2016年08月12日
ゲーム『スーパードンキーコング2』のBGMが呼び起こす子供の頃の記憶。私は幸せだったんだ。 【雑記帳】
【雑記帳】
今年も、もうお盆のシーズンを迎えました。
いつの間にか夏至も過ぎ、夏本番ではありながらも夕方の日が短くなってきたのを実感し、
秋もそう遠くないのだと感じるこの頃です。
SAIは明日から数日間、実家の茨城へ帰省します。
年末年始、ゴールデンウィーク、お盆の連休は、20歳で一人暮らしを始めてから毎年欠かさず帰省しています。
変な言い方かもしれないし、嫌らしい言い方になってしまうかもしれないけど、それは自分の“務め”みたいだなぁと思ってしまったりもします。
多分、親は子供の事を色々と心配しているものだろうし…
大学は県内だったけど、その後は結構離れた場所で暮らしてきたので。
それから、親の反対を強行突破して自分のやりたい事をやらせてもらってるのもあるので
できるだけ心配かけないように、「元気でやってます」の顔見せくらいはしておかないとなーと思って。
そして東日本大震災があってからは、親が普通に居て、「当たり前の日常」をおくれることがどんなに幸せなのか、そしてそれは、もしかしたら数時間後とかには無くなるかもしれないものでもある、と気付いて…。
震災があってから数年たっても余震がまだあり、茨城県北部にある実家はその震源地になる事も多く、やっぱり“慣れる”という事はありません。
「また茨城北部震源の余震があったのか」と…“また”とは思うけど、いつ実家がどうなるとか、両親が無事で居られる保障も何処にも無い。
でもそんな話をしたら「それならなぜ両親の元に居ないの?連休の度に実家へ帰省するのが親孝行のつもり?親孝行したいなら一緒に暮らしてるでしょ。」とか言われたり。
―何も言い返せませんでした。でもなぜか、すごく悔しかった。
自分の想いより親が喜びそうな事を出来るだけ優先して頑張ってきた子供時代。でも自分の想いから目を背けようとする事を繰り返すうちだんだん辛くなってきて、ある事があって「もう無理」ってなって。
それからは、「自分の想い」と「親とか周りの人への気の使い方」をもう少しバランスを取るようになったと言うのか…。
確かに、いつまた大きな地震が実家や両親を襲うか分からない。でももしかしたら、それは、自分や親が他の理由で人生の終わりを迎えるまでに来ない事もありえる。
来るかどうか誰にも分からない事に怯えて備えて、目の前にある生活・暮らし全てを制限する事は、私にはできない。
危険があると分かっていても、その可能性が大きいことも理解してるけど。
それでもやっぱり私は、自分の人生でやりたい事はやりたい。
私が連休の度に実家へ帰省する事に対して、色んな言葉をかけてくる人たちが居る。
でも誰にも分からないだろうな、私の気持ちは。
自分でも理解しきれないところがあるし、何でこんなに一歩引いてるような存在なんだろうって思ったりもする。
私には血の繋がった家族が居て(繋がっていなくても素晴らしい家族はあります)、平和に暮らしてきて、すごく幸せに育ったのに。
私にとっておばあちゃんはすごく大きな存在。そして父親も。
それから、弟。
恥ずかしいから誰にも言わないけど、弟は結構好き。ブラコンって程ではないですが。
そして色々と感謝してる。心のオアシスでもあるかもしれない。自分にとっては癒し系の弟です。
弟を見てると優しいなーって思って、それに比べて自分は何でこんなに心が狭いんだろうって思ったり。性格もキツイし「二人とも性別が逆だった方が良かったんじゃない?」って話したら、弟は「そうすると僕は生まれて来れなかったらしいんですよ。一番目が女で、二番目のお姉ちゃんが女だから、男の子も欲しいって僕が生まれたらしいんで。お姉ちゃんが男だったら、もう女と男一人ずつ居るからいいやってなったらしくて。」と、弟くんの談。
3歳違いで、昔から私の遊びにほぼ無理やりつきあわせて来ました。
彼は絵を描いたりゲームをしたり本を読んだりするのが好きな、インドア派な子供だった。。のに、私が近所の公園や空き地や、自宅前の道路、どこでも外を飛び回って遊ぶのが好き(運動神経は悪いくせに)なせいで、色々と連れ回される羽目に。
私が同級生の家に「あそぼー」って遊びの誘いへ行き、同級生の女の子は団地に6人居たので一軒一軒回って、だれも都合が良くないと…弟が餌食となったのでした。
家で楽しくお絵かきしてたのに、無理やり公園に連れ出されたりする弟。
でも雨の日は、さすがの私も?部屋で遊びました。お人形遊びを、弟に強制して←(><|||)
弟はおかげ様で?ロボットとかよりもセーラームーンとかに興味を持つように……あー私の責任かーーー。
私はゲームをほとんどしないのですが、小学生〜中学生のころは「ファミコン」と「スーパーファミコン」はちょっとハマッてやっていました。
今でも印象に残っているのは「星のカービィ 夢の泉の物語(だったかな?)」と「スーパードンキーコング」、「スーパードンキーコング2」です。
人間不信に陥る前で、友達と星のカービィやるのはすごく楽しかったなぁ。
そして弟とドンキーコングも、よく一緒にやっていました。
そしてスーパーファミコンのドンキーコングの画像の美しさには驚き、感動し、プレイするのも忘れて見入ってしまうくらいでした。
今日何故、こんな昔のゲームのお話をしたくなったかと申しますと…何故、急に思い出したのかは分からないのですが。
そのスーパードンキーコング2のとある面で使われていたBGMをふと思い出して…その音楽を急に聴きたくなってしまったからでした。
帰省したら弟に会う予定なので、弟の事を考えていたのもその理由かもしれません。
画像もすごく美しくて、本当にきれいな青空が背景になってて、音楽の…言葉で言い表せない魅力が、吸い込まれるような透明感と言うのか、何か切ない感じと言うのか。その画像と音楽のコラボレーションがとにかく美しくて。本当に、そのまま美しい青空に吸い込まれそうな、吸い込まれたくなってしまうような感じで(><)
それをYoutube様を検索してみたら…なんと見つけてしまったのでした!!
それなのでよろしかったらご試聴下さい↓↓
(画像は、こんなにはトゲで覆われてなかった気がします。もっと青空が見えてた気が…。。)
とげとげタルめいろ"スーパードンキーコング2"
一体、何年振りに聴いたんだろう。
この曲(ゲームのBGM)が好き過ぎて、ケータイで録音して着信音にしてた時期もありました。かなり昔ですが。
なんだかんだ言って、この頃はやっぱり楽しかった。幸せだった。
ゲームにのめり込み過ぎて、夜、母親に「ご飯だよ!いつまでゲームやってるのっ!」って言われて怒られたりして。
学校が嫌いで、毎朝が「今日も学校行かなくちゃいけないのか…」という寝覚めで拷問みたいな気がしてたけど。
子供なりに悩みもあったけど。
でも私は幸せな子供時代をおくってきたんだなーと思う。
弟も居てくれてありがとう。一緒に遊びに付き合ってくれてありがとう!
今年も、もうお盆のシーズンを迎えました。
いつの間にか夏至も過ぎ、夏本番ではありながらも夕方の日が短くなってきたのを実感し、
秋もそう遠くないのだと感じるこの頃です。
SAIは明日から数日間、実家の茨城へ帰省します。
年末年始、ゴールデンウィーク、お盆の連休は、20歳で一人暮らしを始めてから毎年欠かさず帰省しています。
変な言い方かもしれないし、嫌らしい言い方になってしまうかもしれないけど、それは自分の“務め”みたいだなぁと思ってしまったりもします。
多分、親は子供の事を色々と心配しているものだろうし…
大学は県内だったけど、その後は結構離れた場所で暮らしてきたので。
それから、親の反対を強行突破して自分のやりたい事をやらせてもらってるのもあるので
できるだけ心配かけないように、「元気でやってます」の顔見せくらいはしておかないとなーと思って。
そして東日本大震災があってからは、親が普通に居て、「当たり前の日常」をおくれることがどんなに幸せなのか、そしてそれは、もしかしたら数時間後とかには無くなるかもしれないものでもある、と気付いて…。
震災があってから数年たっても余震がまだあり、茨城県北部にある実家はその震源地になる事も多く、やっぱり“慣れる”という事はありません。
「また茨城北部震源の余震があったのか」と…“また”とは思うけど、いつ実家がどうなるとか、両親が無事で居られる保障も何処にも無い。
でもそんな話をしたら「それならなぜ両親の元に居ないの?連休の度に実家へ帰省するのが親孝行のつもり?親孝行したいなら一緒に暮らしてるでしょ。」とか言われたり。
―何も言い返せませんでした。でもなぜか、すごく悔しかった。
自分の想いより親が喜びそうな事を出来るだけ優先して頑張ってきた子供時代。でも自分の想いから目を背けようとする事を繰り返すうちだんだん辛くなってきて、ある事があって「もう無理」ってなって。
それからは、「自分の想い」と「親とか周りの人への気の使い方」をもう少しバランスを取るようになったと言うのか…。
確かに、いつまた大きな地震が実家や両親を襲うか分からない。でももしかしたら、それは、自分や親が他の理由で人生の終わりを迎えるまでに来ない事もありえる。
来るかどうか誰にも分からない事に怯えて備えて、目の前にある生活・暮らし全てを制限する事は、私にはできない。
危険があると分かっていても、その可能性が大きいことも理解してるけど。
それでもやっぱり私は、自分の人生でやりたい事はやりたい。
私が連休の度に実家へ帰省する事に対して、色んな言葉をかけてくる人たちが居る。
でも誰にも分からないだろうな、私の気持ちは。
自分でも理解しきれないところがあるし、何でこんなに一歩引いてるような存在なんだろうって思ったりもする。
私には血の繋がった家族が居て(繋がっていなくても素晴らしい家族はあります)、平和に暮らしてきて、すごく幸せに育ったのに。
私にとっておばあちゃんはすごく大きな存在。そして父親も。
それから、弟。
恥ずかしいから誰にも言わないけど、弟は結構好き。ブラコンって程ではないですが。
そして色々と感謝してる。心のオアシスでもあるかもしれない。自分にとっては癒し系の弟です。
弟を見てると優しいなーって思って、それに比べて自分は何でこんなに心が狭いんだろうって思ったり。性格もキツイし「二人とも性別が逆だった方が良かったんじゃない?」って話したら、弟は「そうすると僕は生まれて来れなかったらしいんですよ。一番目が女で、二番目のお姉ちゃんが女だから、男の子も欲しいって僕が生まれたらしいんで。お姉ちゃんが男だったら、もう女と男一人ずつ居るからいいやってなったらしくて。」と、弟くんの談。
3歳違いで、昔から私の遊びにほぼ無理やりつきあわせて来ました。
彼は絵を描いたりゲームをしたり本を読んだりするのが好きな、インドア派な子供だった。。のに、私が近所の公園や空き地や、自宅前の道路、どこでも外を飛び回って遊ぶのが好き(運動神経は悪いくせに)なせいで、色々と連れ回される羽目に。
私が同級生の家に「あそぼー」って遊びの誘いへ行き、同級生の女の子は団地に6人居たので一軒一軒回って、だれも都合が良くないと…弟が餌食となったのでした。
家で楽しくお絵かきしてたのに、無理やり公園に連れ出されたりする弟。
でも雨の日は、さすがの私も?部屋で遊びました。お人形遊びを、弟に強制して←(><|||)
弟はおかげ様で?ロボットとかよりもセーラームーンとかに興味を持つように……あー私の責任かーーー。
私はゲームをほとんどしないのですが、小学生〜中学生のころは「ファミコン」と「スーパーファミコン」はちょっとハマッてやっていました。
今でも印象に残っているのは「星のカービィ 夢の泉の物語(だったかな?)」と「スーパードンキーコング」、「スーパードンキーコング2」です。
人間不信に陥る前で、友達と星のカービィやるのはすごく楽しかったなぁ。
そして弟とドンキーコングも、よく一緒にやっていました。
そしてスーパーファミコンのドンキーコングの画像の美しさには驚き、感動し、プレイするのも忘れて見入ってしまうくらいでした。
今日何故、こんな昔のゲームのお話をしたくなったかと申しますと…何故、急に思い出したのかは分からないのですが。
そのスーパードンキーコング2のとある面で使われていたBGMをふと思い出して…その音楽を急に聴きたくなってしまったからでした。
帰省したら弟に会う予定なので、弟の事を考えていたのもその理由かもしれません。
画像もすごく美しくて、本当にきれいな青空が背景になってて、音楽の…言葉で言い表せない魅力が、吸い込まれるような透明感と言うのか、何か切ない感じと言うのか。その画像と音楽のコラボレーションがとにかく美しくて。本当に、そのまま美しい青空に吸い込まれそうな、吸い込まれたくなってしまうような感じで(><)
それをYoutube様を検索してみたら…なんと見つけてしまったのでした!!
それなのでよろしかったらご試聴下さい↓↓
(画像は、こんなにはトゲで覆われてなかった気がします。もっと青空が見えてた気が…。。)
とげとげタルめいろ"スーパードンキーコング2"
一体、何年振りに聴いたんだろう。
この曲(ゲームのBGM)が好き過ぎて、ケータイで録音して着信音にしてた時期もありました。かなり昔ですが。
なんだかんだ言って、この頃はやっぱり楽しかった。幸せだった。
ゲームにのめり込み過ぎて、夜、母親に「ご飯だよ!いつまでゲームやってるのっ!」って言われて怒られたりして。
学校が嫌いで、毎朝が「今日も学校行かなくちゃいけないのか…」という寝覚めで拷問みたいな気がしてたけど。
子供なりに悩みもあったけど。
でも私は幸せな子供時代をおくってきたんだなーと思う。
弟も居てくれてありがとう。一緒に遊びに付き合ってくれてありがとう!
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