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2013年05月20日

奈良 飛鳥時代へ 番外編

G/Wの真っ只中に、奈良県明日香村へ出向いて飛鳥時代に思いを馳せて来ました。

今回は、その番外編です。


実は地元の京都山科にもソコソコ大規模な遺跡があります。
その遺跡の名は、「中臣遺跡」と言われています。
そうです、大化の改新で有名な中臣鎌足中臣です。


中臣鎌足は大化の改新に力を尽くした後、山科に「陶原の館(すえはらのやかた)」と言う邸宅を建て、晩年をすごしたと言われています。
その名残か、山科には中臣町と言う町名があり、「中臣遺跡」もその地で発見されたのでその名が付いたと思われます。


余談ですが、G/Wの奈良の飛鳥に言った時、近鉄電車で京都駅から飛鳥駅まで1時間半近くかかりました。
地図で調べると、山科〜飛鳥間は直線距離で約60km有ります。
徒歩しか移動手段の無い飛鳥時代の人にとって、コレは凄く遠い距離だと思われます。
又、現代なら情報が豊富なので、どれだけ遠い場所でも調べればどんなところか解りますが、飛鳥時代なら口コミのあやふやな情報しか無いでしょう。
良くぞそんな遠く離れた、どんなところか解らない場所に行こうと思いたったものですね・・・

中臣遺跡の発掘調査は現在行われていません。
既に発掘調査は終っていて、遺跡の有った所には石碑や案内板が建っているだけです。


折上神社内にある中臣遺跡群集墳跡の石碑と群集墳。


因みに、画像左端に映っている石塔は「宝くじ、投資、賭け事」にご利益が有るとされている「宝大神」です。
(何時も拝んでいるのですが・・・まだご利益は有りません)

少し離れたところの児童公園にある中臣遺跡跡を示す案内板


チョット無理すれば読めないことも無い?

コレも少し離れたところにある市営住宅建て替え時に調査された遺跡。


アップにしましたが、読めないですかね・・・?


又少し離れたところにある中臣遺跡発見場所。

高校生が石のナイフ(矢じり?)を見つけたのをキッカケに、付近一帯の遺跡が発見されたと言う事らしいです。


残念ながら、中臣鎌足の「陶原の館(すえはらのやかた)」の場所は現時点では特定されていません。
が、ソコソコ大規模な遺跡があったところをみると、この辺り一帯は弥生時代くらいからかなり集落があったものと推測され、中臣鎌足が飛鳥から移り住んだ事は間違いないと思われます。


天智天皇が滋賀県の大津に遷都したのも、中臣鎌足がこの地に住んでいた事が関係していた とも言われています。
天智天皇稜も山科にあります)



手作り雑貨のネット販売(自分で作ったものを出品する事も出来るようです)

posted by タレゾー at 02:02 | 京都
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