2018年04月26日
仲良きことは 親日 その6 ヒグチ・ルート
杉原千畝がリトアニアで
命のビザを発行する2年半前の1937年12月、
第一回の極東ユダヤ人大会が、
関東軍の許可を受けて開催された。
大会に出席したハルピン陸軍特務機関長の樋口少将は
「ユダヤ人追放の前に、彼らに土地を与えよ」
と祝辞でナチスドイツを間接的に厳しく批判した。
それから4か月後の1938年3月、
ソ連・満州国境沿いのシベリア鉄道オトポール駅(現在のザバカリスク)で
のちにオトポール事件と呼ばれる問題が起きた。
オトポール駅には、
ナチスの迫害からシベリア鉄道で逃れて来た
18名のユダヤ人が立ち往生していた。
彼らの亡命先は米国の上海租界である。
当たり前の話だが、
上海に行くには満州を通過しなければならない。
しかし、彼らはナチスから逃れることが先決で、
長いシベリア鉄道のさらに向こうのことを
考える余裕などなかったのだろう。
日本の同盟国ドイツに配慮しなければならなかった満州国外交部は、
彼らに入国許可をあたえることをためらったため
彼らはオトポールに足止めされていた。
極東ユダヤ人協会代表は
4か月前の大会の祝辞でナチスを批判した樋口に相談した。
樋口は、ただちに彼らへの人道的支援(医・食・衣など)
を行うばかりでなく、
シベリアからの出国、満州国への入植や上海租界への移動の手配を行った。
ユダヤ人から「ヒグチ・ルート」と呼ばれた
この脱出路の通行を担当したのは東亜旅行(現JTB)であり、
その記録では、1938年からの3年間で4370名の多くをかぞえている。
しかし、ドイツへの外交的配慮もあって公的な文書としては残されていない。
一説には2万人程度ではなかったかという。
ナチスから逃れヨーロッパを脱出したユダヤ人は20から25万人ともいわれており、
2万人説が荒唐無稽な話とも思えない。
この事件は当然のごとく外交問題となり
ドイツ外相から抗議文が届いた。
関東軍内部でも主にユダヤ陰謀論者を中心に
樋口に対する批判は高まったが、
樋口は関東軍総参謀長東条英機中将に
「ヒトラーのおさき棒を担いで弱いもの苛めをすることは正しいと思いますか ? 」
とナチスの非人道的行為を批判し自身の考えを伝えた。
それに共鳴した東条は樋口の一連の行動を不問とし、
植田関東軍司令官も樋口、東条を支持した。
そのため、関東軍内部の批判も徐々に収まっていった。
また、ドイツからの再三の抗議にも東条は
「当然なる人道上の配慮によって行ったものだ」と一蹴した。
外交官杉原千畝といい関東軍樋口・東条といい
当時の他国では考えられない「人道」を貫いている。
しかも、杉原・樋口ともに大きなリスクを負ながら、
自身の判断で行動している。
東条は樋口を守ったが、
外務省は杉原を退官させている。
この差は大きい。
現在、自衛隊の世界トップの規律と
外務省が害務省と呼ばれてしまうようなていたらくに
繋がっているのではないか。
次回に続く
命のビザを発行する2年半前の1937年12月、
第一回の極東ユダヤ人大会が、
関東軍の許可を受けて開催された。
大会に出席したハルピン陸軍特務機関長の樋口少将は
「ユダヤ人追放の前に、彼らに土地を与えよ」
と祝辞でナチスドイツを間接的に厳しく批判した。
それから4か月後の1938年3月、
ソ連・満州国境沿いのシベリア鉄道オトポール駅(現在のザバカリスク)で
のちにオトポール事件と呼ばれる問題が起きた。
オトポール駅には、
ナチスの迫害からシベリア鉄道で逃れて来た
18名のユダヤ人が立ち往生していた。
彼らの亡命先は米国の上海租界である。
当たり前の話だが、
上海に行くには満州を通過しなければならない。
しかし、彼らはナチスから逃れることが先決で、
長いシベリア鉄道のさらに向こうのことを
考える余裕などなかったのだろう。
日本の同盟国ドイツに配慮しなければならなかった満州国外交部は、
彼らに入国許可をあたえることをためらったため
彼らはオトポールに足止めされていた。
極東ユダヤ人協会代表は
4か月前の大会の祝辞でナチスを批判した樋口に相談した。
樋口は、ただちに彼らへの人道的支援(医・食・衣など)
を行うばかりでなく、
シベリアからの出国、満州国への入植や上海租界への移動の手配を行った。
ユダヤ人から「ヒグチ・ルート」と呼ばれた
この脱出路の通行を担当したのは東亜旅行(現JTB)であり、
その記録では、1938年からの3年間で4370名の多くをかぞえている。
しかし、ドイツへの外交的配慮もあって公的な文書としては残されていない。
一説には2万人程度ではなかったかという。
ナチスから逃れヨーロッパを脱出したユダヤ人は20から25万人ともいわれており、
2万人説が荒唐無稽な話とも思えない。
この事件は当然のごとく外交問題となり
ドイツ外相から抗議文が届いた。
関東軍内部でも主にユダヤ陰謀論者を中心に
樋口に対する批判は高まったが、
樋口は関東軍総参謀長東条英機中将に
「ヒトラーのおさき棒を担いで弱いもの苛めをすることは正しいと思いますか ? 」
とナチスの非人道的行為を批判し自身の考えを伝えた。
それに共鳴した東条は樋口の一連の行動を不問とし、
植田関東軍司令官も樋口、東条を支持した。
そのため、関東軍内部の批判も徐々に収まっていった。
また、ドイツからの再三の抗議にも東条は
「当然なる人道上の配慮によって行ったものだ」と一蹴した。
外交官杉原千畝といい関東軍樋口・東条といい
当時の他国では考えられない「人道」を貫いている。
しかも、杉原・樋口ともに大きなリスクを負ながら、
自身の判断で行動している。
東条は樋口を守ったが、
外務省は杉原を退官させている。
この差は大きい。
現在、自衛隊の世界トップの規律と
外務省が害務省と呼ばれてしまうようなていたらくに
繋がっているのではないか。
次回に続く
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/7591185
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック