ベートーヴェンの交響曲第9番は、現在では名曲であるとの評価も定まり、人々に親しまれている曲ですが、当初から現在のよう評価を得ているわけではなかったようです。
評価される場合もあり、また、評価されない場合もあったようです。
私にとっても、合唱に参加した時は、第九を何度も聞いて親しんでおりましたが、ほどなくして、聴かなくなりました。
何か重々しい感じがし始めたからです。
また、あまりにも人々に親しまれており俗っぽく感じてしまったこともあります。
しかし、最近、さまざまな第九を聴くにつれ、単なる重々しさを感じることもなくなり、俗っぽい雰囲気を感じることもなくなり、第九を純粋に楽しめるようになりました。
第九がどうのこうのというよりも、私自身が変わったということでしょう。
第九は、いろいろな評価を受けることがやむを得ないほどの大きな作品といえます。
「この交響曲は幾多の解釈に対して開かれており、称賛と非難に共に等しく堪えうる強さをもっているように思われる」(ルイス・ロックウッド『ベートーヴェン』春秋社 647頁)
第九は、強い作品であると共に、大きく深い作品です。そこが人々の心を引き付けるのでしょう。
「この作品の崇高な、精神を高揚させるような象徴性が包含しているのは、百万の人々それ自体にとどまらず、すべての個々人の命運が大事であるように百万の命運も大事であるような世界への信頼なのである」(同書 648頁)
人々の繋がりを謳い上げ、理想的な世界への憧憬もあります。
未来に開かれているといった感じを受けます。
聴けば聴くほど引き込まれるいい曲です。
多くの人々に親しまれているのは、それなりの理由があるからであり、単に俗っぽく感じる方が俗っぽいのですね。
いいものはいいと素直に感じ取ればよいと思います。