久しぶりにライフコーチングをお願いした!
日々変わる世の中と今の状況に合わせて自分の感情も変わる。
今のタイミングだからこそ、自分の中から出てくるものがある!
それは、今まであったものだったり、新しい発見だったりする。
今までは自分一人で孤独感を感じながら考えていた。
でも今日はコーチという、伴走者がいることによって安心感や仲間感を感じながら、言語化ができた。
コーチがいることによって勇気や確信を持って行動に移せる。
それは、自分の感情から出てきたものだからだ。
2020年04月16日
2020年03月08日
♡コーチを育てるコーチ!テレサこと高嶋由香先生のラジオです♡
【公開されました!】
http://honmaru-radio.com/katoren0045/
お待たせしました!
️テレサこと高嶋由香先生の
ラジオ収録音声です️
初対面の人との親しく話せるコツや
実生活でのお悩み相談に
答えてくれました!
優しさ溢れる優しい声を
お楽しみください!
http://honmaru-radio.com/katoren0045/
お待たせしました!
️テレサこと高嶋由香先生の
ラジオ収録音声です️
初対面の人との親しく話せるコツや
実生活でのお悩み相談に
答えてくれました!
優しさ溢れる優しい声を
お楽しみください!
2019年03月13日
中間管理職の苦悩体験談!
仕事では、自粛モードで広告をしないお客さんが多くなった。
イベントや浦安の一部のホテルでは、レストランの営業をしないところもあった。
浦安といえば、液状化で被害が大きいエリアだった。
電柱が斜めになったり、高層化ンションの土台と道に
大きな段差ができたり、コンビニが地面に沈み
斜めになったりした。
そして断水、ガスが止まる。
浦安の中でも、被害が大きいところと小さな被害で
すんだところがあり、土地の埋め立て方法により
その差がでた、と噂する人もいた。
震災後、ボランティアがきてくれた。
スコップで液状化の泥をとってくれたりした。
仕事で、いち早くその活動を取材し、
最初のページ、フロント面で紹介した。
この記事は、会社の記事の中でも
もっとも、価値のある記事だったと思う。
イベントや浦安の一部のホテルでは、レストランの営業をしないところもあった。
浦安といえば、液状化で被害が大きいエリアだった。
電柱が斜めになったり、高層化ンションの土台と道に
大きな段差ができたり、コンビニが地面に沈み
斜めになったりした。
そして断水、ガスが止まる。
浦安の中でも、被害が大きいところと小さな被害で
すんだところがあり、土地の埋め立て方法により
その差がでた、と噂する人もいた。
震災後、ボランティアがきてくれた。
スコップで液状化の泥をとってくれたりした。
仕事で、いち早くその活動を取材し、
最初のページ、フロント面で紹介した。
この記事は、会社の記事の中でも
もっとも、価値のある記事だったと思う。
2019年03月12日
3月12日 中間管理職の苦悩体験談!
3月12日、8年前は、確か休日だったと思う。
震災後、何が起きたのか、少しずつ情報が入ってきて、
その被害の大きさが理解できるようになった。
昨日から見ている、津波の映像は、
ごく一部ではなく、
東北から千葉県まで襲っていた。
家族は、無事であった。
みんなそれぞれの体験を話し始めていた。
レストランにいた
家に帰る途中など
とにかく無事であった。
これから何が起こるのか
まだこの時点では、わからなかった。
震災後、何が起きたのか、少しずつ情報が入ってきて、
その被害の大きさが理解できるようになった。
昨日から見ている、津波の映像は、
ごく一部ではなく、
東北から千葉県まで襲っていた。
家族は、無事であった。
みんなそれぞれの体験を話し始めていた。
レストランにいた
家に帰る途中など
とにかく無事であった。
これから何が起こるのか
まだこの時点では、わからなかった。
2019年03月11日
3月11日 中間管理職の苦悩体験!
3月11日
前記したように、毎年春のゴルフ大会を開催していた。
ちょうど、8年前のこの日は、中山ゴルフクラブに
社長とプレーをした帰りだった。
鎌ヶ谷大仏駅近くの道を走っていたら
大きな揺れを感じた。
今までに経験したことが無い
揺れを車の中で経験した。
前の車は
飛び跳ねているようにも見え、
道はうねって、電信柱や電線が
大きく揺れていた。
ちょうど目の前にスーパーがあり
中から、多くの人が、叫びながら
飛び出してきた。
しばらくすると、揺れが収まり
帰路を急いだ。
しばらく走ると山の中を走り、
地滑りなど無いかを確認しながら
車を走らせた。
すると、2回目の揺れを感じた。
この揺れも大きかった。
社長が隣に座っていたので、
お互い怖さとすごさを話していた。
社長の家につき、社長のお宅の無事を
確認し、エレベーターも動いていたようだ。
そして、いつもならそのまま帰宅するのだが、
社長は、身支度をして、会社まで行こう!と
私に告げ、私も同意した。
会社に戻るとテレビをつけ
車内にいる社員と見つめていた。
テレビの画面には、
津波の映像が流れていた。
私は、これをみて、
何が起きているのか、すぐには、理解できなかった。
映画のようでもあり、小さな波のようでもあり
また、船が防波堤を超えて行くのをみて
その脅威を感じたり、混乱していた。
地震当時、社内では、ものが落ち
ロッカーから、荷物が飛び出してきたようだ。
また、外出していた営業も帰ってこれない状況だった。
一人は、幕張にいて、渋滞にハマりそして
液状化現象にも直面したようだ。
夜も深まり、だんだん気温が下がり
寒くなってきた。
外を見ると帰宅困難者が、ぞろぞろと
歩いている。
こんな光景は、初めてだった。
会社でも、早く帰れるものは、早く帰り
また、社員同士で近くの社員の家に止まったり、
鉄道が動いていないので、
会社の車を使って帰ったものもいた。
私は、自宅が近いので、24時くらいまで
いただろうか。
その時間でも、寒い中歩いている人で溢れかえっていた。
前記したように、毎年春のゴルフ大会を開催していた。
ちょうど、8年前のこの日は、中山ゴルフクラブに
社長とプレーをした帰りだった。
鎌ヶ谷大仏駅近くの道を走っていたら
大きな揺れを感じた。
今までに経験したことが無い
揺れを車の中で経験した。
前の車は
飛び跳ねているようにも見え、
道はうねって、電信柱や電線が
大きく揺れていた。
ちょうど目の前にスーパーがあり
中から、多くの人が、叫びながら
飛び出してきた。
しばらくすると、揺れが収まり
帰路を急いだ。
しばらく走ると山の中を走り、
地滑りなど無いかを確認しながら
車を走らせた。
すると、2回目の揺れを感じた。
この揺れも大きかった。
社長が隣に座っていたので、
お互い怖さとすごさを話していた。
社長の家につき、社長のお宅の無事を
確認し、エレベーターも動いていたようだ。
そして、いつもならそのまま帰宅するのだが、
社長は、身支度をして、会社まで行こう!と
私に告げ、私も同意した。
会社に戻るとテレビをつけ
車内にいる社員と見つめていた。
テレビの画面には、
津波の映像が流れていた。
私は、これをみて、
何が起きているのか、すぐには、理解できなかった。
映画のようでもあり、小さな波のようでもあり
また、船が防波堤を超えて行くのをみて
その脅威を感じたり、混乱していた。
地震当時、社内では、ものが落ち
ロッカーから、荷物が飛び出してきたようだ。
また、外出していた営業も帰ってこれない状況だった。
一人は、幕張にいて、渋滞にハマりそして
液状化現象にも直面したようだ。
夜も深まり、だんだん気温が下がり
寒くなってきた。
外を見ると帰宅困難者が、ぞろぞろと
歩いている。
こんな光景は、初めてだった。
会社でも、早く帰れるものは、早く帰り
また、社員同士で近くの社員の家に止まったり、
鉄道が動いていないので、
会社の車を使って帰ったものもいた。
私は、自宅が近いので、24時くらいまで
いただろうか。
その時間でも、寒い中歩いている人で溢れかえっていた。
2019年03月08日
中間管理職の苦悩体験!
3月になると思い出す。
当時、会社の紙面連動企画で毎年、
春と夏にゴルフ大会の企画が開催された。
読者参加型のゴルフ大会である。
読者参加型のゴルフ大会と聞くと
通常は大会日の1日でスコアを競うと思う人が多いと思うが
それが少し変わっていて面白い。
最初は、なかなか受け入れられなかったと覚えている。
どのように変わっていて面白いかというと
時間を少し戻すと
企画が開催される1年ぐらい前に
定年後の中年の人が我が社に週3日
入ってきた。
この人は、すごいエネルギーのある人で
明るく行動力のある人だったと覚えている。
ゴルフが好きで
この人のアイディアで企画された。
当時、会社の紙面連動企画で毎年、
春と夏にゴルフ大会の企画が開催された。
読者参加型のゴルフ大会である。
読者参加型のゴルフ大会と聞くと
通常は大会日の1日でスコアを競うと思う人が多いと思うが
それが少し変わっていて面白い。
最初は、なかなか受け入れられなかったと覚えている。
どのように変わっていて面白いかというと
時間を少し戻すと
企画が開催される1年ぐらい前に
定年後の中年の人が我が社に週3日
入ってきた。
この人は、すごいエネルギーのある人で
明るく行動力のある人だったと覚えている。
ゴルフが好きで
この人のアイディアで企画された。
2019年02月26日
懐かしい写真が出てきた!
仕事のため、原稿をまとめようと机に向かったら、
3枚のサラリーマン時代の写真がビニールファイルから出てきた!
懐かしい思い出を書こうと思った。
まずは、プロフィールから・・・
わたしは、31年間サラリーマンとして勤めていた。しかしある時、会社がなくなった。それにともない早期希望退職を半ば、強制的に受け入れた。最終役職が、営業部長兼編集部長だった。そして20代後半からだろうか、役職になり、そこから中間管理職の苦悩な日々が始まった!
さっき3枚の写真が出てきた。
とても懐かしい〜
時系列から言うと、
私が入社して1〜2年だろうか
日付があった86年7月19日
この頃まだ社員旅行が行われていた、正確に覚えていないが2015年前後まであっただろうか。
写真に戻ると
当時の社員旅行は、1泊2日でバス旅行が多かった。
距離的に、伊豆、福島、茨城、湯河原などを交互に行った記憶がある。
そのバス旅行の休憩でパーキングによった時に8人で撮った1枚である。
社長、2人の係長、2人の先輩、2人の同僚、そして私である。
みんな笑顔で楽しそうである。
この頃は、バブル前で、不景気感は少しあったが
個人的には、将来に不安もなく、どちらかと言うとサラリーマン、仕事を楽しんでいた時期でもある。
社長も今にして思えば、会社がなくなるとは、少しも思っていなかっただろう。
そして、会社がなくなる時までいたのが、私だけである。
亡くなった方もいるが、それぞれのタイミングでみんな辞めていった。
3枚のサラリーマン時代の写真がビニールファイルから出てきた!
懐かしい思い出を書こうと思った。
まずは、プロフィールから・・・
わたしは、31年間サラリーマンとして勤めていた。しかしある時、会社がなくなった。それにともない早期希望退職を半ば、強制的に受け入れた。最終役職が、営業部長兼編集部長だった。そして20代後半からだろうか、役職になり、そこから中間管理職の苦悩な日々が始まった!
さっき3枚の写真が出てきた。
とても懐かしい〜
時系列から言うと、
私が入社して1〜2年だろうか
日付があった86年7月19日
この頃まだ社員旅行が行われていた、正確に覚えていないが2015年前後まであっただろうか。
写真に戻ると
当時の社員旅行は、1泊2日でバス旅行が多かった。
距離的に、伊豆、福島、茨城、湯河原などを交互に行った記憶がある。
そのバス旅行の休憩でパーキングによった時に8人で撮った1枚である。
社長、2人の係長、2人の先輩、2人の同僚、そして私である。
みんな笑顔で楽しそうである。
この頃は、バブル前で、不景気感は少しあったが
個人的には、将来に不安もなく、どちらかと言うとサラリーマン、仕事を楽しんでいた時期でもある。
社長も今にして思えば、会社がなくなるとは、少しも思っていなかっただろう。
そして、会社がなくなる時までいたのが、私だけである。
亡くなった方もいるが、それぞれのタイミングでみんな辞めていった。
2019年01月15日
日本酒が飲みたい!
2019年01月14日
朝の散歩は、気持ちいい!
今年から早起きを再開させて、お散歩しようね!
今日もできた〜〜
朝は、気持ち良い!
仕事がうまくいかなくて、落ち込んでいたけど、一緒に散歩すると
気持ちが晴れます️
最近は、散歩の終わりに
庭でボール遊びをします!
一緒に走れて、健康的〜〜
お互いに、朝ご飯が美味しいね〜〜
そうそう、今日の夜に
ママが帰って来るよ!
楽しみだねー
今日もできた〜〜
朝は、気持ち良い!
仕事がうまくいかなくて、落ち込んでいたけど、一緒に散歩すると
気持ちが晴れます️
最近は、散歩の終わりに
庭でボール遊びをします!
一緒に走れて、健康的〜〜
お互いに、朝ご飯が美味しいね〜〜
そうそう、今日の夜に
ママが帰って来るよ!
楽しみだねー