々な趣味を
引っ張り出し
ゴソゴソするのです。
しかも
気ままだから
誰かと一緒にとかではなく
基本一人でできる趣味いやいや。。。
もはや仕事かもしれない。
突き詰めるまで
自分が納得するまで
あ〜でもない
こ〜でもない
と
ひたすら、事に集中する。
ある程度出来上がる
次
また出来上がる
次
の繰り返し
それが、
多趣味の凝り性へと
そして
仕事へと変わっていく。
本人は
一応楽しんではいるものの
何かが違う
とは、感じている。
好きなことを
好きな時に好きなだけ。
気まますぎる
確かに思っている。
そして
色々な人の反応も
確かに大切だけれど
あ〜今日も素敵なのができた
満足。
と言って
友人に見せるのが
何よりも
楽しい。
やりたいことを
好きなだけ。
それが
仕事。
何となく
浮世離れしている私ですが
それは否定できない
事実だと思います。
私って
このまま年を重ねると
どういう人物になるんだろう
たまに思いますが
余り
変わらないかもしれないとも思います。
気ままに
好きなことを
ぐるぐる回っている
お遊び器用なのだろうと思います