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2019年12月09日

本山 茂宗

本山 茂宗(もとやま しげむね)
本山清茂(もとやまきよしげ)
本山梅慶(もとやまばいけい)
とも言う

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本山茂宗の墓

戦国時代の大名。
土佐七雄と称された本山氏当主。
生誕 永正5年(1508年)
没  弘治元年2月23日
   (1555年2月24日)
別名 本山清茂(もとやまきよしげ)
   本山梅慶(もとやまばいけい)
父  本山養明(もとやまやすあき)
兄弟 本山茂定
子  本山茂辰

生涯
永正5年(1508年)、土佐国本山郷の豪族・本山養明の子として誕生。

武勇に優れた人物で、『土佐物語』では「其器傑出して、偏に興立の志ありければ、近辺の金銀衣食を与へて是を懐け、諸士に賄を厚くして親みをなし、遂に人数を催して、土佐・吾川両郡に発向して、随はざるをば攻亡し、降を乞ふをば、免して幕下になし、両郡く打摩け、猛威を振ふ事甚し」といわれる傑物だった。

本山氏は土佐七雄の中では最も勢力が大きく、茂宗は山深い土佐北部から出て、経済的に豊かな土佐中央部へ侵攻し勢力を拡大。本城の本山城を子の茂辰に譲り、朝倉城に本拠を移して経営をたくましくした。天文9年(1540年)頃、契機を見て荒倉山を超えて吾川郡弘崎に兵を進め、その地の豪族・土佐吉良氏を滅亡に追い込む。さらに、土佐国の有力大名であった土佐一条氏の軍と戦うなど、本山氏の最盛期を築き上げた。長宗我部氏に対しては快く思っておらず、室町幕府に媚びていた長宗我部氏を「虎の威を借る野狐」と称した。

弘治元年(1555年)、死去。茂宗の死後、本山氏は長宗我部氏の反攻を受けるようになる。
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