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2020年04月13日
オッサンのDream Journey(昔の人はエライ! 東海道五十三次 掛川宿〜日坂宿)
今回は掛川宿から日坂宿へ向かいます。一里十九丁(約6.9Km)の道のりです。
日坂宿の、西の入り口は西側の下木戸高札場であろうと思われます。
掛川宿と日坂宿の間には、葛川一里塚、伊達方一里塚、事任八幡宮、などがあります。
掛川宿、東の七曲りを出て少し行くと葛川一里塚と馬喰橋に差し掛かります。馬喰橋は橋の親柱が馬の顔だから馬喰橋だそうですが、東海道膝栗毛の弥次喜多が座頭をからかい川に落とされた場所らしいです。
馬喰橋を渡り4Km程進むと伊達方一里塚です。こちらの一里塚は史跡として整備されてはいるそうです。
伊達方一里塚から暫く行くと、事任八幡宮があります。ことのまま八幡宮とよみます。この神社は807年坂上田村麻呂が東征の際、再興したという事で、武家社会になると八幡宮信仰が栄え、源頼義が石清水を勧請し事任神社が八幡宮を併称するようになったとの事です。昔から「必ず願いごとのままに叶う」神社として朝廷や全国から崇敬され、枕草子にも記されているそうです。境内には樹齢千年と言われる杉の巨木が立っています。
事任八幡宮から少し進むと下木戸高札場です。此処が日坂宿西の入り口になります。
日坂宿は、江戸から25番目の宿場で、坂下宿、由比宿、に次いで3番目に小さい宿場との事です。東海道の3代難所の一つ小夜の中山の西麓に位置し、入坂、西坂、新坂などと記され日坂宿と読まれたりもしていた様です。
その、日坂宿には、下木戸高札場、旅籠川阪屋、脇本陣黒田屋、問屋場跡、本陣扇屋,などが有ります。東の入り口は県道415号を横切る交差点辺りになる様です。
下木戸高札場は江戸時代宿場の治安を守るため木戸が設けられていましたが、規模の小さい日坂宿では川が門の役割を果たしていたそうで、高札場と隣接していた為下木戸の高札場とも言われていたそうです。
この先、旅籠川阪屋、脇本陣黒田屋、問屋場跡、本陣扇屋の史跡が続きます。
旅籠川阪屋は、脇本陣などの肩書はありませんが身分の高い武家や、公家も宿泊した格の高い旅籠だった様で現在は資料館になっているそうです。
日坂宿で最後の脇本陣を務めたのが、黒田屋との事です。残念ながら脇本陣黒田屋、問屋場跡、本陣扇屋は看板のみの掲示となっている様です。
日坂宿で頂かなければいけない物は無いか?探した所、掛川宿と日坂宿の間掛川寄りに約二百年茶店を営んでおられる所が有り、そこの名物が振袖餅というお餅だそうです。着物の振袖の形に似ていた事から振袖餅と言ったそうです。
この後、遠江国最後の宿場金谷宿を目指します。距離は一里二十四丁(約8.1Km)となります。