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2019年12月09日

津野氏(つのし)

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津野氏(つのし)は土佐国高岡郡の豪族。土佐七雄の一つ。高岡郡のうち中西部の津野荘・山間部の津野新荘・檮原荘を拠点とした。

絶家 天正6年1578年 
本性 藤原北家基経流
種別 武家
主な根拠地 土佐国高岡郡津野郷
津野之高
津野基高
支流、分家 中平氏


歴史
平安時代の前期、摂政・関白として朝政を支配した藤原基経には数人の男子があったが、とくに長男時平、次男仲平、四男忠平は「三平」と呼ばれた。土佐の戦国時代の守護七雄の一に数えられた津野氏は、藤原仲平の後裔と伝えられている。

津野氏は、家伝によれば藤原基経の後裔、藤原経高(つねたか)を始祖とする。経高は罪を得て延喜10年(910年)伊予に下り浮穴郡川上庄山内谷を経て、同13年(913年)に土佐国に入り、高岡郡津野山を開拓し名字を津野に改めと伝えられているが信憑性は低い。
高岡郡津野山が現在の高知県高岡郡津野町付近であるか高知県須崎市吾井郷付近であるかは判然としない。(後述の津野荘の項参照)
津野氏は高岡郡姫野々に姫野々城を築き、以後、中世を通じて、津野荘の地頭として発展した。
津野氏も土佐一条氏や大平氏と並び文人として知られた。
中興の祖とされる津野之高(ゆきたか、名は光高(みつたか)とも)は伊予河野氏の出身とされる。
津野基高(もとたか)は、天文15年(1543年)一条房基に降伏して、家臣として存続を図る。基高の孫、勝興(かつおき)は天正6年(1578年)に没し、津野氏の正統は途絶える。

津野荘
津野荘は京の賀茂御祖神社の荘園で、高岡郡吾井郷津野保(現・高知県須崎市吾井郷)にあった。本来は土佐国の賀茂御祖神社の荘園は土佐郡潮江荘であったが津波により水没、代わって津野荘が立荘された。 また、津野新荘は土讃線土佐新荘駅や新荘川にその名をとどめており、名称からして津野荘の成立後に津野新荘が成立したものと考えられる。 新荘川の流域に津野氏の山の拠点となった姫野々城がある。名称からの推測では津野氏は最初は津野荘の地頭となり、その後山深い津野新荘の地頭も兼ねるようになったと考えられる。

系譜・歴代当主
藤原基経ー摂政・関白
津野経高
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