2019年11月29日
苦手なものに全力で感謝してみた
今日は、日頃なかなか言えない
「ありがとう」について考えてみました(*´ω`*)
まず、「不安」と「闇」に。
ありがとうございます。
学生時代の帰り道、
街灯もまばらな、寒くて暗い道を一人で歩いていて
なんとなく不安だったとき
いつも見える家の明かりや、
クリスマスのイルミネーションに癒されていました。
暗いところを歩いていると、意味もなく不安になります。
なんとも思わない日もあるけれど、ふっと不安がよぎるときがあります。
夜、知らないところを歩いたときとか。
でもその「底知れぬ不安」のおかげで、
いつもとは違った感謝の気持ちが沸いてきます。
明かりのありがたさや温かさを感じられるのは
宵闇と不安のおかげです。
もし、世界がどこまで行っても、ずっと明るかったら……
それはそれで面白そうですが
夜景に、儚さや不思議な美しさを感じるのも
夜のおかげですよね(*^-^*)
影や暗闇に感謝です。ありがとう!
それから、「常識」にもありがとう。
本能が薄れてしまって、
虫や花のように生き方を心得ていない私でも
ところどころに、「常識」がいてくれるおかげで
自分がどこにいるのかある程度分かりました。
手すりや、道や、町明かりや、山のように……
そこに存在してくれていたおかげで
方角を教えてもらったり、時には掴まらせてもらったり、
導いてもらったりしました。
たくさん支えてもらったのに、
一体どこに連れて行かれるんだろうと疑ったり
「常識なんて」と批判したり、
都合よく利用して、都合が悪くなった時だけ八つ当たりしたり
散々な仕打ちをしてすみませんでした m(_ _*)m
常識だって人間と一緒で成長途中。
間違うこともあるけれど、
叩いても蹴飛ばしても折れない、八つ当たりの道具などではなく
ちゃんと訳あってそこにあるんですね。
最近、以前より少し「常識」が弱ってきた気がしますね。
そろそろ世代交代でしょうか。時代の流れですね。
そもそも常識は、最初からあるようでなかったのかもしれませんが。
「今までありがとう」……ですね。
あと、「苦手な人」にもありがとう。
もし世界に善人しかいなくて、
どこを向いても非の打ち所のない人間ばかりだったら
一体自分はどうなっていたでしょうか。
善人ばかりに囲まれていたなら、自分も善人だったでしょうか。
私はそうじゃない気がします。
世界がどうあれ、善人にはなれなかった気がします。
しかし、苦手な人がいてくれたおかげで
私は自分の悪さにばかりは目が向かず、
あんまり罪の意識など感じることなく、
「あっちが悪い」などと腹を立てたりしながら
存在することができました。
すべての人が善人で、自分だけがひねくれ者だったら
今よりもっともっと居づらかったでしょう。
息苦しくて参っていたかもしれません。
私に発言の権利と居場所をくれた
「嫌な人」に感謝です。
でも、そろそろ良い人にならないとなぁ……。
それから、今までの世界にあった、
ありとあらゆる制限や制約に感謝します!
驚きと感動と怒りと争いと疲れにありがとう。
おかげで良い感じにへこたれました (*´▽`)ノ
闇があるから光を認識できる。
絵だって、影や黒線の役割は重要ですね。
もし仮に「上」がこの世で「善」と呼ばれるものだったとしても、
それは「下」という概念がなければ成立しないもの。
じゃあ、悪や闇は、善や光の手助けをし、
共演しているんですね。
一時その役割を演じていただいていることに感謝です。
東西南北、すべて揃って初めて
それぞれの方角が意味を成す……
すべての概念に「ありがとう」です(>∀<*)!
「ありがとう」について考えてみました(*´ω`*)
まず、「不安」と「闇」に。
ありがとうございます。
学生時代の帰り道、
街灯もまばらな、寒くて暗い道を一人で歩いていて
なんとなく不安だったとき
いつも見える家の明かりや、
クリスマスのイルミネーションに癒されていました。
暗いところを歩いていると、意味もなく不安になります。
なんとも思わない日もあるけれど、ふっと不安がよぎるときがあります。
夜、知らないところを歩いたときとか。
でもその「底知れぬ不安」のおかげで、
いつもとは違った感謝の気持ちが沸いてきます。
明かりのありがたさや温かさを感じられるのは
宵闇と不安のおかげです。
もし、世界がどこまで行っても、ずっと明るかったら……
それはそれで面白そうですが
夜景に、儚さや不思議な美しさを感じるのも
夜のおかげですよね(*^-^*)
影や暗闇に感謝です。ありがとう!
それから、「常識」にもありがとう。
本能が薄れてしまって、
虫や花のように生き方を心得ていない私でも
ところどころに、「常識」がいてくれるおかげで
自分がどこにいるのかある程度分かりました。
手すりや、道や、町明かりや、山のように……
そこに存在してくれていたおかげで
方角を教えてもらったり、時には掴まらせてもらったり、
導いてもらったりしました。
たくさん支えてもらったのに、
一体どこに連れて行かれるんだろうと疑ったり
「常識なんて」と批判したり、
都合よく利用して、都合が悪くなった時だけ八つ当たりしたり
散々な仕打ちをしてすみませんでした m(_ _*)m
常識だって人間と一緒で成長途中。
間違うこともあるけれど、
叩いても蹴飛ばしても折れない、八つ当たりの道具などではなく
ちゃんと訳あってそこにあるんですね。
最近、以前より少し「常識」が弱ってきた気がしますね。
そろそろ世代交代でしょうか。時代の流れですね。
そもそも常識は、最初からあるようでなかったのかもしれませんが。
「今までありがとう」……ですね。
あと、「苦手な人」にもありがとう。
もし世界に善人しかいなくて、
どこを向いても非の打ち所のない人間ばかりだったら
一体自分はどうなっていたでしょうか。
善人ばかりに囲まれていたなら、自分も善人だったでしょうか。
私はそうじゃない気がします。
世界がどうあれ、善人にはなれなかった気がします。
しかし、苦手な人がいてくれたおかげで
私は自分の悪さにばかりは目が向かず、
あんまり罪の意識など感じることなく、
「あっちが悪い」などと腹を立てたりしながら
存在することができました。
すべての人が善人で、自分だけがひねくれ者だったら
今よりもっともっと居づらかったでしょう。
息苦しくて参っていたかもしれません。
私に発言の権利と居場所をくれた
「嫌な人」に感謝です。
でも、そろそろ良い人にならないとなぁ……。
それから、今までの世界にあった、
ありとあらゆる制限や制約に感謝します!
驚きと感動と怒りと争いと疲れにありがとう。
おかげで良い感じにへこたれました (*´▽`)ノ
闇があるから光を認識できる。
絵だって、影や黒線の役割は重要ですね。
もし仮に「上」がこの世で「善」と呼ばれるものだったとしても、
それは「下」という概念がなければ成立しないもの。
じゃあ、悪や闇は、善や光の手助けをし、
共演しているんですね。
一時その役割を演じていただいていることに感謝です。
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すべての概念に「ありがとう」です(>∀<*)!
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