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2017年01月28日
人口と食糧問題の関係について‐現代社会の光と影に迫る‐教職課程、地歴科教育法リポート
人口と食糧問題の関係について‐現代社会の光と影に迫る‐教職課程、地歴科教育法リポート
最初に世界の人口や日本の人口が地域によって、どのような変化をしているのか、理解し、人口の移り変わりが、現在から未来にかけて、食料問題にどのような影響を与えるか考える。
そして、食糧問題がどれだけ、危険な立場にあるか、理解してもらい、次の時代を担う子供達に、この問題を考えてもらいたい。
日本を含めて、世界の人口は現在もなお、ふえつづけている。日本では、近年出生率の低下から、人口増加率が低下をたどっている。
近い将来日本の人口は減少に転じる事が予想される。
日本の食糧事情は現在どうなっているのだろうか、コンビニに代表されるように、大量生産そして、賞味期限が過ぎれば、大量廃棄を行う。
このような、大量生産大量廃棄社会によって、日本の経済が成り立っていると思われる。
違う見方をすれば、食糧を含めた物を無駄に使っていることが分かる。
問題点としては、日本の穀物自給率は非常に低く、約26パーセントぐらいである。
日本国内だけでは、日本の人口を養うことは不可能なのである。
それにも、かかわらず、現在でもなお、減反政策が行われているのが、おかしなことではなかろうかと思われる。
食糧の不足分は、大量生産大量廃棄社会から、生み出される経済力で、食糧供給を他の地域からの輸入に頼っているのが現状である。
経済大国である、日本が食糧危機になる可能性はないと思われるが、どうなるかはわからない。
もし、仮に他の地域が輸入をストップした場合である。
原因の可能性としては、食糧輸出国の不作などによる食糧危機、国家間の不仲による、国際的な孤立による、輸出のストップ、戦争などによって、輸出ルートの閉鎖などなど、いろいろ可能性は考えられる。
その他、日本での出生率の低下は、近い将来の高齢化社会の到来を告げる原因となる。
もし、第1次ベビーブームと第2次ベビーブームの世代が老年期になった時、働ける世代が極端に少ない社会になるだろう。
そうなると、現在の経済力を日本が維持できるのかどうかは、非常に難しくなるのではないかと思われる。
子供達に分かってもらいたい、ポイントは、日本の社会がこれまでのように、裕福で物に溢れた社会で、いられる保証はないこと、また、今までのような、大量生産大量廃棄社会で本当にいいのだろうかなどの問題意識を持ってもらって、これから、どのような日本社会を作っていかなければならないかを、考えてもらいたい。
現在世界の人口は爆発的な増加の現象にある。
しかし、全ての地域で人口増加現象があるのかというと、そうではないのである。
各地域によって、いろんな、人口問題を抱えている。
かつて、世界には人口の密集地域があった。
ヨーロッパやアメリカ、日本を含めた極東などである。
現在でもこれらの地域の人口は多いのだが、人口増加率はかなり少なくなってきて、人口の減少も見られる。
言い替えると先進諸国では、人口増加はあまりみられず、減少傾向にあることである。
そして、爆発的な人口増加が見られる地域は現在、アジア、アフリカなど、第3世界と言われる発展途上地域である。近い将来、人口の密集地域の変化が起こるであろう。
かつて、人口の多さは、その国が、どれだけの国力を保有しているかの、重要なバロメーターとなっていたが、現在は反対に貧困をしめす、バロメーターになっているのではないかと思われる。
それは、国の経済が安定している地域では人口は増えずに、経済が安定してない地域では人口が増えていることである。
なんともおかしな現象である。
現在から未来にかけての、世界の食糧事情はどうなのであろうか?
日本のように、食糧が溢れている地域もあれば、食糧不足で困っている地域もある。
食糧不足地域の例をあげると、現在、いろんな報道手段をつかって、アフリカなどの発展途上国に募金を呼びかけて、食糧を含め、人、物資、資金など、いろんな援助が行われている。
このように、世界では食糧は不足している。
今後、もっと、深刻な食糧不足に陥ることが、予想される。
食糧不足の原因は、人口の増加、農業生産の低下、異常気象などが考えられる。
人口はなぜ、増えるのだろうか?
人間も動物の一種、食物連鎖の食物ピラミッドの頂点に立つわけだが、本来なら、食糧となる、他の動物や魚、植物の数が減少すれば、その割合に応じて、人間の数もうまく調節されるはずである。
過去の歴史を見ても、人口が増加すると、疫病や飢饉の大量発生などの要因により、人口は調節されてきた。しかし、現在は、医療技術の爆発的な進化、人間の高齢化などのために、人口が急激に増加した。
農業生産の低下原因は、砂漠化、井戸を掘ったことによる地下水の減少、ダム建設の弊害、塩害、などである。
農地を増やすために、森林の伐採が行われるが、これまた、いけないのである。
森林の伐採は、地球の温暖化、永久凍土融解、土地が腐る、などの要因となる。
地球の温暖化は異常気象や砂漠化の原因ともなる。
このように、さまざまな要因が絡み合い悪い方向へと、地球は進んでいる。
地球の土地は劣化していき、農業生産はどんどん、下がっていくことが、今後も予想される。
食糧供給の救世主として、品修改良である、緑の革命がある。
食糧問題の救世主的な存在ではあるが、危険性もある。化学肥料を大量に使うために、環境への懸念、品種改良をつづけた、品物を食べつづけることの危険性などである。
子供たちに分かってもらいたいポイントは、日本のように、食糧に満ち溢れている地域もあれば、その裏に、アフリカなんどの、発展途上国の食糧が不足して、たくさんの餓死や貧困があることである。
そして、これらの地域では、養うこともできないのに、人口が増えていることである。
よく報道で発展途上国に対する資金援助の募金やボランティアの募集、などを見かける。
集まった資金で、食糧や病気のワクチンやボランティア活動による、井戸の建設、農地の建設などを行うことに、どのような意味があるかを考えてもらいたい。
子供達それぞれに、さまざまな意見があると思われる。
それぞれに意見をクラス中の人にだしあってもらって、さまざまな意見があることを分かってもらって、今後どのようにしていけばよいのか考えてもらいたい。
今までどうりでいいのか?
もっと、他によい、解決策はあるのか?
どちらにしても、問題意識の1つとして、子供達の心に残してもらいたい。
ここからは、私の個人的な意見ではあるが、人間も含めてだが、生き物の命はもちろん、尊いものである。
しかし、一時的な救済に意味はないと思う。
根本的な解決が必要である。
食糧がないのに、増えつづけている人口増加を抑えることが、最重要課題ではないのかと思う。
それには、教育ってものが必要ではないのかと思われる。
(人文地理学序論 河上税 長島勝雄 大明堂 参照)(総務省統計局 日本国勢図会 世界国勢図会 以上のデータ参照)
リポートを読まれた方はクリックをお願いします。
最初に世界の人口や日本の人口が地域によって、どのような変化をしているのか、理解し、人口の移り変わりが、現在から未来にかけて、食料問題にどのような影響を与えるか考える。
そして、食糧問題がどれだけ、危険な立場にあるか、理解してもらい、次の時代を担う子供達に、この問題を考えてもらいたい。
日本を含めて、世界の人口は現在もなお、ふえつづけている。日本では、近年出生率の低下から、人口増加率が低下をたどっている。
近い将来日本の人口は減少に転じる事が予想される。
日本の食糧事情は現在どうなっているのだろうか、コンビニに代表されるように、大量生産そして、賞味期限が過ぎれば、大量廃棄を行う。
このような、大量生産大量廃棄社会によって、日本の経済が成り立っていると思われる。
違う見方をすれば、食糧を含めた物を無駄に使っていることが分かる。
問題点としては、日本の穀物自給率は非常に低く、約26パーセントぐらいである。
日本国内だけでは、日本の人口を養うことは不可能なのである。
それにも、かかわらず、現在でもなお、減反政策が行われているのが、おかしなことではなかろうかと思われる。
食糧の不足分は、大量生産大量廃棄社会から、生み出される経済力で、食糧供給を他の地域からの輸入に頼っているのが現状である。
経済大国である、日本が食糧危機になる可能性はないと思われるが、どうなるかはわからない。
もし、仮に他の地域が輸入をストップした場合である。
原因の可能性としては、食糧輸出国の不作などによる食糧危機、国家間の不仲による、国際的な孤立による、輸出のストップ、戦争などによって、輸出ルートの閉鎖などなど、いろいろ可能性は考えられる。
その他、日本での出生率の低下は、近い将来の高齢化社会の到来を告げる原因となる。
もし、第1次ベビーブームと第2次ベビーブームの世代が老年期になった時、働ける世代が極端に少ない社会になるだろう。
そうなると、現在の経済力を日本が維持できるのかどうかは、非常に難しくなるのではないかと思われる。
子供達に分かってもらいたい、ポイントは、日本の社会がこれまでのように、裕福で物に溢れた社会で、いられる保証はないこと、また、今までのような、大量生産大量廃棄社会で本当にいいのだろうかなどの問題意識を持ってもらって、これから、どのような日本社会を作っていかなければならないかを、考えてもらいたい。
現在世界の人口は爆発的な増加の現象にある。
しかし、全ての地域で人口増加現象があるのかというと、そうではないのである。
各地域によって、いろんな、人口問題を抱えている。
かつて、世界には人口の密集地域があった。
ヨーロッパやアメリカ、日本を含めた極東などである。
現在でもこれらの地域の人口は多いのだが、人口増加率はかなり少なくなってきて、人口の減少も見られる。
言い替えると先進諸国では、人口増加はあまりみられず、減少傾向にあることである。
そして、爆発的な人口増加が見られる地域は現在、アジア、アフリカなど、第3世界と言われる発展途上地域である。近い将来、人口の密集地域の変化が起こるであろう。
かつて、人口の多さは、その国が、どれだけの国力を保有しているかの、重要なバロメーターとなっていたが、現在は反対に貧困をしめす、バロメーターになっているのではないかと思われる。
それは、国の経済が安定している地域では人口は増えずに、経済が安定してない地域では人口が増えていることである。
なんともおかしな現象である。
現在から未来にかけての、世界の食糧事情はどうなのであろうか?
日本のように、食糧が溢れている地域もあれば、食糧不足で困っている地域もある。
食糧不足地域の例をあげると、現在、いろんな報道手段をつかって、アフリカなどの発展途上国に募金を呼びかけて、食糧を含め、人、物資、資金など、いろんな援助が行われている。
このように、世界では食糧は不足している。
今後、もっと、深刻な食糧不足に陥ることが、予想される。
食糧不足の原因は、人口の増加、農業生産の低下、異常気象などが考えられる。
人口はなぜ、増えるのだろうか?
人間も動物の一種、食物連鎖の食物ピラミッドの頂点に立つわけだが、本来なら、食糧となる、他の動物や魚、植物の数が減少すれば、その割合に応じて、人間の数もうまく調節されるはずである。
過去の歴史を見ても、人口が増加すると、疫病や飢饉の大量発生などの要因により、人口は調節されてきた。しかし、現在は、医療技術の爆発的な進化、人間の高齢化などのために、人口が急激に増加した。
農業生産の低下原因は、砂漠化、井戸を掘ったことによる地下水の減少、ダム建設の弊害、塩害、などである。
農地を増やすために、森林の伐採が行われるが、これまた、いけないのである。
森林の伐採は、地球の温暖化、永久凍土融解、土地が腐る、などの要因となる。
地球の温暖化は異常気象や砂漠化の原因ともなる。
このように、さまざまな要因が絡み合い悪い方向へと、地球は進んでいる。
地球の土地は劣化していき、農業生産はどんどん、下がっていくことが、今後も予想される。
食糧供給の救世主として、品修改良である、緑の革命がある。
食糧問題の救世主的な存在ではあるが、危険性もある。化学肥料を大量に使うために、環境への懸念、品種改良をつづけた、品物を食べつづけることの危険性などである。
子供たちに分かってもらいたいポイントは、日本のように、食糧に満ち溢れている地域もあれば、その裏に、アフリカなんどの、発展途上国の食糧が不足して、たくさんの餓死や貧困があることである。
そして、これらの地域では、養うこともできないのに、人口が増えていることである。
よく報道で発展途上国に対する資金援助の募金やボランティアの募集、などを見かける。
集まった資金で、食糧や病気のワクチンやボランティア活動による、井戸の建設、農地の建設などを行うことに、どのような意味があるかを考えてもらいたい。
子供達それぞれに、さまざまな意見があると思われる。
それぞれに意見をクラス中の人にだしあってもらって、さまざまな意見があることを分かってもらって、今後どのようにしていけばよいのか考えてもらいたい。
今までどうりでいいのか?
もっと、他によい、解決策はあるのか?
どちらにしても、問題意識の1つとして、子供達の心に残してもらいたい。
ここからは、私の個人的な意見ではあるが、人間も含めてだが、生き物の命はもちろん、尊いものである。
しかし、一時的な救済に意味はないと思う。
根本的な解決が必要である。
食糧がないのに、増えつづけている人口増加を抑えることが、最重要課題ではないのかと思う。
それには、教育ってものが必要ではないのかと思われる。
(人文地理学序論 河上税 長島勝雄 大明堂 参照)(総務省統計局 日本国勢図会 世界国勢図会 以上のデータ参照)
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2017年01月21日
教師の仕事とは?法政大学通信教育部教職課程、教職入門リポート
教師の仕事とは?法政大学通信教育部教職課程、教職入門リポート
人間は知識なくしては生きていく事はできない。
人間が自分の力で生きていくためには、さまざまな知識や技能を身に付けていかなければならない。
子供の時なら、場合によっては、親が面倒をみてくれるために知識や技能がなくても生きていく事ができるかもしれない。
しかし、将来自分自身の力で生きていくためには知識や技能が必ず必要となってくる。
人間が生きていくために必要な知識や技能を子供達に身に付ける1つの方法が学校制度である。
学校制度の中で教師が補う役目となるのが、生徒に生きるために必要な知識や技能をみにつけさせることである。
教師の仕事は大きく分けて、勉強を教える学習指導、生活全般に渡って指導する生徒指導、そして、学習指導や生徒指導に関連した学級経営である。
これら、3つ上げた項目は、いずれも、生徒が将来生きるために必要となる技能や知識を教えることに関係している。
学習指導は教師が受け持つ科目を生徒に教えることである。
学校で教える各科目にはそれぞれ、生徒が将来生きるために必要となる要素を含んでいる。
私自身が担当する事になる社会科で考えると、社会科を勉強することによって、世の中のさまざまなシステムや制度などを知る事ができる。
きっとその知識は将来の生活に役に立つであろう。
また、歴史や地理を学ぶ事によって、国際社会に生きる日本人としての資質や技能をみにつけることができるであろう。
そして、社会科を学ぶ最大の理由として考えられるのが民主主義の力を養う事にある。
日本は民主主義の国なので、民主主義を養う事は重要な役割となる。
民主主義とは話し合う社会である。社会科の授業を通じて、話し合う力を身につけることが重要な教科目標となる。
学習指導の時に、一方的に生徒に知識を詰め込ませるだけではだめである。
生徒が学習に興味を持つための興味付けを行うのも教師としての重要な仕事となる。
日本では生徒指導に関しての教師の仕事は幅広いものとなる。
アメリカなどの学校では教師は教科指導に専念して、生徒指導は専門のスクールカウンセラーが行うシステムができあがっている。
日本では教育という仕事は、勉強以外の部分にまで及んでいる。
生活指導において、どこまでの領域を教師が踏みこんで生徒に指導するのかは難しい問題である。
生活指導において、基本となる考えは、生徒が将来良い大人になるための教育である。
例えば、どうでも良いような校則を生徒に守らせるための生徒指導は、将来良い大人になるための教育と繋がっている。
大人になって、社会に出れば、法律に縛られた生活をおくらなければならない。
法律の中にはどうでも良いような法律もたくさんあるが、しかし、日本社会に生きる以上、どうでも良いような法律でも守らなければならないのである。
学校教育で校則を守ることは、将来社会に出た時に法律を守ることに繋がっている。
生活指導で難しい点は、(将来良い大人になる)という事柄の定義が難しいことである。
なにが良いことで、なにが悪いことなのかは人それぞれの価値観によっても、生まれた環境によっても変わってくる。
教師は定義がはっきりしないことを生徒に教育していかなければならないのである。
教師の仕事に求められる資質はかなり高度なものと言えるだろう。
もう1つ教師の仕事で重要となるのが学級経営である。
学級の経営は学習指導や生徒指導を円滑に行う役割がある。
また、人生を生きるためには組織の中で生活することを意味している。
大きく区切れば、国、小さく区切れば、会社や地域など、人間は組織の中で生きる事になる。
学級という1つの組織の中では、生徒たちが役割を決め、リーダを決定し、学級単位で競争も行う。
学級は組織社会の要素が詰まった空間とも言える。
生徒にとって学級での活動は、将来組織社会で生きる時の訓練の場とも言える。
教師は、学級経営において、速やかでスムーズに学級経営が行われるように指導、監視、調停などをおこなってうまくコントロールする役割をはたす。
教師の仕事はありとあらゆることを含んでいる。
教育をつかさどるとは、人生の先輩として、人生にとって必要なことを生徒に教育することにある。
生徒にとって学生時代は人生を生きるための訓練期とも捉える事ができ、その中で、教師は、生徒が人生を生きるための力をえるための手助けをする存在とも言える。
特に現在の世の中は、両親の共働きが一般的になり、親が子供を教育することが困難な時代と言える。
この傾向は今後もっと加速すると思われる。
また、地域の横の繋がりも薄くなり、地域単位で子供を教育するシステムもなくなりつつある。
子供を教育する場がすくなりつつある現在の世の中において、子供の教育に与える影響力は、学校で行う比重が多くなるのが現在の社会の特徴になる。
そうなると、教師の教育をつかさどる職務の重要さがますます大きくなるのである。
(学校って何だろう 苅谷 剛彦 講談社 参照)
いつもクリックありがとうございます。
人間は知識なくしては生きていく事はできない。
人間が自分の力で生きていくためには、さまざまな知識や技能を身に付けていかなければならない。
子供の時なら、場合によっては、親が面倒をみてくれるために知識や技能がなくても生きていく事ができるかもしれない。
しかし、将来自分自身の力で生きていくためには知識や技能が必ず必要となってくる。
人間が生きていくために必要な知識や技能を子供達に身に付ける1つの方法が学校制度である。
学校制度の中で教師が補う役目となるのが、生徒に生きるために必要な知識や技能をみにつけさせることである。
教師の仕事は大きく分けて、勉強を教える学習指導、生活全般に渡って指導する生徒指導、そして、学習指導や生徒指導に関連した学級経営である。
これら、3つ上げた項目は、いずれも、生徒が将来生きるために必要となる技能や知識を教えることに関係している。
学習指導は教師が受け持つ科目を生徒に教えることである。
学校で教える各科目にはそれぞれ、生徒が将来生きるために必要となる要素を含んでいる。
私自身が担当する事になる社会科で考えると、社会科を勉強することによって、世の中のさまざまなシステムや制度などを知る事ができる。
きっとその知識は将来の生活に役に立つであろう。
また、歴史や地理を学ぶ事によって、国際社会に生きる日本人としての資質や技能をみにつけることができるであろう。
そして、社会科を学ぶ最大の理由として考えられるのが民主主義の力を養う事にある。
日本は民主主義の国なので、民主主義を養う事は重要な役割となる。
民主主義とは話し合う社会である。社会科の授業を通じて、話し合う力を身につけることが重要な教科目標となる。
学習指導の時に、一方的に生徒に知識を詰め込ませるだけではだめである。
生徒が学習に興味を持つための興味付けを行うのも教師としての重要な仕事となる。
日本では生徒指導に関しての教師の仕事は幅広いものとなる。
アメリカなどの学校では教師は教科指導に専念して、生徒指導は専門のスクールカウンセラーが行うシステムができあがっている。
日本では教育という仕事は、勉強以外の部分にまで及んでいる。
生活指導において、どこまでの領域を教師が踏みこんで生徒に指導するのかは難しい問題である。
生活指導において、基本となる考えは、生徒が将来良い大人になるための教育である。
例えば、どうでも良いような校則を生徒に守らせるための生徒指導は、将来良い大人になるための教育と繋がっている。
大人になって、社会に出れば、法律に縛られた生活をおくらなければならない。
法律の中にはどうでも良いような法律もたくさんあるが、しかし、日本社会に生きる以上、どうでも良いような法律でも守らなければならないのである。
学校教育で校則を守ることは、将来社会に出た時に法律を守ることに繋がっている。
生活指導で難しい点は、(将来良い大人になる)という事柄の定義が難しいことである。
なにが良いことで、なにが悪いことなのかは人それぞれの価値観によっても、生まれた環境によっても変わってくる。
教師は定義がはっきりしないことを生徒に教育していかなければならないのである。
教師の仕事に求められる資質はかなり高度なものと言えるだろう。
もう1つ教師の仕事で重要となるのが学級経営である。
学級の経営は学習指導や生徒指導を円滑に行う役割がある。
また、人生を生きるためには組織の中で生活することを意味している。
大きく区切れば、国、小さく区切れば、会社や地域など、人間は組織の中で生きる事になる。
学級という1つの組織の中では、生徒たちが役割を決め、リーダを決定し、学級単位で競争も行う。
学級は組織社会の要素が詰まった空間とも言える。
生徒にとって学級での活動は、将来組織社会で生きる時の訓練の場とも言える。
教師は、学級経営において、速やかでスムーズに学級経営が行われるように指導、監視、調停などをおこなってうまくコントロールする役割をはたす。
教師の仕事はありとあらゆることを含んでいる。
教育をつかさどるとは、人生の先輩として、人生にとって必要なことを生徒に教育することにある。
生徒にとって学生時代は人生を生きるための訓練期とも捉える事ができ、その中で、教師は、生徒が人生を生きるための力をえるための手助けをする存在とも言える。
特に現在の世の中は、両親の共働きが一般的になり、親が子供を教育することが困難な時代と言える。
この傾向は今後もっと加速すると思われる。
また、地域の横の繋がりも薄くなり、地域単位で子供を教育するシステムもなくなりつつある。
子供を教育する場がすくなりつつある現在の世の中において、子供の教育に与える影響力は、学校で行う比重が多くなるのが現在の社会の特徴になる。
そうなると、教師の教育をつかさどる職務の重要さがますます大きくなるのである。
(学校って何だろう 苅谷 剛彦 講談社 参照)
いつもクリックありがとうございます。
2017年01月14日
教職入門リポート・教師になる意味とは?法政大学通信教育部教職課程
教職入門リポート・教師になる意味とは?法政大学通信教育部教職課程
教育をつかさどる教師の仕事は非常に重要である。
教育は時として危険な存在にもなる。
教育は人間の人格を作るもので、その方法が間違えば危険な人間ができてしまう可能性がある。
第二次世界大戦後の日本の教育は、戦前の反省を踏まえたものである。
戦中は教育が国家のために利用された社会である。
戦中の日本国家は、植民地獲得のために戦争を行いつづける軍国主義国家である。
それは、天皇を中心とした中央集権体制のもと、国民が1つとなった国家でもある。
戦中の教育でもっとも重要なのが国家のための教育、国家のための教員である。
教育を行うのは国家の意思を国民に伝えるためで、日本国家にとって、扱いやすく、国家のために忠誠を尽くせる人間を育てるために教育制度が利用され、また、教師の資質として、国家の意思を子供にたたきこむことが教師の資質となった。
そして、戦時中ともなると、教育は、軍人を作る養成機関の役割をはたして、教育が武力と密接に結びつくものとなった。
私が担当する社会科教育でも、国の意思が大きく影響された。
真実の歴史とは言えず、天皇の神格性の意味付けとして歴史を系統的に学習する内容で、天皇を神として、国家に忠誠を尽くせる人間を育成していった。
日本は、植民地主義により、内外に多大な損害を蒙り、終戦を迎えた。
第二次世界大戦の敗北は、日本の国家政策が過ちを犯していたことに気付かせ、日本の国家政策を支えた教育もまた、過ちを犯していたことに気がついたことになる。
戦後は、戦前の過ちを反省し、2度と同じ過ちを繰り返さない理念を踏まえた国家政策を行うことになる。
そして、日本国憲法が作られた。
日本国憲法は、占領国のアメリカ主導のもとに作られた憲法だが、しかし、平和と人権を考えた、戦前の反省点を考慮に踏まえた、徹底した平和憲法である。
そして、日本国憲法に促した形で教育基本法が作られた。
教育基本法の理念は、平和、個性である。
平和教育とは、戦争がなく、物事の紛争は武力じゃなく、言葉を使って民主的に解決することができる人間を育てることにある。
戦争と暴力で物事を解決していた時代の反省と言える。
戦後の主権は天皇から国民へ変わった。
これは国民によって国家が運営される民主国家のことであり、そして、主権者の国民を教育するのが教師の役割である。
次ぎの時代を担う、子供達に平和や民主主義を教育することは、平和で民主的な国家を作ることにも繋がる。
個性豊かな人間を育てることは、戦前のような、言論の自由も奪われ個人の自由もままならない、統一的な思想を持った国民教育への反省からきている。
もちろん、現在の社会でも、さまざまな規制やモラル、価値観などがあり、実際に個性豊かな人間を育てる教育を行うのは難しく、自由な社会だとは思えない。
しかし、個性豊かな人間を育てるのは理念としては良いものである。
個性豊かな人間を認めることは、その人が持つ人間性を認めることであり、人それぞれが持つ人権を尊重することにも繋がっている。
教師の役割は、本来さまざまな価値観や考えを持っている人間の個性を伸ばすことにある。
個人が持つ個性を伸ばすことによって、人間にはそれぞれ侵す事のできない人権があり、人それぞれの尊厳もある事が認識されるであろう。
教師になるということは、現在の日本国家がのぞむ平和を重んじる個性豊かな国民を育てる使命を果たす事である。
現在の教育も国家の意思がすくなからず入っていると考える事ができる。
国家が望む平和という価値観が本当の意味で正しいのか、正しくないのか私には分からないが、しかし、思うに、平和を望む個性豊かな人間を育てる使命はすばらしいことであり、世の中、戦争もなく平和に暮らせたら、それが人間にとって良い事だと思う。
そして、そう願いたいものである。
日本国憲法は非常にすばらしい理念であると思う。この素晴らしい理念をもとに教育が行われるのは大変良いことであるが、平和と言う理想論だけでは世の中通用しないこともある。
平和と武力の関係、例えば平和を維持するための自衛隊の存在など、現実的な問題も考えていかなければならない。
教師になるということの意味は、理想論だけの平和ではなくて、実際の生活に密着した形での現実的な価値観で平和を考えられる個性豊かな人間を育てることにある。
そして、平和な国家を築き、平和な世界を築き、人々が幸せに暮らせる世の中を作ることが教師に課せられた使命だと私は思います。
(新しい社会・地理・公民の教育 大森正 石渡延男 梓出版 参照)
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教育をつかさどる教師の仕事は非常に重要である。
教育は時として危険な存在にもなる。
教育は人間の人格を作るもので、その方法が間違えば危険な人間ができてしまう可能性がある。
第二次世界大戦後の日本の教育は、戦前の反省を踏まえたものである。
戦中は教育が国家のために利用された社会である。
戦中の日本国家は、植民地獲得のために戦争を行いつづける軍国主義国家である。
それは、天皇を中心とした中央集権体制のもと、国民が1つとなった国家でもある。
戦中の教育でもっとも重要なのが国家のための教育、国家のための教員である。
教育を行うのは国家の意思を国民に伝えるためで、日本国家にとって、扱いやすく、国家のために忠誠を尽くせる人間を育てるために教育制度が利用され、また、教師の資質として、国家の意思を子供にたたきこむことが教師の資質となった。
そして、戦時中ともなると、教育は、軍人を作る養成機関の役割をはたして、教育が武力と密接に結びつくものとなった。
私が担当する社会科教育でも、国の意思が大きく影響された。
真実の歴史とは言えず、天皇の神格性の意味付けとして歴史を系統的に学習する内容で、天皇を神として、国家に忠誠を尽くせる人間を育成していった。
日本は、植民地主義により、内外に多大な損害を蒙り、終戦を迎えた。
第二次世界大戦の敗北は、日本の国家政策が過ちを犯していたことに気付かせ、日本の国家政策を支えた教育もまた、過ちを犯していたことに気がついたことになる。
戦後は、戦前の過ちを反省し、2度と同じ過ちを繰り返さない理念を踏まえた国家政策を行うことになる。
そして、日本国憲法が作られた。
日本国憲法は、占領国のアメリカ主導のもとに作られた憲法だが、しかし、平和と人権を考えた、戦前の反省点を考慮に踏まえた、徹底した平和憲法である。
そして、日本国憲法に促した形で教育基本法が作られた。
教育基本法の理念は、平和、個性である。
平和教育とは、戦争がなく、物事の紛争は武力じゃなく、言葉を使って民主的に解決することができる人間を育てることにある。
戦争と暴力で物事を解決していた時代の反省と言える。
戦後の主権は天皇から国民へ変わった。
これは国民によって国家が運営される民主国家のことであり、そして、主権者の国民を教育するのが教師の役割である。
次ぎの時代を担う、子供達に平和や民主主義を教育することは、平和で民主的な国家を作ることにも繋がる。
個性豊かな人間を育てることは、戦前のような、言論の自由も奪われ個人の自由もままならない、統一的な思想を持った国民教育への反省からきている。
もちろん、現在の社会でも、さまざまな規制やモラル、価値観などがあり、実際に個性豊かな人間を育てる教育を行うのは難しく、自由な社会だとは思えない。
しかし、個性豊かな人間を育てるのは理念としては良いものである。
個性豊かな人間を認めることは、その人が持つ人間性を認めることであり、人それぞれが持つ人権を尊重することにも繋がっている。
教師の役割は、本来さまざまな価値観や考えを持っている人間の個性を伸ばすことにある。
個人が持つ個性を伸ばすことによって、人間にはそれぞれ侵す事のできない人権があり、人それぞれの尊厳もある事が認識されるであろう。
教師になるということは、現在の日本国家がのぞむ平和を重んじる個性豊かな国民を育てる使命を果たす事である。
現在の教育も国家の意思がすくなからず入っていると考える事ができる。
国家が望む平和という価値観が本当の意味で正しいのか、正しくないのか私には分からないが、しかし、思うに、平和を望む個性豊かな人間を育てる使命はすばらしいことであり、世の中、戦争もなく平和に暮らせたら、それが人間にとって良い事だと思う。
そして、そう願いたいものである。
日本国憲法は非常にすばらしい理念であると思う。この素晴らしい理念をもとに教育が行われるのは大変良いことであるが、平和と言う理想論だけでは世の中通用しないこともある。
平和と武力の関係、例えば平和を維持するための自衛隊の存在など、現実的な問題も考えていかなければならない。
教師になるということの意味は、理想論だけの平和ではなくて、実際の生活に密着した形での現実的な価値観で平和を考えられる個性豊かな人間を育てることにある。
そして、平和な国家を築き、平和な世界を築き、人々が幸せに暮らせる世の中を作ることが教師に課せられた使命だと私は思います。
(新しい社会・地理・公民の教育 大森正 石渡延男 梓出版 参照)
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