「副守護神」「副守」のイメージは・・・
ブラックスワンというか、黒いスパイダーマンというか、
ダークサイドの人格みたいな存在なんだろーなー
副守護神は臍下丹田のあたりにいて、
副霊・腹霊とも言われるそうです。
これが改心すると
(その人について一緒になって修業をしていて、修業があがり許されると)
ほんと−−−−−−−−に、垢ぬけたように美しく
綺麗な人間になっていくんだ・・・みたいな話をどこかで
聞いたことがありましたので、調べてみた次第です。
(ちょっと、読みにくいのですが・・・)
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副守護神 副守 で王仁三郎文献を検索した結果を表示しています。
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ありました。
そのなかからかいつまんで「副守護神」「副守」が出てくるところをメモっておこう…
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・されどその本守護神は悪霊の憑依せる副守護神のために根底より改心することは出来なかつた。
・太い腹の中から結構な副守護神が飛び出して、
・いつも酒を見るとクウクウ云つて、臍の下あたりから上がつて来よるあの魂が副守護神と云ふのか、
・『結構な神の生宮と生れてそのやうな汚らはしい事をなさると、本守護神を侮辱した事になり、本守護神は愛想をつかして貴方の肉体を脱出し、副守護神ばかりになつてしまひます。さうすればあのやうな浅猿しいさまにならねばなりますまい。人間は神様に対し持身の責任があります。我身を軽んずると云ふことは、いはゆる大神様を軽んずるも同様、これ位深い慢神の罪はありませぬ。どうぞそれだけは思ひ止まつて下さいませ』
・『アヽさうでせう。私もうすうす言照姫様より承はつて居りました。しかしながら貴女は余程御改心が出来てゐるやうだが、未だお腹の中に副守護神が沢山に潜伏して居りますから、このまま御出でになつても玉照彦様が御承知下さいますまい。この先に山の神の滝がございますから、そこで七日七夜荒行をなさつて副守護神を追ひ出し、至粋至純の本心に復帰り水晶玉に磨き上げた上、御出でにならなくては駄目ですよ』
・『宣伝歌は聞けば聞くほど気分が良くなつて来るものだ。お前に憑依して居る副守護神が嫌ふのだ、それさへ体内より放逐してしまへば何でも無いのだ。
・雲州『この真夜中にお前達は何しに来たのだ。折角改心しながら、俺の持つて居る金銀に眼が眩んで、魔道へ逆転して来たのだらう。モウ良い加減に改心をしたらどうだ。悪をするほど世の中に馬鹿な奴はありませぬぞ。たとへ人間は知らずとも、天知る地知る、自分の精霊たる本守護神も、副守護神も皆知つてゐる。天網恢々疎にして漏らさず。良い加減に小盗人を廃めて、結構な無形の宝を手に入れる事を、何故心がけぬか。俺は女房がなくなつて非常に無情を感じて居るのだ。
白銀も黄金も玉も何かせん 女房にます宝世にあらめやも
しかしながら肉体のある限り、衣食住の必要がある。汝に慈善的に盗らしてやりたいのは山々であるが、さうウマくは問屋が卸さぬ。それよりも善心に立帰つたらどうだい』
・これぞ遠州、駿州、武州三人の副守護神が体を離れたるより、その精霊中の本守護神は喜び給ひてその神姿を現はし歓喜の意を表したるなりき。一同はこの奇瑞に感歎し天津祝詞を奏上する折しも、
・ともかく今日は本守護神が不在だから、番頭の副守護神が発動して居るので、
・地獄の団体に籍をおいてゐる悪霊即ち副守護神は、この暗黒にして悪臭紛々たるを此上なく悦び楽しむが故に、喜んでこれを求め勇んで地獄の入口に飛び込むものである。世間の大方の人間が己の自性に属する悪を喜ぶ如く、死後霊界に至ればその悪に相応せる悪臭を嗅ぐ事を喜ぶものである。この点においては彼等悪霊の人間は貪婪飽くなき鷲や鷹、狼、虎、獅子、豚の類に比ぶべきものである。彼等の精霊は腐つた屍骸や堆糞等の嘔吐を催さむとする至臭至穢物を此上なく喜び、その臭気を尋ねて糞蠅の如くに集まつて来るものである。是等の人間の霊身は高天原の天人の気息や芳香に合ふ時は、内心の苦しみに堪へず悲鳴をあげて泣き倒れ苦しみ悶えるものである。実に大本開祖の神示にある身魂相応の神の規則とは実に至言と云ふべしである。凡て人間には二箇の門が開かれてある。さうしてその一つは高天原に向つて開き、一つは根底の国に向つて開いてゐる。高天原に向つて開く門口は愛の善と信の真とを入れむがために開かれ、一つは所在悪業と虚偽とに居るもののために地獄の門が開かれてあるのだ。さうして高天原より流れ来る所の神様の光明は上方の隙間から僅かに数条の線光が下つてゐるに過ぎない。人間がよく思惟し究理し言説するはこの光明によるものである。善に居りまた従つて真に居るものは自ら高天原の門戸は開かれてゐるものである。
・凡て人間の身には善と悪と二種の精霊が潜在してゐる事は前に述べた通りである。しかして人間は善霊即ち本守護神または正守護神によつて高天原の諸団体と和合し、悪霊即ち副守護神によつて地獄の団体と相応の理によりて和合するものである、此等の精霊は高天原と地獄界の中間に位する中有界即ち精霊界に籍を置いてゐる。この精霊が人間に来る時には、先づその記憶中に入り、次にその想念中に侵入するものである。しかして副守護神は記憶及想念中にある悪き事物の間に潜入し、正守護神はその記憶や想念中にある最も善き事物の裡に侵入し来るものである。されど精霊自身においてはその人間の体中に入り、相共に居る事は少しも知らないものである。しかも精霊が人間とともなる時は凡てその人間の記憶と想念とを以て、精霊自身の所有物と信じてゐる。また彼等精霊なるものは、人間を見ることはない。何故なれば、現実の太陽界に在る所の者は、彼等精霊が視覚の対境とならないからである。大神は此等の精霊をして、その人間と相伴へる事を知らざらしめむがために大御心を用ひ給ふ事頗る甚深である。何故なれば彼等精霊がもしこの事を知る時には、即ち人間と相語ることあるべく、しかして副守護神たる悪霊は人間を亡ぼさむ事を考へるからである。副守護神即ち悪霊は根底の国の諸々の悪と虚偽とに和合せるものなるが故に、ただ一途に人間を亡ぼし地獄界へ導き、自分の手柄にしようと希求するの外、他事ないからである。しかして副守護神は啻に人間の心霊即ちその信と愛とのみならず、その肉体をも挙げて亡ぼさむことを希求するものである。故に彼等の悪霊が人間と相語らふことがなければ、自分は人間の体内にあることを知らないのだから、決して害を加へないのである。彼等悪霊はその思ふ所、その相互に語る所の事物が、果して人間より出で来るものなりや否やを知らないのである。何となれば彼等精霊の相互に物言ふは、その実は人間より来る所のものなれども、彼等はこれを以て自分の裡よりするものなりと信じ切つてゐる。しかして何れの人も自分に属する所を極めて尊重し、かつこれを熱愛するが故に、精霊は自らこれを知らないけれども、自然的に人間を愛し、かつ尊重せなくてはならないやうになるのである。これ全く瑞の御霊大神の御仁慈の御心を以て、かく精霊に人間とともなることを知らしめざるやう取計らひ給うたのである。
天国の団体に交通する精霊も、地獄界と交通せる精霊もまた同じく人間に付添うてゐるのは前に述べた通である。しかして天国の団体に交通してゐる精霊の最も清きものを真霊または本守護神と云ひ、稍劣つたものを正守護神と云ひ、地獄と交通する精霊を悪霊または副守護神といふのである。しかし人間が生るるや直に悪の裡に陥らねばならない事になつてゐる。故に当初の生涯は全く此等精霊の手の裡に在りと云つてもいいのである。人間にしてもしおのれと相似たる精霊が付添うて守るに非ざれば、人間は肉体として生くることは出来ない。また諸々の悪を離れて善に復ることも出来ないことになるのである。人間の肉体が悪霊即ち副守護神によつて、おのれの生命を保持し得ると同時にまた善霊即ち正守護神によつて、この悪より脱離することを得るものである。人間はまたこの両者の徳によつて、平衡の情態を保持するが故に意思の自由なるものがある。この自由の意思によつて以て、諸々の悪を去りまた善に就くことを得、またその心の上に善を植ゑつくることを得るのである。人間がもしもかくの如き自由の情態に非ざる時は、決して改過遷善の実を挙ぐることは出来ない。しかるに一方には根底の国より流れ来る悪霊の活動するあり、一方には高天原より流れ来る善霊の活動するありて、人間は此等両者の中間に立ち、天国、地獄両方の圧力の間に挟まらなくては、決して意思の自由はあるべきものでない。
・要するに人間は霊界より見れば即ち精霊であつて、この精霊なるものは善悪両方面を抱持してゐる。故に人間は霊的動物なるとともにまた体的動物である。精霊は或は向上して天人となり、或は堕落して地獄の邪鬼となる、善悪正邪の分水嶺に立つてゐるものである。しかして大抵の人間は神界より見れば、人間の肉体を宿として精霊界に彷徨してゐるものである。しかして精霊の善なるものを正守護神といひ、悪なるものを副守護神と云ふ。正守護神は神格の直接内流を受け、人身を機関として天国の目的即ち御用に奉仕すべく神より造られたもので、この正守護神は副守護神なる悪霊に犯されず、よくこれを統制し得るに至れば、一躍して本守護神となり天人の列に加はるものである。また悪霊即ち副守護神に圧倒され、彼が頤使に甘んずる如き卑怯なる精霊となる時は、精霊自らも地獄界へ共々におとされてしまふのである。この時は殆ど善の精霊は悪霊に併合され、副守護神のみ我物顔に跋扈跳梁するに至るものである。そしてこの悪霊は自然界における自愛の最も強きもの即ち外部より入り来る諸々の悪と虚偽によつて、形作られるものである。かくの如き悪霊に心身を占領された者を称して、体主霊従の人間といふのである。また善霊も悪霊も皆これを一括して精霊といふ。現代の人間は百人が殆ど百人まで、本守護神たる天人の情態なく、何れも精霊界に籍をおき、そして精霊界の中でも外分のみ開けてゐる、地獄界に籍をおく者、大多数を占めてゐるのである。また今日のすべての学者は宇宙の一切を解釈せむとして非常に頭脳をなやませ、研究に研究を重ねてゐるが、彼等は霊的事物の何物たるを知らず、また霊界の存在をも覚知せない癲狂痴呆的態度を以て、宇宙の真相を究めむとしてゐる。これを称して体主霊従的研究といふ。甚だしきは体主体従的研究に堕してゐるものが多い。何れも『大本神諭』にある通り、暗がりの世、夜の守護の副守護神ばかりである。
・この物質界に生れて、衣食佳の為に色々と心を曇らし、色々と画策をするが為に、正守護神又は副守護神といふものが出来て来たのであります。
副守護神といふのは実際は、悪霊といふ事であります。もとよりの悪霊ではないが、人間の心が物質によつて曇らされて、悪霊になつて居るのである。けれどもすべての事を見直し、宣り直す教であるから、副守護神と云つて居るのであるが、実際は副守護神といふのは悪霊の意であります。折角のよい霊が悪くなつたのである。けれども人間の心に悪霊が居ると云うと具合が悪いから、副守が居ると云つただけであります。
・自己天賦の真霊魂を守護神と霊学上から唱へるのである。是が大本で謂ふ所の本守護神である。大本で副守護神と謂ふのは、他から憑依した霊魂である。憑依した霊魂を古事記にては神懸と書き、他の古典には神憑と書き書記には帰神と書いて、何れもカムガカリと読ましてある。自己の真心を発揮して、活用せしむるを帰神と日ふ。帰神は他神の憑依したものでない。他神の憑依したのを神懸又は神憑と云ふのである。
・亦た正守護神と云ふのに、公憑私憑の二大別があります。公憑とは甲の肉体にも乙にも丙にも丁にも臨機応変的に憑依する神霊であり、私憑とは或る種の因縁を有する身魂、一人に限つて憑依する神霊を指すので在ります。正守護神なるものは要するに、他より来つて人の肉体を機関として、神界の経綸を助け且つ又本守護神の天職を輔弼する所の、善良なる神霊であります。而して公憑は神懸と日ひ私憑は神憑と言ふのであります。
副守護神と日へば正守護神を輔佐する神霊の如うに聞こえますが、其実は国家社会及び人生に妨害を加へる為に、人の身魂の虚に乗じて、本正守護神を押込め自由行動を為す、邪神妖魅の別名であります。神の道であれば正直に邪神なら邪神と呼べば良いのに、不可解な副守護神など呼ぶ必要は在るまいと日ふ人もありますが、一応尤も至極の説であります。併し日本神国は言霊の幸ひ助け天照国であるから、徹頭徹尾善言美詞を用ふべき、国柄であるから、悪鬼邪神と雖も妄に軽蔑せず名を善美に呼んで、其邪神を改心させる為であります。天照大神の神勅にも言向和せと在り、又た神直日大直日に見直し聞直し詔り直すのが、神国の風儀であるから大本にては神慮を奉体して悪鬼邪神と称えず、敬称を用ふる次第であります。感謝祈願の辞にも善言美辞の神嘉言を以て神々を和ごめ天地に代るの功績を永遠無窮に立て云々とあるのも、此の理由に基いて、居るのであります。
・合致と云う事は一つになる事で、統一というたら何もかも|一所《ひとところ》によせたのが統一なのだ。何もかも自分が主人公になり、いろいろあるものをよせたのが統一や。世界統一云うたら支那、印度、アメリカ、アフリカ、日本とみな違った国を一つにする事が世界統一やがな。いろいろの事を一緒に思うたのは合致したとか一つにとけ入ってしまったとか云うのや、合致融合と統一とをみん間違えて考えている』
高見『それと話は違いますが良く考えまい考えまいと云う事をよく考える事がありますが……』
聖師『考えまいというのは副守護神が考えまいとしているので、それはその先に潜在意識と云うものがあるから考えるのや』
林『ではその潜在意識というのはつまり本守護神なんですか……』
聖師『そうやがな……
・特に理解しがたいのは、「人間は肉体と霊魂からなり、いかなる人にも終生憑き通しの本守護神がある。ところが本守護神を押しのけて低級邪悪な副守護神(憑依霊)が肉体を占拠する場合が多い。その人間は本守護神の働き、いわば良心の作用が鈍って副守護神の好みのままに行動しやすい」などという説だ。
・大本では王仁三郎に面会した後、小原は浅野和三郎を並松の家へ訪ねた。ここで浅野から人には誰しも生まれた時から神性、即ち正守護神がついていること、同時に肉体保全の働きとしての獣性、即ち副守護神もついていて両者の間に激しい対立葛藤があること、現代人の多くは副守護神の思いのままに引きまわされているなどの説明を聞き、今までの疑問が氷解した。
・王仁三郎の激しい霊波をあびて、潜在する副守護押(憑霊)が浮き上がってくるのだ。
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『王仁DBβ版 出口王仁三郎と霊界物語の総合検索サイトより引用』
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