2014年05月28日
ショーウィンドー 【日記】
【日記】
![ショーウィンドー.jpg](/sharingtreasures/file/E382B7E383A7E383BCE382A6E382A3E383B3E38389E383BC-thumbnail2.jpg)
浜名湖花博に行って来た。
会場は静岡県の「はままつフラワーパーク」と「浜名湖ガーデンパーク」。
数年前までは花の勉強のために、長野県とか山梨県まで遠征に行ったりもしたけど、このところは経済的理由と心理的理由でなかなか行けてなかった。
花を見ると、どうしても現実に引き戻される…。
今の自分って何してるんだろって。
ガーデナーになることを夢見て、親の反対も押し切って強行突破して、やっと専門学校に入れた。
もう十分でしょって。人の話をぜんぜん聞いてくれなくて、それだったら奨学金もらってでもアルバイトしてでも自分一人の力で専門学校に行ってやる!くらいの気持ちだった。
その時は結局、親の方が折れて、生活費の援助はしてくれたけど。
それなのに、大学を卒業してから専門学校に行かせてもらったのに。
大学の時に上手く行かなかったように、二回目の就職活動も、なかなか就職先が決まらなかった。
自分でやると言った事だし、結局は親に力になってもらっているのに。
ここで就職できなかったなんて、絶対に言えない。
就職先は「園芸が出来る」「ガーデナーになれる」会社以外、ありえない。
何が何でも見つける!絶対に就職する!
その気持ちだけで満たされてた2年間。神様は見捨ててなかった。
クリスマスの日に内定の連絡が来た。
やりたい事がやれる会社に入れた!
沢山大変な事はあるだろうけど、やりたい事がやれるんだ、頑張るだけだ!
就職して3ヶ月、二人しかいなかった先輩の一人が会社の方針と考えが合わずに辞められた。
就職して半年、もう一人の先輩が産休に入られた。
知らない土地での就職で、全く土地勘が無い。
高校3年でとった運転免許も、ずっと乗ってなくてペーパードライヴァー。10分くらいの通勤のために、オートマの軽自動車に乗るのさえ冷や汗をかいていた自分。
それが、仕事のためにミッションの2tトラックを運転して現場に行くのが、毎日の日課となった。
道は分からない、運転は怖い。頼れる先輩も居ない。
現場に着くまでだけで疲れていた。
新卒の社会人で、社会人としてのマナーとかも分からない。
二人の先輩が担当していた仕事を一人で引き継ぐ事となった。
仕事の流れも分からない。植物などの専門知識もぜんぜん足りてないし、実践的な経験もゼロ。
そんな状態でも役所の担当者と打ち合わせしたり、お客様に色々と説明しなければいけない。
現場では、一番何も分かっていない自分が現場監督として指示出ししなければいけない。
直接は関わっていない先輩方も「分からない事は質問してね」と優しかったけど、質問するにも分からない事が分からなかった。
昼間は労働作業をして体力的に疲れて、17時近くに会社の事務所へ戻ると、今度は事務処理作業が待っている。
公共の仕事は書類の量がハンパない。
そして、その作る流れも分からないし完成形も知らないから、自分が何をしているのか分からない時の方が多かった。
また、そんな合間を縫って、お客様に説明するための資料作りや花苗・資材などの発注作業もあった。
毎日がしんど過ぎて、でも大学の時の就職活動が上手くいかなくて、さらに専門学校を卒業してまでやっと掴んだ夢の切れ端。
大変でも、やりたい事がやれている自分は幸せなんだ。
その気持ちだけで何とか毎日を続けた。
![](https://www25.a8.net/svt/bgt?aid=140623469746&wid=001&eno=01&mid=s00000013704001014000&mc=1)
![](https://www14.a8.net/0.gif?a8mat=2BQ1RH+CC5E2A+2XQO+61C2P)
就職2年目くらいだったかな…朝の通勤中に交通事故に遭った…というか事故を起こした。
車対車で、対向車が右折でこっちが直進だったから、こちらの責任は少なめだった。
相手の車の側面にぶつかって、歩道のガードレールまで飛ばされた。突っ込んだ。
今考えると、登校中の学生とかがそこに居なくて本当に良かった。取り返しのつかない事になるところだった。
でも、事故を起こした時に私の頭にあったのは「今日は会社に行かないで済むかも…」という気持ちだけ…。
幸い(?)会社は実家に連絡しなかったみたいだし、自分でも、親に心配かけて「辞めて帰って来い」と言われるだろうと思って、親には連絡しなかった。
仕事に対する恐怖心、何も出来ない自分への幻滅や劣等感、これでいいのかという不安。
辛いことばかりの毎日だったけど、他にやりたい事は無い。
自分の夢はこれしかない。その結論は変わらなかった。
産休に入っていた先輩が戻られて、自分でも少し仕事を理解し始めていたような頃。
会社の方針で、違う部署へ異動させられた。
やっと少し慣れて、気持ちに余裕が出ようとしていた時なのに、また新人の気持ちで始めなければいけない。
おばあちゃん子だった私は、おばあちゃんの「若いうちの苦労は買ってでもでろ」という言葉を思い出して、「どんな経験だって勉強になるから頑張ろう。」と自分に言い聞かせた。
でも…どうしても「一番やりたいのはこれじゃないのに」という気持ちをゼロにする事は出来なくて、そのたびに、おばあちゃんの言葉を思い出してかき消すようにしていた。
異動先の部署でも、やっぱり色々とあった。でも自分が仕事ができないのが一番の原因だと思って、何回も心が折れそうになりながらも、やるべき事をやっていく毎日。
そんな辛いことしか無かった日々に、救いはあった。素晴らしい人生の先輩と言えるような人との出会いがあった。
その方は私について知らない事の方が多いけど、言葉には出来なかった気持ちを察していて下さり、優しく受け止めて下さった。働く姿のお手本を示して下さった。
「この人が一緒なら、自分ももう少し頑張れる」そんな気持ちで、小さな希望をもらった。「今、ここでやれる事をまず学ぼう。」そう思った。
やっと心から信頼できる先輩に出会ったのに、また部署異動をさせられた。
今度は、夢からさらに離れた仕事。でも「若いうちの苦労は買ってでもでろ」を、また自分に言い聞かせる。
気付いたら就職して5年以上。就職した歳も遅かったし、自分ももう若くない。
それでも最初の夢をまだ諦めていない自分は、おかしいのかな?
まだ勉強したい。やりたい。それで何か人の役に立ちたい。
同じ会社の中にあって、それは手が届きそうなところにあるのに。
いっそのこと、見えなくなってしまった方が楽なんだろうか?
透明なガラス、でも分厚いガラスの向こうにあるショーウィンドー。
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いつもお越し下さり、ありがとうございます(^_^)
PaleBlue(=SAI)はもう一つの音楽ブログを運営してます!
それは⇒『素敵な音楽のご紹介♪』(リンクして飛べます)
『井戸に差し込んだ光』より若干、新しめ、明るめなお話(^^;)??
よろしかったら遊びに来て下さい☆
![ショーウィンドー.jpg](/sharingtreasures/file/E382B7E383A7E383BCE382A6E382A3E383B3E38389E383BC-thumbnail2.jpg)
浜名湖花博に行って来た。
会場は静岡県の「はままつフラワーパーク」と「浜名湖ガーデンパーク」。
数年前までは花の勉強のために、長野県とか山梨県まで遠征に行ったりもしたけど、このところは経済的理由と心理的理由でなかなか行けてなかった。
花を見ると、どうしても現実に引き戻される…。
今の自分って何してるんだろって。
ガーデナーになることを夢見て、親の反対も押し切って強行突破して、やっと専門学校に入れた。
もう十分でしょって。人の話をぜんぜん聞いてくれなくて、それだったら奨学金もらってでもアルバイトしてでも自分一人の力で専門学校に行ってやる!くらいの気持ちだった。
その時は結局、親の方が折れて、生活費の援助はしてくれたけど。
それなのに、大学を卒業してから専門学校に行かせてもらったのに。
大学の時に上手く行かなかったように、二回目の就職活動も、なかなか就職先が決まらなかった。
自分でやると言った事だし、結局は親に力になってもらっているのに。
ここで就職できなかったなんて、絶対に言えない。
就職先は「園芸が出来る」「ガーデナーになれる」会社以外、ありえない。
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その気持ちだけで満たされてた2年間。神様は見捨ててなかった。
クリスマスの日に内定の連絡が来た。
やりたい事がやれる会社に入れた!
沢山大変な事はあるだろうけど、やりたい事がやれるんだ、頑張るだけだ!
就職して3ヶ月、二人しかいなかった先輩の一人が会社の方針と考えが合わずに辞められた。
就職して半年、もう一人の先輩が産休に入られた。
知らない土地での就職で、全く土地勘が無い。
高校3年でとった運転免許も、ずっと乗ってなくてペーパードライヴァー。10分くらいの通勤のために、オートマの軽自動車に乗るのさえ冷や汗をかいていた自分。
それが、仕事のためにミッションの2tトラックを運転して現場に行くのが、毎日の日課となった。
道は分からない、運転は怖い。頼れる先輩も居ない。
現場に着くまでだけで疲れていた。
新卒の社会人で、社会人としてのマナーとかも分からない。
二人の先輩が担当していた仕事を一人で引き継ぐ事となった。
仕事の流れも分からない。植物などの専門知識もぜんぜん足りてないし、実践的な経験もゼロ。
そんな状態でも役所の担当者と打ち合わせしたり、お客様に色々と説明しなければいけない。
現場では、一番何も分かっていない自分が現場監督として指示出ししなければいけない。
直接は関わっていない先輩方も「分からない事は質問してね」と優しかったけど、質問するにも分からない事が分からなかった。
昼間は労働作業をして体力的に疲れて、17時近くに会社の事務所へ戻ると、今度は事務処理作業が待っている。
公共の仕事は書類の量がハンパない。
そして、その作る流れも分からないし完成形も知らないから、自分が何をしているのか分からない時の方が多かった。
また、そんな合間を縫って、お客様に説明するための資料作りや花苗・資材などの発注作業もあった。
毎日がしんど過ぎて、でも大学の時の就職活動が上手くいかなくて、さらに専門学校を卒業してまでやっと掴んだ夢の切れ端。
大変でも、やりたい事がやれている自分は幸せなんだ。
その気持ちだけで何とか毎日を続けた。
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就職2年目くらいだったかな…朝の通勤中に交通事故に遭った…というか事故を起こした。
車対車で、対向車が右折でこっちが直進だったから、こちらの責任は少なめだった。
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今考えると、登校中の学生とかがそこに居なくて本当に良かった。取り返しのつかない事になるところだった。
でも、事故を起こした時に私の頭にあったのは「今日は会社に行かないで済むかも…」という気持ちだけ…。
幸い(?)会社は実家に連絡しなかったみたいだし、自分でも、親に心配かけて「辞めて帰って来い」と言われるだろうと思って、親には連絡しなかった。
仕事に対する恐怖心、何も出来ない自分への幻滅や劣等感、これでいいのかという不安。
辛いことばかりの毎日だったけど、他にやりたい事は無い。
自分の夢はこれしかない。その結論は変わらなかった。
産休に入っていた先輩が戻られて、自分でも少し仕事を理解し始めていたような頃。
会社の方針で、違う部署へ異動させられた。
やっと少し慣れて、気持ちに余裕が出ようとしていた時なのに、また新人の気持ちで始めなければいけない。
おばあちゃん子だった私は、おばあちゃんの「若いうちの苦労は買ってでもでろ」という言葉を思い出して、「どんな経験だって勉強になるから頑張ろう。」と自分に言い聞かせた。
でも…どうしても「一番やりたいのはこれじゃないのに」という気持ちをゼロにする事は出来なくて、そのたびに、おばあちゃんの言葉を思い出してかき消すようにしていた。
異動先の部署でも、やっぱり色々とあった。でも自分が仕事ができないのが一番の原因だと思って、何回も心が折れそうになりながらも、やるべき事をやっていく毎日。
そんな辛いことしか無かった日々に、救いはあった。素晴らしい人生の先輩と言えるような人との出会いがあった。
その方は私について知らない事の方が多いけど、言葉には出来なかった気持ちを察していて下さり、優しく受け止めて下さった。働く姿のお手本を示して下さった。
「この人が一緒なら、自分ももう少し頑張れる」そんな気持ちで、小さな希望をもらった。「今、ここでやれる事をまず学ぼう。」そう思った。
やっと心から信頼できる先輩に出会ったのに、また部署異動をさせられた。
今度は、夢からさらに離れた仕事。でも「若いうちの苦労は買ってでもでろ」を、また自分に言い聞かせる。
気付いたら就職して5年以上。就職した歳も遅かったし、自分ももう若くない。
それでも最初の夢をまだ諦めていない自分は、おかしいのかな?
まだ勉強したい。やりたい。それで何か人の役に立ちたい。
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