私たちの正体は何でしょう?
自己啓発界の世界的カリスマであるアンソニー・ロビンズ氏は、著書
『アンソニー・ロビンズの自分を磨く』(訳者 本田健 三笠書房)
の中で、
私たちの正体について、
こう述べています。
「私は、人生のあらゆる側面を正しく理解する力を伸ばしたいと、常に思っている。
そのため、
ユニークな経験ができることはないかと、いつも探しも求めている。
数年前、私はベルビュー病院の遺体安置所を訪問することにした。
というのも、
精神科の責任者を務めていた友人のフレッド・コーバン先生に、
命を理解するには、
死を理解しなければならないと言われたからだ。
先生のオフィスに着いた時は、
妻も私も不安でいっぱいだった。
先生は私たちを座らせ、
最後までひと言もしゃべらないように、というアドバイスをくれた。
『なりゆきにまかせて、どういう感情が湧き上がるかに注意するように。後でゆっくりお話ししましょう』
と言われた。
何が起こるかわからないまま、
私たちはドキドキしながら先生の後から階段を下りていった。
先生が案内してくれたのは、
身元不明遺体の安置室で、
その多くは貧困層の人たちのものだった。
最初の引き出しの死体袋のファスナーが開けられた瞬間、
全身を悪寒が走った。
目の前にいるこの『人』からは、
空虚感しか覚えなかった。
妻は、遺体が動いたと思って、震え上がった。
後から先生に聞いたところ、
妻のような反応は極めて一般的なものらしい。
全く動かない肉体、
生命の脈動のない肉体を前にすると、
どう反応していいかわからないのが普通なのだ。
次々と引き出しが開けられるたびに、
私は何度も同じ感覚に襲われた。
そこには誰もいない。
肉体はあるが、人がいない。
死が訪れると、
生きている時と体重は変わらないが、
その人の本質(それが、どのようなものであれ)は、
そこにはない。
肉体が人なのではない。
進むにつれて確信は深まった。
ここにないものは、
目に見えず、
重さのないアイデンティティ、
生命の本質、
つまり魂だった。
生きている間も、私たちは
『肉体が自分ではない』
ことを肝に銘じておかねばならないと思った。
私たちは自分の過去でもなく、
その瞬間の行動でもない。
(中略)
この経験で、
私は生命という『神聖な贈り物』に計り知れない感謝の念を覚えた。
自分がどれだけ恵まれているかを思い出すには、
ほんのちょっとした比較対象があるだけで充分だ。
最近、
作家のウエイン・W・ダイアーを訪問した時、
彼がこの気持ちをうまく言い表わしてくれた。
『私たちは霊的経験を持った人間なのではなく、人間的経験を持った霊的な存在なのです』
彼の言葉は、
私の感覚を的確に表現している。
アイデンティティというのは、
私たちが日々経験することの土台であり、
根幹である。
私たちの本当のアイデンティティとは、
定義できるものではなく、
言葉で説明できないほど偉大なものなのだと思う。
私たちは魂であり、
霊なのだ。
『自分は何者なのか』
ということを心に留めておけば、
すべて納得がいくのではないだろうか。
『人間は霊的な存在である』
とわかって行動する限り、
一人ひとりを孤立させるつまらないゲームは必要ない。
心の奥底では、
すべての創造物はつながっていることを確信しているのだから。」(269頁〜271頁)
ウエイン・W・ダイアー博士やアンソニー・ロビンズ氏が述べているように、
私たちは、
『時々スピリチュアルな経験をする人間ではなくて、時々人間の経験をするスピリチュアルな存在』
です。
これが、
“正当な自己認識”
です。
私たちは、
『宇宙全体を創り出している根源的な知性である宇宙意識(宇宙スピリット)の一部』
です。
『あなたは宇宙のさざなみである』(ディーパック・チョプラ)
“aham brahman asmi”
(アハム・ブラフマン・アスミ)
(参考図書)
『アンソニー・ロビンズの自分を磨く』
(著者 アンソニー・ロビンズ 訳者 本田健 三笠書房)
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