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2017年02月25日
西郷隆盛の子孫達A
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野屋敷でひっそりと暮らしていた糸子婦人と子供たちでしたが、
手引きしてくれる人がいて、薩摩を離れて神戸に移住しました。
この時点で、西郷隆盛の子孫は鹿児島には一人も居なくなり、
子供達も大人になると、それぞれの道に進み、大阪や奈良・東京に
移住していきました。
それから随分と時が経ち、終戦後になって「西郷隆文」さんが五歳のときに
家族とともに奈良から鹿児島に帰ってこられました。
鹿児島で育ち、東京の会社に就職されましたが、25歳の時に帰鹿されて陶芸の
道に進まれ、現在は日置市で「南州窯」という窯元を経営されておられます。
隆文さんは、菊次郎の孫で西郷隆文の曾孫にあたります。
数年前まで、西郷隆盛の子孫=隆文さんという時代が続き、公共の場での
イベントなどには隆文さんが代表として出席される状態でした。
お一人で「子孫代表」を背負われて、大変な事だったと思います。(続く)
西郷隆盛の子孫達@
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明治10年9月24日に没した「西郷隆盛」の子孫はどうなったのか?
近頃は、地元の人も知らない方が増えてきたので、何回かに分けて
書いてみたいと思います。
西南戦争の間、留守を預かる妻の糸子婦人の元には、奄美大島に流されて
いた時に「愛加那」との間に儲けた「菊次郎・菊子」の二人、糸さんとの
間に儲けた「寅太郎・牛次郎・酉三」の三人の合計五人の子供たちがいました。
西南戦争が終わり、夫が「賊軍の将」とされてしまったので、残された家族にも
類が及ぶかもしれないということで、鹿児島市西別府の人里離れた粗末な小屋で
畑仕事をしながら数年の間、隠れるようにして暮らしていました。
現在は建物はありませんが、「西郷野屋敷跡」として名残りをとどめています。(続く)