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2019年07月25日
信じる事、任せる事、そして・・・寄り添う事
このブログのタイトルにも含まれている『見守る』と言うキーワードは、もはや少年サッカーの世界では知らぬ人はいないのではないのでしょうか?
私が、旧ブログを立ち上げた当時は、まだまだマイナーな考え方であったと言えますかね。
ただ、今でも『見守る』ってどう言う事なのか・・・摸索中な訳なんです。(汗)
これ・・・人の数だけ答が在るんじゃないかな・・・って思っています。
何でもそうなんですが、人のマネをしようと思っても中々上手くなんていきませんよね。(^^;
育児書通りに子育てしている方なんて、見た事ありません。(笑)
だから、自身で考える・・・って凄く大事な事なんだろうと思う訳なんですね。
自分達の置かれている環境、状況に合った子供との接し方ってある筈なんです。
これは、親としてでも、指導者としてでも、それ程大きく変わらないと思うんです。
出来る事は出来るし、出来ない事は出来ない・・・違いますかね?
無理して背伸びしてみても、そんなメッキは直ぐに剥がれてしまいます。(^^;
等身大の自分で乗り切るって・・・出来ている様で、中々出来ていないんですよね。(汗)
今現在の私の『見守る』と言う事に対する考え方を少し書いてみたいと思います。
参考にはならないとは思いますけどね〜。(^^;
ただ、このブログの根底に流れている物を感じてもらえれば・・・って思います。
息子が少年団にいた当時から、現在迄の乏しい経験から生まれた考え方でしかないので、その辺は察して頂けると助かります。
私が、心掛けている事は『信じる事』と『任せる事』、そして『寄り添う事』です。
これは、息子に対しても、指導している子達に対しても同じ様にしています。
息子が3年生の時、「これじゃ、いけない・・・」と思ってからは、ダメ出しも、指導まがいの事も、殆どしていません。
泣きながら・・・大好きなサッカーを辛そうに・・・本当に辛そうにプレイしている息子を見てからです。
「何を子供のサッカーに求めているんだ?」って自問自答の繰り返しでしたね。(^^;
そして、至った境地が『高がサッカー』だった訳です。
その頃から、他のパパさんコーチに息子の事はお任せする事にしました。
息子から誘って来た時に、一緒にボールを蹴る程度でしたね・・・それからは。(^^)
私はと言うと、その頃から他の子達のサポートに専念し始めた訳です。
何で、自分の息子にもこう言う風に接する事が出来なかったんだろう・・・って、近過ぎて見えなかった物があった事に気が付きます。
その1つが、チーム内での私の存在が息子にとって悪影響を及ぼしていたと言う事でした。
指導する側に立つ私の存在は、息子にとってプレッシャーでもあり、甘えを生じさせる原因となっていた様なんですね。
そんな訳で、次第にベンチに入る事も遠ざかる様になって行きました。
時々、人手不足の時にヘルプで入る程度に留め、保護者席から応援する事に留める事にしたのです。
上手く行ったかどうかは分かりませんけどね。
ただ、中学、高校とサッカーを続けられているし、今は本当に楽しそうにサッカーをしていますから・・・そう言う所を見る限り、間違ってはいなかったんだろうと思います。
旧ブログからず〜っと見てくれている方には、良く解ると思いますが・・・6年生では、殆ど試合に出られなかった息子が、中学に入って直ぐに飛び級として活躍の場を与えられ、チームの主力となり、最後の最後で選抜にも合格し・・・高校になった今でも、飛び級としてチャンスを与えて貰っている・・・凄い事なんだろうと思います。
中学サッカーで燃え尽きてしまって、道に迷い始めてしまった息子を救ってくれてのもサッカーでした。
その全ての時に、『信じる事』『任せる事』『寄り添う事』を心掛けて来た訳で、それが私の『見守る姿勢』だったと言えます。
怒りに任せて、感情をぶちまけていたら・・・今頃息子は、行方不明でしょうね。(笑)
信じる事も任せる事も、ある程度普段からやっている事なんだろうと思います。
年齢と共に、その比重も上がって行く物でもあるのでしょうし・・・別に特別な事じゃありませんよね?
言い換えるなら、1人の人間として見る、扱うって事なんだろうと思います。
ただ、未だ子供でもありますから・・・ちゃんと見ているよ・・・ってサインは出し続けてあげないといけないのかなって思う訳です。
寄り添うと言う事は、一見『見守る』事とは真逆の事を言っている様に感じてしまうかも知れませんね。
言い換えるのなら・・・手を差し伸べる事でしょうか・・・?
色々な意味で、共有する事なのかも知れません。
ん〜安心感を与える事・・・これが一番しっくり来るのかも知れませんね。(^^;
どんな状況下に在る時でも、何時もそこにいるよ・・・って言う安心感なんだろうと思います。(^-^)b
親ってそう言う存在じゃなかったでしたっけ・・・?(^^;
自分が子供の頃を思い返すと、そう言う感じだった気がします。
もう他界してから、相当経ちますから・・・今となっては聞きたい事があっても何も聞けない・・・でも、子供達には未だ私と言う親が生きている訳で、その部分の安心感は想像以上なんだろうなって思います。
これらの話は、指導している子供達と接する時にもそのまま当てはまる様な気がしてます。
『見守る』って、何も特別な事をする必要なんて無いんだと思うんですよね。
本当に、子供達を1人の人間として見られるかどうか・・・ただ、それだけなんだろうと思います。
ただ、未だ子供ですから・・・大人以上に距離感を大切にしないといけない様な気もしますけどね。
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