2011年01月07日投稿。
例えばたくさんの心を揺らせたとして
例えば、たくさんの心を揺らすために歌ったとして
僕は
歌った唄を誇れるだろうか
歌った歌を、愛せるだろうか
忘れもしない六月の暴挙。ん?五月の暴挙かな?
二年前、初夏。
無茶をして声を壊してしまった時の作品群。
特に同じ括りを意識して作ったわけじゃないんですが、作ったら、こんな感じになってました。
どんだけ鬱だったんだ(爆)
「no-title」
歌いたいのに歌えなくて
叫びたいのに叫べなくて
これで
綴ることも許されないなら
私が
ここに在る意味はあるのだろうか
「no-title」
不安で不安で堪らなくて
出来ないことがストレスで
でも
誰かに弱みを見せたくなくて
茶化してる
本当は
誰カに弱音を聞いてほしいのに
クズのようなプライドが
プライドにもならないようなプライドが
私の不安を
誤魔化している
大丈夫だよ、って
抱いてくれる人もいないのに
大丈夫だよ、って
抱いてくれる人もいないから
誤魔化してる
クズのようなプライドで
私の不安を
誤魔化している
「no-title」
歌えないのに生きていたくない
だけど
死にたくないから生きていたい
我儘なんだ
生きていたい
生きていたい
死ぬのは怖いし、歌い足りない
だから、
歌いたいから
声を、下さい
「no-title」
何が喜びなのかも分からなくて
何が悲しみなのかも分からないのに
どうして今が
こんなに苦しいんだろう
歌えないという今が
どうしてこんなに苦しくて堪らないんだろう
「no-title」
いつ
何を歌いたくなるか分からないから
僕は
いつも
歌い続けていたいんだ
例えそれが
誰にも届かない
うた
だとしても
「no-title」
例えば今僕が歌ったとして
誰か
たった一人でもいい誰か
誰かが足を止めてくれるのかな
「no-title」
歌えないのに
僕の詩は
聞いてもらえるのかな
この詩は
祈り
だというのに
「no-title」
唄もなく
言葉もなく
動くことすらままならなくて
歌えもせず
叫べもせず
それで
動き続けることを否定されてしまっては
果たして
此処にいる意味は在るのだろうか
此処に生きる意味は在るのだろうか
「no-title」
自らの祈りの言葉も空々しく聞こえるのに
口ずさむのは
もう、届かない、祈りの声……
助けて
「no-title」
歌えないなら声なんて要らない
だけど、
歌いたいから
声が、
欲しい
歌えない欲求は叫びにも似て
だけど、
声がないから叫びは届かなくて
それ以前に
誰かに縋ることを、恐れていた
「no-title」
声を届けることは唄を届けることで
唄を届けることは想いを届けることで
想いを届けることは心をさらけ出すことで
だけど
声を失ってしまっては
何も
さらけ出せはしない
唄うためだけでいい
言葉を、下さい
「no-title」
何一つ音のない世界で
それでも僕は歌おうと足掻く
何一つ望まれない、世界で
僕は僕は僕は、歌おうともがく
それでも僕は、歌えないで嘆く
音のない、世界は、僕にとって涙
「no-title」
最後に歌う詩が
希望なのか
絶望なのか
分からないけど
今は
祈りと希望を歌いたい
それが
誰かたった一人にでも
届くかもしれない
詩
なのだとしたら
「no-title」
歌えなくなったのは希望を掴んだからか
それとも
「諦め」
か……
皆様、声帯は大事にしましょう。
歌えないなんて。
僕が歌えないということは、生きていないと同義だと思うのです。
もしまた失ってしまったら、僕は綴ることを続けられるのか。
不安です。
でも、
諦めたところで歌いたい欲求はなくなってくれないし、声も戻っては来ない。
というわけで。
そう思えるようになったのも、これが過去になってしまったからなのかもしれませんね。
「no-title」
今は歌うことができるけど
それを失うときは容易いと知ったから
今、歌っていよう
精一杯、精一杯
今はそれしかできないから
歌を失くしてしまったときは
今、歌った歌を覚えていよう
精一杯、精一杯
失うときは容易いから
歌いたい
この渇望は、
精一杯歌い続けて生きよう
いつか、言葉を失う日まで
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