「わたしは数え切れないぐらい何人もの音楽家に会ってきたが、世間一般がいうところの、表の名声とは違って、人間としてあまり尊敬できない音楽家がずいぶん多いように思う。だからといって、一流ではないとは限らない。でも、わたしの思う一流の音楽家、演奏家は、こころが広く、教養があり、人間性があって、音楽に対して偏見も差別もない純粋性のある人のこと。その意味でも、バーンスタインはとても誠実で、わたしの尊敬できる唯一の一流の音楽家なのだ」(フジ子・ヘミング『フジ子・ヘミング 魂のピアニスト』求龍堂 97頁)
単に、演奏会やCDにて音楽を聴いているだけですと、音楽家、演奏家の表の名声しか知り得ません。
直接、音楽家、演奏家との接点があるフジ子・ヘミングさんが体験したことを通して、音楽家、演奏家の表の部分だけでない違った一面を知るに至ります。
フジ子・ヘミングさんによると、ほとんどの音楽家、演奏家は、人間性に深みがないようです。
やはり、自分の音楽で精一杯という現状があるのでしょう。
また、音楽家、演奏家は、他の人との関わりというよりも音楽そのものとの関わりにほとんどの精力を注ぎこむため、人間関係、人間性を陶冶する機会がほとんどないのかもしれません。
仏教の知見を援用すると、縁覚界の限界といえるでしょう。
しかし、レナード・バーンスタインは、音楽家として一流であるだけでなく、人間性においても一流であったようです。
アメリカという国の大らかさ、フレンドリーなところを体現している人だったのでしょう。
「カラヤンは人間的には深みがない面が多すぎたけれど、オーケストラから素晴らしい音を引き出す天才だった」(同書 86頁)
フジ子・ヘミングさんのカラヤン評は、人間性に関しては辛辣、音楽に関しては抜群との評です。
ヨーロッパの人は、階級社会の伝統の中で生きているからか、差別する癖が抜けないのかもしれません。
それが、人間性に悪影響を及ぼしているともいえます。
反面、アメリカの人の方は、自由の国らしく、自由で気さくでフレンドリーという感じがします。
日本は、階級社会の伝統もある国といえるでしょうが、現代になってからは、特にアメリカの影響を強く受け、自由気ままな感じも見受けられます。
差別が根強くありながら、差別をしない生き方をさりげなくできる人々も多いという印象を受けます。
日本は、ヨーロッパ的であると共にアメリカ的でもあるという特殊な国といえるでしょう。
フジ子・ヘミングさんの言うように人間的にも尊敬できる音楽家が理想ですが、そのような人はほとんどいないというのが現状でしょうから、音楽家には特別に人間性を求めるというのではなく、音楽そのもので評価して楽しむのがよいでしょう。