2016年11月28日
地方史学を学ぶ意味について‐単一民族国家説の否定‐通信教育課程(専門教養地方史学リポート)
地方史学を学ぶ意味について‐通信教育課程(専門教養地方史学リポート)
私が中高生時代に学んだ歴史像は単一民族国家説を基本にした日本史像である。
それは、日本の歴史は、縄文、弥生、大和、奈良、平安、鎌倉、室町、安土、江戸、明治、大正、昭和とつづく、一本の太い流れにそって進んでいく統一的な歴史像であった。
しかし、けっして、日本の歴史は統一的な1つのものではない。
例えば、沖縄が完全に日本の領土になるのは明治以降、東北が日本の支配を受けるのは奥州藤原氏以降で完全に日本の統治体制に入るのは豊臣政権、北海道が完全に日本領になるのは明治以降のことである。
地方に行けば、琉球王国があり、エミシ、アイヌの世界があり、日本とは全く違った文化や歴史を歩んできた地域もある。
そして、日本は近年アイヌ新法により、単一民族思想を捨てた。
このように、日本には複線的な日本史像存在しているので地方の歴史から日本史を見ていかないといけない。
それが地方史学である。
歴史と言うものは、見る角度が違えば全く違うものになっていく。
例えば、江戸時代日本は鎖国政策をして、長崎の出島という限られた空間でのみオランダと中国と交流を持っていた。
これが従来の私が学生時代に学んだ鎖国像である。
しかし、この鎖国像は地方の歴史をまったく無視している。
江戸時代当時は、北海道のアイヌと沖縄の琉球王国は外国である。
江戸時代を通じて外国であるアイヌと琉球は日本と交流を持った国である。
オランダ、中国以外の国と長崎の出島以外の空間でも日本は交流を持っていたと言うのが本当の鎖国像と言える。
このように、地方の歴史を見ることによって、中央の歴史像がまったく違ったものになることもある。
これは1つの地方史学を学ぶことによって得られる成果の1つではないであろうか。
戦後主に近世農村史研究が活発化することになる。
近世江戸時代の人口を考えると、約80パーセントの人達が農業を営んでいたとされている。
日本は農耕民族の国といっても過言ではない。
従来の歴史像は支配者階級である武士の歴史である。しかし、人口の大部分を占める農民の歴史を考えなければ近世の歴史を把握したことにはならないと思う。
特に近世時代は職業によって住む場所も違えば、法や文化や風習も違う。
また、たくさんの藩が存在し現在のような統一的な国家ではない。
そして、移動手段が現在のように発達していなかったので移動は困難であったことが予想される。
特に近世時代は地方独特の文化や歴史が存在いていることになる。
地方独特な民衆の歴史を見ることによって、もう1つの日本の姿を見る事ができる。
これが地方史学を学ぶ1つの意義なのではないだろうか。
地方史学とは、地方の歴史学のことであり、歴史学の1部門として学問的な位置付けを行うために、歴史研究の方法や目的、内容を整備し学問体系の中に位置付けられたものである。
学問として体系するためには、歴史に関する記述は真実の事を記述する必要がある。
そのためには、歴史記述の裏づけとなる証拠が必要となる。
証拠には資料が必要で、証拠となった資料が本当に事実を記述しているかどうかの資料批判も必要となってくる。
できるだけ、事実に基づいた学問的な歴史学として地方史学ができた。
地方史学は郷土史が発展したものである。
郷土史とは地域独特の伝記や伝説の類を含めた学問である。
郷土史には、閉鎖的な地域自慢や英雄史観、物語史観などが折りこまれている。
簡単に言うなら、歴史的な事件があったとして、その歴史的事件を大げさに誇張して、また、英雄などの登場で、歴史的事件を面白く、お国自慢などを加え、物語風に作り上げた要素を含んでいる。
戦前日本では天皇の神格性を維持するために、平気で伝説の類を国家に都合よく歴史として教えていた。
日本国民として、日本の神話や地域の神話を知る事は、とても大事なこと、だが、それと歴史事実を混合させると、それ以上の発展は望めない。
神話は何かしらの歴史事実に基づいて描かれた話、その何かしらの歴史事実を探求する事が大事になる。
戦後新しい時代を迎え、神や精霊などに縛られない、真実の歴史を知ろうとする時代の流れや、行政に都合のよい政府の歴史ではなく、地域で実際に住んでいる人々の生の歴史を知ろうとする時代の流れから地方史学が生まれたのではないであろうか。
地方史学は中央政府によって作られた法などで、実際に地域で住む民衆がどのような影響を与え生きたかなどの、民衆生活史を知ることができる。
そのため、地方史学は、日本史を構成するとても重要な位置にある学問であるのではないだろうか。
郷土史が狭い地域を限定で研究するのに対して、地方史は、もちろん狭い地域を限定して研究するのだが、それだけではなくて、他の地域の研究をも行い比較対比も必要としている。
地方ごとに比較研究を行っていくと必ずたくさんの地域によって、いろんな差がでてくる。例えば言葉や習慣、苗字、農業、人格、など上げればきりがないほどの地域差がある。
地方史学の重要な目的の1つに限定された地域を研究して、そこに住む人々がどのような社会を形成して生活を営み、そして、文化を生み出して歴史を作っていったのかを解明する目的がある。
また、研究方法として、古文書や文書、遺跡、遺物、などの形として残って位いる研究材料だけでなく、民衆に語り継がれた話など、あらゆるものを使って材料にして研究を学問である。
これは、郷土史に近い存在で、地方史学とは、郷土史も含めて、総合的に対比や全体のつながりをも研究する総合的な学問と言えるだろう。
最後に過去天皇制のよる単一国家説が日本史の主流を占めた時代の反省や欧米主観から見た日本史像への疑問、そして、総合学習に見られるような地域密着型の歴史教育が見直されている現在において、地方の歴史に対する関心は高まる時勢である。
地方史学の持つ意味は今後ますます重要性を占めてくるだろう。
いつもクリックありがとうございます。
私が中高生時代に学んだ歴史像は単一民族国家説を基本にした日本史像である。
それは、日本の歴史は、縄文、弥生、大和、奈良、平安、鎌倉、室町、安土、江戸、明治、大正、昭和とつづく、一本の太い流れにそって進んでいく統一的な歴史像であった。
しかし、けっして、日本の歴史は統一的な1つのものではない。
例えば、沖縄が完全に日本の領土になるのは明治以降、東北が日本の支配を受けるのは奥州藤原氏以降で完全に日本の統治体制に入るのは豊臣政権、北海道が完全に日本領になるのは明治以降のことである。
地方に行けば、琉球王国があり、エミシ、アイヌの世界があり、日本とは全く違った文化や歴史を歩んできた地域もある。
そして、日本は近年アイヌ新法により、単一民族思想を捨てた。
このように、日本には複線的な日本史像存在しているので地方の歴史から日本史を見ていかないといけない。
それが地方史学である。
歴史と言うものは、見る角度が違えば全く違うものになっていく。
例えば、江戸時代日本は鎖国政策をして、長崎の出島という限られた空間でのみオランダと中国と交流を持っていた。
これが従来の私が学生時代に学んだ鎖国像である。
しかし、この鎖国像は地方の歴史をまったく無視している。
江戸時代当時は、北海道のアイヌと沖縄の琉球王国は外国である。
江戸時代を通じて外国であるアイヌと琉球は日本と交流を持った国である。
オランダ、中国以外の国と長崎の出島以外の空間でも日本は交流を持っていたと言うのが本当の鎖国像と言える。
このように、地方の歴史を見ることによって、中央の歴史像がまったく違ったものになることもある。
これは1つの地方史学を学ぶことによって得られる成果の1つではないであろうか。
戦後主に近世農村史研究が活発化することになる。
近世江戸時代の人口を考えると、約80パーセントの人達が農業を営んでいたとされている。
日本は農耕民族の国といっても過言ではない。
従来の歴史像は支配者階級である武士の歴史である。しかし、人口の大部分を占める農民の歴史を考えなければ近世の歴史を把握したことにはならないと思う。
特に近世時代は職業によって住む場所も違えば、法や文化や風習も違う。
また、たくさんの藩が存在し現在のような統一的な国家ではない。
そして、移動手段が現在のように発達していなかったので移動は困難であったことが予想される。
特に近世時代は地方独特の文化や歴史が存在いていることになる。
地方独特な民衆の歴史を見ることによって、もう1つの日本の姿を見る事ができる。
これが地方史学を学ぶ1つの意義なのではないだろうか。
地方史学とは、地方の歴史学のことであり、歴史学の1部門として学問的な位置付けを行うために、歴史研究の方法や目的、内容を整備し学問体系の中に位置付けられたものである。
学問として体系するためには、歴史に関する記述は真実の事を記述する必要がある。
そのためには、歴史記述の裏づけとなる証拠が必要となる。
証拠には資料が必要で、証拠となった資料が本当に事実を記述しているかどうかの資料批判も必要となってくる。
できるだけ、事実に基づいた学問的な歴史学として地方史学ができた。
地方史学は郷土史が発展したものである。
郷土史とは地域独特の伝記や伝説の類を含めた学問である。
郷土史には、閉鎖的な地域自慢や英雄史観、物語史観などが折りこまれている。
簡単に言うなら、歴史的な事件があったとして、その歴史的事件を大げさに誇張して、また、英雄などの登場で、歴史的事件を面白く、お国自慢などを加え、物語風に作り上げた要素を含んでいる。
戦前日本では天皇の神格性を維持するために、平気で伝説の類を国家に都合よく歴史として教えていた。
日本国民として、日本の神話や地域の神話を知る事は、とても大事なこと、だが、それと歴史事実を混合させると、それ以上の発展は望めない。
神話は何かしらの歴史事実に基づいて描かれた話、その何かしらの歴史事実を探求する事が大事になる。
戦後新しい時代を迎え、神や精霊などに縛られない、真実の歴史を知ろうとする時代の流れや、行政に都合のよい政府の歴史ではなく、地域で実際に住んでいる人々の生の歴史を知ろうとする時代の流れから地方史学が生まれたのではないであろうか。
地方史学は中央政府によって作られた法などで、実際に地域で住む民衆がどのような影響を与え生きたかなどの、民衆生活史を知ることができる。
そのため、地方史学は、日本史を構成するとても重要な位置にある学問であるのではないだろうか。
郷土史が狭い地域を限定で研究するのに対して、地方史は、もちろん狭い地域を限定して研究するのだが、それだけではなくて、他の地域の研究をも行い比較対比も必要としている。
地方ごとに比較研究を行っていくと必ずたくさんの地域によって、いろんな差がでてくる。例えば言葉や習慣、苗字、農業、人格、など上げればきりがないほどの地域差がある。
地方史学の重要な目的の1つに限定された地域を研究して、そこに住む人々がどのような社会を形成して生活を営み、そして、文化を生み出して歴史を作っていったのかを解明する目的がある。
また、研究方法として、古文書や文書、遺跡、遺物、などの形として残って位いる研究材料だけでなく、民衆に語り継がれた話など、あらゆるものを使って材料にして研究を学問である。
これは、郷土史に近い存在で、地方史学とは、郷土史も含めて、総合的に対比や全体のつながりをも研究する総合的な学問と言えるだろう。
最後に過去天皇制のよる単一国家説が日本史の主流を占めた時代の反省や欧米主観から見た日本史像への疑問、そして、総合学習に見られるような地域密着型の歴史教育が見直されている現在において、地方の歴史に対する関心は高まる時勢である。
地方史学の持つ意味は今後ますます重要性を占めてくるだろう。
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