今回は、国書刊行会の『西條八十全集』第六巻からのご紹介ですので、歴史的仮名遣いです。
まずは、見てみましょう。
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ぼくの帽子 西條 八十
―母さん、僕のあの帽子どうしたでせうね?
ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、
谿底へ落したあの麦稈帽子ですよ。
―母さん、あれは好きな帽子でしたよ、
僕はあの時、ずいぶんくやしかつた、
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。―
―母さん、あのとき、向から若い薬売が来ましたつけね。
紺の脚絆に手甲をした。―
そして拾はうとして、ずいぶん骨折つてくれましたつけね。
けれど、たうとう駄目だつた、
なにしろ深い谿で、それに草が
背たけぐらゐ伸びてゐたんですもの。
―母さん、ほんとにあの帽子、どうなつたでせう?
あのとき傍に咲いてゐた、車百合の花は
もうとうに、枯れちやつたでせうね。そして
秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
あの帽子の下で、毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ。
―母さん、そして、きつと今頃は、―今夜あたりは、
あの谿間に、静かに雪が降りつもつてゐるでせう、
昔、つやつやひかつた、あの以太利麦の帽子と、
その裏に僕が書いた
Y・Sといふ頭文字を
埋めるやうに、静かに、寂しく。―
(『西條八十全集』第六巻 国書刊行会 61頁〜62頁)
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「ぼくの帽子」は、1922年(大正11年)2月1日、「コドモノクニ」に発表されています。
当然、歴史的仮名遣いで発表されていますので、そのままの形で読んでみたいと思ったわけです。
やはり、現代仮名遣いは読みやすいけれども、歴史的仮名遣いの風情にはかないません。
西條八十が書いたとおりに読むというのがいいですね。
今から92年前に発表された作品ですが、古臭さが全くありません。
否、新しいとさえ感じられます。
この詩には魅力がありますね。
不思議な魅力があります。
夏から秋へ、そして冬へ、季節の変化の中で麦稈帽子に纏わる感情が豊かに描かれています。
子供のための詩として発表されたものですが、実際は、大人のための詩といえるでしょう。
年を取れば取るほど、この詩に籠められた情感を感じ取ることができます。
映像が浮かび上がってくるような詩であり、人生経験を経るごとに、その映像が豊かになっていくようです。
読む人間の器が大きくなれば、この詩は大きく感じられ、読む人間の器が小さくなれば、この詩は小さく感じられることになるでしょう。
読む人間の力量が試される詩といってよいでしょう。
いずれにしても、日本語の美しさを感じさせてくれるこの詩を大切にしていきたいと思います。
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