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2019年05月08日

語り継ぐべきこと 北海道を救った戦い その1

大東亜戦争において、日本軍は世界の範となる軍隊であった。

その中にあっても、

いくつものの後世に語り継がなければならないことがある。


千島列島の北の端に「占守島」がある。

現在はロシア領であるが、

この島でソ連から北海道を守った戦いがあった。


8月15日の玉音放送も遠い占守島では

よく聞き取れなかった。

しかし、日本が降伏したことの知らせがあり、

各部隊は終戦業務に取り掛かっていた。


ところが、ヤルタ会談の密約により、

満州同様ソ連軍は北海道占領を目指して、

占守島制圧に取り掛かった。


ソ連の戦車部隊は海上を渡ることは得意でない。

そこで、ソ連領から近い占守島への上陸を謀ったわけだ。

「占守島は一日で占領する」と豪語して・・・・。


8月18日、

ソ連軍は占守島北端に数千の兵を上陸させてきた。

上陸地点の竹田浜には2個小隊だけ。

たちまち包囲攻撃され激戦となった。

救世主となったのは、

「戦車隊の神様」といわれた池田連隊長の戦車部隊。

戦車は64両しかなかったが、

「断固、反撃に転じ、ソ連軍を撃滅すべし」。

ソ連軍歩兵、戦車部隊をコテンパンにして、

上陸地点まで押し返した。


池田末男連隊長は出撃前に部下に問いかけている。

『われわれは大詔を奉じ、家郷に帰る日を胸に、

ひたすら終戦業務に努めてきた。

しかし、ことここに到った。

もはや業魔の剣をふるう他はない。

そこで皆に敢えて問う。

諸子はいま、赤穂浪士の如く恥を忍んで

将来に仇を報ぜんとするか、

あるいは白虎隊のように玉砕もって

日本民族の防波堤となり後世の歴史に問わんとするか。

赤穂浪士たらんものは一歩前に出よ、

白虎隊たらんものは手を挙げよ』

「戦車第十一連隊史より」


その言葉が終わる間もなく嘆声とともに全員の手が挙がった。


かくして、戦車第十一連隊・士魂部隊は、

師団、旅団の両司令部に次のような電文を残して、

ソ連軍の真っただ中に突入していった。


『戦車第十一連隊将兵は四嶺山麓にあり、

志気壮健なり。

連隊はこれより敵中に突入せんとす。

祖国の弥栄と平和を祈る』


この戦いで池田連隊長をはじめ、約500名の命が奪われた。

ソ連軍は約3000名。

日本軍の圧勝だった。


これによって、ソ連軍は北海道の占領計画は夢となった。


日本はドイツのような分割統治をまぬかれたのだ。
posted by smile at 18:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | コラム
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