『陰徳あれば必ず陽報あり』
〔出典 淮南子 人生訓〕
という成句があります。
意味は、
『人知れず善行を積んだ人には、よい報いが目に見えて現れる。―広辞苑―』です。
かりに人目につかなくても、良い行いをすれば必ずいつか良い報いがあります。
類句で
『積善の家には必ず余慶あり』
〔出典 易経〕
があります。
英語では、
“Happiness will visit the family who have done good deeds.”
(幸福は善行を積んだ家を訪れる)
と言います。
これらの成句を知ってから、私は陰徳を心掛けるようにしました。
たとえば、ファミレスやコンビニでトイレを利用したとき、洗面周りを拭いたり、鏡を磨いたり、床や便器をキレイにしたり、しています。
ディスカウントストアの外にショッピングカートが放置してあれば中にいれています。
公園や家の周りのゴミを拾っています。
ここで大切なことは、陽報を期待して行なうのではない、ということです。
英国の諺にこうあります。
“Emolument is not object to me.”
(報酬は私の目的ではない)
ただ単に、気持ちがいいから行なうだけです。
その良い気分が良い波動となって良い出来事を引き寄せます。
つまり、
陽報は結果であって目的ではない、
ということです。
パッションジャパン株式会社COOで、作法家の三枝理枝子さんは、著書
『人間力のある人はなぜ陰徳を積むのか』
(公益財団法人 モラロジー道徳教育財団)
の中で陰徳について、こう述べています。
(56頁)
「 陰徳を行なうとは、わかりやすく言えば
『自分を慎む』
ことです。
『慎』 という字は、『心』 を表すりっしんべんに 『真』 の字が組み合わさってできています。
自宅謹慎などという熟語のイメージから、慎むとは、悪い行いの罰として行動を控えることだと誤解している方があるかもしれません。
本当の 『慎む』 とは、
静かに内面を掘り下げて本当の自分を知ること、
気づいていなかった『新しい自分』に出会うこと
だと私は解釈しています。」
陰徳を心掛ければ、
『本当の自分』
『己の魂(スピリット)』
に出会えます。
『天に眼』
『天の配剤』
という成句がありますが、誰も見ていなくても、『天』と『己の魂』 は見ています。
『陰徳あれば必ず陽報あり』
という成句をあなたの
『座右の銘』
に加えてみませんか?
(結論)
『人知れず善行を積もう!』
『人間力のある人はなぜ陰徳を積むのか』
(著者 三枝理恵子 モラロジー道徳教育財団)
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