出口王仁三郎から学ぶ精液と精子、肺病と人魚について
〜精力と精液〜
精液が、全身に満ち充ちて居る時は、人間は精力旺盛である。
必要以上の精液が満ち溢ふるる時初めて排泄の必要が起こるのであつて、
不足を感ずるやうな場合には断じて性的行為をなしてはならないのである。
世人多くは精液なるものを生殖に関する局部的のものと思惟して、
是が全身的のものたるを知らざるの結果、往々節度なき性的行為をなして生命を短縮し、
或ひは身心衰弱疲労して、事に堪へざるの惨状を惹起するに至るは、悲しむべき現象である。
況んや強ひて性行為をなさんとして人工的に性欲を助長せしめ、精液を浪費するが如きは、
全く我が生命を削るやうなものである。慎しまねばならぬ。
彼の肺病の如きも不治の病と称せらるれども、中年の者を犯さず、
よしや又犯したりとも斃るるにいたるもの尠なく、
青年にして一朝この病に犯されんか十中の八九は必らず斃るると云ふ現象も、
この精液排泄の関係によるものにして、全身を保持するにすら足らざる精液即ち精力を浪費する傾向、
老、中年者に比して多きによるものである。
又また青年の該病(肺病)に犯さるる率多きも精液濫費に起因する結果である。
精液は精力の素、全身に充満して之に活力を与ふるものにして、
其の過剰はもつて、生殖に填充せらるるものたることを知らねばならぬ。
女子に於いても精液は全身に充満し、其の過剰は月経によつて調節せられつつあるから、
月経閉止後は精液の充実によつて、多くは肥満する傾向がある。
(附記)
近来、性の問題についてはよほど学術的に研究せられつつあるやうですが、
今迄は黄表紙的に取り扱はれて、神聖なるこの問題に関しては真面目に論議せられたものがない、
神諭にも、世の乱れは夫婦(めをと)の道からと云ふ意味の事が示されて居ります。
この道は人の全生活に及ぼす大切なる問題であるにも拘はらず、
今迄示されなかつたのを今回教示せられたのです。
この御神教(みのり)を基として性の問題を真面目に考へさして頂き度いと存じます。
(出口王仁三郎著 『月鏡』)
〜人魚と若がへり法 〜
昔から人魚を食べると年が寄らぬと云ひつたへて居るが、
人魚と云ふのは、上半身が人間で下半身が魚であると伝へて居るけれども、
それはウソであつて一種の謎である。人魚と云ふのは【精虫】の事である。
人体から出る動物であつて、魚のやうな形をして精液の中を泳いで居るから、
それで【人魚】と云うたので、人魚を食べれば年取らぬと云ふのは、
活力素を体内に取り入れるから元気旺盛であると云ふ事になる。
併し人魚たる活力素も、父体の体質如何によつては甚だ貧弱なものもあるから一概には云へない。
所がここに、植物であつて、人魚即ち精虫と少しも違はぬ成分を持つて居るものがある。
それは銀杏である。
銀杏は前世紀に属する植物であつて、其実は全部精虫をもつて充たされて居るのである。
故にこれを食すれば人魚を食べると同様の効果を生ずる。
これが若返りの秘訣である。
取り立ての銀杏実を【生で】食べるので、一日の量十箇を越えざる範囲に於て食するのである。
但し一冬越しては効果が無い事になる。
又銀杏樹にさうした成分を含んで居るのであるから、此樹で作られた御手代は若返りの御神徳が頂けるのである。
編者申す。因に銀杏樹で作られた若返りの御手代には「若がへれ弥若返れ若がへれ公孫樹のごと若やぐ御手代」との御神歌が記されてあります。
(出口王仁三郎著 『神の国』)
〜肺病について 〜
肺病になま葱が効能あることはかつて話しておいたが、それには一つの条件が伴ふので、その条件と云ふのは男女の交はりを断つ事である。
断つと云うても一生涯たつと云ふのではなく、病気の時だけで、全快した後は勿論差し支えないのであるが、その辛抱が出来ないで、みすみす大切な命を失ふ者があるのは情ない事である。
肺病の中でも喀血するのは一番性質のよいもので、悪いものをみな喀き出してしまふのであるから、性交さへ慎んだらきつと癒るのである。
今は昔の話となつたが、京都にNと云ふ男があつて、人妻であるTと云ふ女と通じて、不都合のありたけをつくす。
Tは全く亭主を尻に敷いて、情夫と共にあれせい、これせいと命令を下すと、お人好しの亭主は諾々としてその命令に服従すると云ふ風で、全くお話にならぬ。
私がやかましう云うて叱つてやると、その時は神妙に改心するのであるが、しばらくすると、また本の木阿弥、これは双方に夫婦の狐がついてゐたのである。
Nは肺病にかかつてゐたので、「男女の交はりをたたぬと三年のうちに命が終はるからよせ」と云ふと、「仰せの通り三年にして命が終はつてもよろしい、好きな事をして死にとう御座います、好きな事せんくらゐなら生きてゐても仕方がないのです」と云うて聞かなかつたので、とうとう死んでしまつた。
狐の生活をしやうと云ふのだから仕方がない。その狐がまたある人に憑依してしまつたのだが、その人は神の道にゐながら、性的生活に没頭してしまつて、人間の能事了はれりと云ふ有様である。
人間が肺病にかかると、とかく情慾が昂進するもので、これを抑へ切る勇気がないと到底助からぬのである。
(出口王仁三郎著 『月鏡 』)
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2020年06月04日
2020年05月23日
【霊界物語スーパーメルマガ】 三鏡 244 泥は薬
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霊界物語スーパーメールマガジン
2020.5.18
出口王仁三郎・著『霊界物語』を
飯塚弘明がやさしく解説します
(当面の間、霊界物語ではなく
「三鏡」の解説をお送りしています)
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╋ 三鏡244泥は薬 ╋
●水鏡「泥は薬」
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg244
天恩郷・洗心亭(せんしんてい)の湯が時々泥湯になることがあるが、それははなはだ結構なことである。そもそも人間はお土からむしわかされたものであるから、土は人間に
取ってはなはだ結構なものである。そういうお湯に入るのは温泉に入るようなものでたいそう薬になるものである。
お土はそれ自体が薬になるから、病気のときにはお土を溶かして飲むとよく利く。またお腹の空いたときには土を食べてもよろしい。
私はかつて伏見から綾部まで二十五里の道を、何も食べることができないで帰ったことがあるが、そのとき赤土を取って水に溶かして飲んで食物の代用とした。そして無事綾部
に帰りついた。
土と言うても大本のお土さんのように粘り気のある土でなくてはいけぬ。
初出:『神の国』昭和3年(1928年)1月号
- - - - - - - - - - - - - - - - -
今回はお土についてです。
洗心亭とは天恩郷の宿泊施設にある浴場のことで、今は近代化されてますから土が混じることはないでしょうけど、昔は土が混じって泥のお湯になることがあったようです。
お風呂のお湯が泥だらけだったら「汚ね〜」と誰もが拒絶するでしょうけど、土が入っていることは逆に結構なことだと王仁三郎は言うのです。
「人間はお土からむしわかされたもの」というのは、意味がよく分かりませんが、王仁三郎は「人間は木から生まれた」とも説いています。
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg195
植物にせよ動物にせよ、地上の生き物は全て土から生まれています。もちろん、土がいきなり動植物になったわけではなく、長い歳月をかけて、動植物に変化したのです。「お土
からむしわかされた」というのは、そういうような意味かも知れません。
人間の肉体はもともとが土から出来ているのだから、土は体に良い、薬になる、というわけです。
コンクリートジャングルの中で生まれ育った現代人は、土を毛嫌いする人が多いです。
その一方では、家庭菜園や、アウトドアなど、土に回帰しようとする傾向も見られます。
人間は土と切り離して生きていけません。
アトピー性皮膚炎の子が、農作業の体験学習をしたら、症状が良くなったという例もあります。
土の無い宇宙空間で人間が暮らすようになったら、人体にどんな悪影響が生じるか分かったものではありません。
大本神諭や霊界物語で、お土とお水と火の御恩ということを繰り返し説いていますが、土と水に関しては、大本で下付しているものがあります。
こちらにパンフレットがあります。↓
https://oomoto.or.jp/wp/wp-content/uploads/2020/01/iroha007.pdf
このパンフレットにも少し書いてありますが、土には薬効があることが昔から知られています。土に含まれているミネラルや微生物が、肉体に作用するのでしょう。
王仁三郎は他にも土の効能について次のようなこと教えています。
●松と土と水(水鏡)
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg248
「大概の病気は、松と土と水さえあったら癒るものである(略)お土は傷をした場合にぬりつけるとよい。切瘡(きりきず)、火傷、打身(うちみ)腫れ物などなんにでもよい」
●日本人の寿命(月鏡)
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg425
「日本人の平均寿命は三十歳である。大学を卒業して間もなく死ぬ者があるのは、これはお土に親しまぬために起こるのである」
●ワキガの根治法(月鏡)
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg449
「ワキガを根治するには、お土を三週間続けて塗付するのである。お土がすっかりバイ菌を吸い取ってしまうので、臭気がなくなるのである」
●お土(玉鏡)
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg830
「お土の有り難いことは今さら言うまでもないが、内臓諸病には、いったんこれを煮て水に薄め服用するとどんな病気にでも利くのである。煮るとお土、お水、お火と御神徳を三
つ一緒にいただくことになるから一層結構なのである」
人類は土を薬としてだけではなく、食べ物としても使って来ました。「土食(どしょく)」と呼ぶようです。
ウィキペディアを参考にして下さい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F_(%E9%A3%9F%E6%9D%90)
王仁三郎も、京都の伏見から綾部に帰る途中、土を食べて空腹をしのいだことが、冒頭の文章に出ていましたね。
「粘り気のある土でなくてはいけぬ」と注意が書いてました。
食用や薬用として使う土は、粘土のような土らしいです。
土食に関する情報はあまり多くないんですが、日本でほぼ唯一と思える本を紹介します。
●ケイ・ミズモリ著『「粘土食」自然強健法の超ススメ』(ヒカルランド、2012年)
この著者は王仁三郎を知らないと思いますが、この本に書いてあることは、王仁三郎が説いたことと同じです。
興味のある方はぜひ読んでみて下さい。
日本では見かけませんが、アメリカでは土のサプリメントが売っているそうです。
アマゾンで「食用粘土」などのキーワードで探すと、少し出て来ます。
しかしアメリカの土のようなので、日本に住んでいる人は、日本の土を食べるべきです。
その土地で採れたものを食べるということが、地上に住む生物としての大原則です。
ですが、ネットで調べても、個人的に粘土食をやっている人はいても、それを販売している人はいないようです。
これはビジネスチャンスかも知れませんよ。
今、世間の一部では昆虫食が流行りつつありますが、それに続いて粘土食が流行るかも知れません。
〜〜〜霊界物語スーパーメールマガジンから引用〜〜〜
霊界物語スーパーメールマガジン
2020.5.18
出口王仁三郎・著『霊界物語』を
飯塚弘明がやさしく解説します
(当面の間、霊界物語ではなく
「三鏡」の解説をお送りしています)
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╋ 三鏡244泥は薬 ╋
●水鏡「泥は薬」
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg244
天恩郷・洗心亭(せんしんてい)の湯が時々泥湯になることがあるが、それははなはだ結構なことである。そもそも人間はお土からむしわかされたものであるから、土は人間に
取ってはなはだ結構なものである。そういうお湯に入るのは温泉に入るようなものでたいそう薬になるものである。
お土はそれ自体が薬になるから、病気のときにはお土を溶かして飲むとよく利く。またお腹の空いたときには土を食べてもよろしい。
私はかつて伏見から綾部まで二十五里の道を、何も食べることができないで帰ったことがあるが、そのとき赤土を取って水に溶かして飲んで食物の代用とした。そして無事綾部
に帰りついた。
土と言うても大本のお土さんのように粘り気のある土でなくてはいけぬ。
初出:『神の国』昭和3年(1928年)1月号
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今回はお土についてです。
洗心亭とは天恩郷の宿泊施設にある浴場のことで、今は近代化されてますから土が混じることはないでしょうけど、昔は土が混じって泥のお湯になることがあったようです。
お風呂のお湯が泥だらけだったら「汚ね〜」と誰もが拒絶するでしょうけど、土が入っていることは逆に結構なことだと王仁三郎は言うのです。
「人間はお土からむしわかされたもの」というのは、意味がよく分かりませんが、王仁三郎は「人間は木から生まれた」とも説いています。
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg195
植物にせよ動物にせよ、地上の生き物は全て土から生まれています。もちろん、土がいきなり動植物になったわけではなく、長い歳月をかけて、動植物に変化したのです。「お土
からむしわかされた」というのは、そういうような意味かも知れません。
人間の肉体はもともとが土から出来ているのだから、土は体に良い、薬になる、というわけです。
コンクリートジャングルの中で生まれ育った現代人は、土を毛嫌いする人が多いです。
その一方では、家庭菜園や、アウトドアなど、土に回帰しようとする傾向も見られます。
人間は土と切り離して生きていけません。
アトピー性皮膚炎の子が、農作業の体験学習をしたら、症状が良くなったという例もあります。
土の無い宇宙空間で人間が暮らすようになったら、人体にどんな悪影響が生じるか分かったものではありません。
大本神諭や霊界物語で、お土とお水と火の御恩ということを繰り返し説いていますが、土と水に関しては、大本で下付しているものがあります。
こちらにパンフレットがあります。↓
https://oomoto.or.jp/wp/wp-content/uploads/2020/01/iroha007.pdf
このパンフレットにも少し書いてありますが、土には薬効があることが昔から知られています。土に含まれているミネラルや微生物が、肉体に作用するのでしょう。
王仁三郎は他にも土の効能について次のようなこと教えています。
●松と土と水(水鏡)
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg248
「大概の病気は、松と土と水さえあったら癒るものである(略)お土は傷をした場合にぬりつけるとよい。切瘡(きりきず)、火傷、打身(うちみ)腫れ物などなんにでもよい」
●日本人の寿命(月鏡)
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg425
「日本人の平均寿命は三十歳である。大学を卒業して間もなく死ぬ者があるのは、これはお土に親しまぬために起こるのである」
●ワキガの根治法(月鏡)
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg449
「ワキガを根治するには、お土を三週間続けて塗付するのである。お土がすっかりバイ菌を吸い取ってしまうので、臭気がなくなるのである」
●お土(玉鏡)
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg830
「お土の有り難いことは今さら言うまでもないが、内臓諸病には、いったんこれを煮て水に薄め服用するとどんな病気にでも利くのである。煮るとお土、お水、お火と御神徳を三
つ一緒にいただくことになるから一層結構なのである」
人類は土を薬としてだけではなく、食べ物としても使って来ました。「土食(どしょく)」と呼ぶようです。
ウィキペディアを参考にして下さい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F_(%E9%A3%9F%E6%9D%90)
王仁三郎も、京都の伏見から綾部に帰る途中、土を食べて空腹をしのいだことが、冒頭の文章に出ていましたね。
「粘り気のある土でなくてはいけぬ」と注意が書いてました。
食用や薬用として使う土は、粘土のような土らしいです。
土食に関する情報はあまり多くないんですが、日本でほぼ唯一と思える本を紹介します。
●ケイ・ミズモリ著『「粘土食」自然強健法の超ススメ』(ヒカルランド、2012年)
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この著者は王仁三郎を知らないと思いますが、この本に書いてあることは、王仁三郎が説いたことと同じです。
興味のある方はぜひ読んでみて下さい。
日本では見かけませんが、アメリカでは土のサプリメントが売っているそうです。
アマゾンで「食用粘土」などのキーワードで探すと、少し出て来ます。
しかしアメリカの土のようなので、日本に住んでいる人は、日本の土を食べるべきです。
その土地で採れたものを食べるということが、地上に住む生物としての大原則です。
ですが、ネットで調べても、個人的に粘土食をやっている人はいても、それを販売している人はいないようです。
これはビジネスチャンスかも知れませんよ。
今、世間の一部では昆虫食が流行りつつありますが、それに続いて粘土食が流行るかも知れません。
〜〜〜霊界物語スーパーメールマガジンから引用〜〜〜
タグ:粘土食
2020年05月17日
【霊界物語スーパーメルマガ】三鏡227癩病と肺病は天刑病
三鏡227癩病と肺病は天刑病 ╋
●水鏡「癩病と肺病は天刑病」
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg227
癩病(らいびょう)、肺病、共に体の組織が破壊される病であって、どちらとも天刑病である。癩病は外部に起こる天刑病、肺病は内部に起こる天刑病である。普通ではなかなか癒らぬ。よほど深い信仰に入らねばいかぬ。
「言うて聞かせてやりたいけれど、今の人間は欲に呆けているから、取り違いをするから」とて、教祖様(注・出口直)もとうとう平癒の方法を示されなかった。
初出:不明
- - - - - - - - - - - - - - - - -
癩病というのはハンセン病のことであり、日本でも外国でも、昔から患者が差別されて来ました。
ハンセン病は皮膚病で、後天的な感染症ですが、昔は遺伝的なものと考えられたり、感染力が強いと思われたり(実際には感染力は弱い)して、患者は隔離されたり、迫害を受けて来たのです。
第二次大戦後に有効な治療薬が開発されて完治するようになりましたが、それ以前はなかなか治らないため、一生を隔離施設で暮らすようなことになり、苦しい目に遭ってきました。
日本では2001年になって、ハンセン病患者の名誉回復・補償のための法律が出来ています。
今でもときどき、ホテルなどがハンセン病患者の宿泊を拒否したりして、社会問題になることがあります。
上記の水鏡の文章は、第二次大戦後に発行された三鏡(水鏡、月鏡、玉鏡の3冊の総称)からは全て削除されています。
ハンセン病に対する偏見・差別を無くそうということで、削除されたのだと思います。
そういう作業をポリティカル・コレクトネス(略してPC)と呼びます。
日本語に訳すと「政治的公正」というような意味になります。
デジタル大辞泉には、PCとは「人種・宗教・性別などの違いによる偏見・差別を含まない、中立的な表現や用語を用いること」と書いてあります。
https://kotobank.jp/word/-631565
たとえば「めくら」を「目の不自由な人」と言い換えたり、「看護婦」を「看護師」と言い換えたりするようなことです。
それは宗教界も無関係ではなく、教典の言葉の書き換えや、場合によっては教義の変更も余儀なくされます。
キリスト教の聖書に、イエス・キリストが皮膚病の人を癒す場面があります。これは昔は「癩病」と訳されていましたが、今は「重い皮膚病」と訳されています(1996年以降
に発行された新共同訳聖書)。
https://www.bible.or.jp/read/read08.html
現代を生きる教団としては、こういう言い換えや削除も必要になって来るのです。
宗教団体の社会的責任ということを考えたら、やむを得ない対応です。
上記の王仁三郎の教示の中に「天刑病」という言葉が出て来ましたが、ハンセン病はまさにその「天刑病」だとして差別されてきたという一面があります。
天刑病とは文字通り、天(神)が与えた刑罰、ということです。
ハンセン病に対するの差別の歴史を知っていると、王仁三郎の教示「癩病と肺病は天刑病」は社会的にマズイから無視してしてしまおう・・・とつい思ってしまいます。
しかしそれでは神様に向き合っていることにはなりません。
癩病が天刑病だというのは、宗教的なレトリックです。「三千世界一度に開く梅の花」とか「霊主体従」とかと同じです。
宗教的な表現です。
そしてそれは、国語辞書的な意味ではありません。
既存の言葉に新しい意味を与えたり、造語を作ったりして、人間が持っている常識とか固定概念というものを変えて行き、人間を霊的に甦らせて行くことが、宗教の重要な使命です。
「癩病と肺病は天刑病」だと聞いて、それらの病人に対して「前世で悪いことをしたから罰が当たったんだ、ざまーみろ」とか、「汚いからあっちに行け」などと思う人は、そもそもその人自身の身魂が汚れています。
王仁三郎はそのように「差別をしろ」と教えているわけではありません。
人類は今まで、それらの病人を「天刑病だから」という理由で差別して来たわけですが、なぜ、「天刑病だから」差別をしなくてはいけないのでしょうか? それは固定概念です。
ここに本当の問題があります。
人類愛善の精神に照らしてみれば、「天刑病だから」差別をしよう(蔑視しよう)なんてことにはなりません。
逆に、何とか助けてあげよう、救ってあげたい、という気持ちになるのではないでしょうか?
そのような気持ちが起こらないのは、私たちが体主霊従(われよし、利己主義)の人間だからです。
結局のところ、あらゆる差別というものは──自分がこの世に生きていてもおもしろくない、人生の憂さを晴らすために、誰かを虐めたい、虐めてストレスを解消し、誰かを踏み台にして自分の自尊心を維持したい、そういうイジメを正当化するために、「天刑病だから」「黒人だから」「ホームレスだから」などという大義名分を立てているのです。
そういう気持ちがある以上、表面的なものが「天刑病」から「新型コロナウイルス」に変わったり、「黒人」が「白人」に変わったりするだけで、差別というものがなくなることはありません。
そういった人間の性質を変化させ、ミロクの世にふさわしい人間へと変えて行くことが、スサノオが率いる、霊主体従(ひのもと)の宗教である三五教の目的です。
霊界物語に皮膚が膿んだ天刑病者が登場するシーンが3回出て来ます。
●第24巻第16章「慈愛の涙」で、初稚姫一行の前に、
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm2416
●第29巻第13章「愛流川」で、高姫一行の前に、
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm2913
●第47巻第14章「天開の花」で、治国別一行の前に、
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm4714
それぞれ病人が現れて、膿んだ汁を吸ってくれと頼むのです。
宣伝使たちは、その人の願いを喜んで受け入れ、膿汁を吸い取りました。
この3人の病人はいずれも、木花姫命の化身でした。宣伝使たちの身魂がどこまで磨けたか、試験を与えたのです。
このように王仁三郎は、天刑病者だから差別してよい、蔑視してよい、と教えているのではありません。
どんな人にでも愛善の精神で接して、助けてあげなさいと教えているのです。
(実際に差別を受けて来た人から見ると、そのような描写をすること自体が差別的だと感じるかも知れませんが、そのあたりは致し方ないことです)
福島原発の放射能もそうでしたし、このたびの新型コロナウイルスも同じです。
病人にかかった人を蔑視したり、病気にかかったこと自体を非難したり、そういう利己的な行動が社会の各所に見られます。
どんな人でも、不安や恐怖に襲われると、利己的になりがちです。それが人間社会を滅ぼす最大の原因です。
その不安や恐怖を解消し、安心立命へ導くものが信仰です。
何事も神様の御心のままに任す──惟神(かんながら)の精神によって、不安定な時代を乗り切って参りましょう。
★‥…―━―…‥・‥…―━―…‥★
お読みいただきありがとうございました!
次回もお楽しみに!
+‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥+
『霊界物語スーパーメールマガジン』
■発行日 令和2年(2020年)5月14日 (毎週月曜、木曜発行)
■発行所 オニド(王仁三郎ドット・ジェイピー)
http://www.onisavulo.jp/
■発行人 飯塚弘明
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(C) 2020 IIZUKA HIROAKI
注:出典を明記していただければ自由に転載してもらっても構いません。
たとえば、「霊界物語スーパーメールマガジンから引用」などと
どこかに書いておいてもらえればOKです。
●水鏡「癩病と肺病は天刑病」
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg227
癩病(らいびょう)、肺病、共に体の組織が破壊される病であって、どちらとも天刑病である。癩病は外部に起こる天刑病、肺病は内部に起こる天刑病である。普通ではなかなか癒らぬ。よほど深い信仰に入らねばいかぬ。
「言うて聞かせてやりたいけれど、今の人間は欲に呆けているから、取り違いをするから」とて、教祖様(注・出口直)もとうとう平癒の方法を示されなかった。
初出:不明
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癩病というのはハンセン病のことであり、日本でも外国でも、昔から患者が差別されて来ました。
ハンセン病は皮膚病で、後天的な感染症ですが、昔は遺伝的なものと考えられたり、感染力が強いと思われたり(実際には感染力は弱い)して、患者は隔離されたり、迫害を受けて来たのです。
第二次大戦後に有効な治療薬が開発されて完治するようになりましたが、それ以前はなかなか治らないため、一生を隔離施設で暮らすようなことになり、苦しい目に遭ってきました。
日本では2001年になって、ハンセン病患者の名誉回復・補償のための法律が出来ています。
今でもときどき、ホテルなどがハンセン病患者の宿泊を拒否したりして、社会問題になることがあります。
上記の水鏡の文章は、第二次大戦後に発行された三鏡(水鏡、月鏡、玉鏡の3冊の総称)からは全て削除されています。
ハンセン病に対する偏見・差別を無くそうということで、削除されたのだと思います。
そういう作業をポリティカル・コレクトネス(略してPC)と呼びます。
日本語に訳すと「政治的公正」というような意味になります。
デジタル大辞泉には、PCとは「人種・宗教・性別などの違いによる偏見・差別を含まない、中立的な表現や用語を用いること」と書いてあります。
https://kotobank.jp/word/-631565
たとえば「めくら」を「目の不自由な人」と言い換えたり、「看護婦」を「看護師」と言い換えたりするようなことです。
それは宗教界も無関係ではなく、教典の言葉の書き換えや、場合によっては教義の変更も余儀なくされます。
キリスト教の聖書に、イエス・キリストが皮膚病の人を癒す場面があります。これは昔は「癩病」と訳されていましたが、今は「重い皮膚病」と訳されています(1996年以降
に発行された新共同訳聖書)。
https://www.bible.or.jp/read/read08.html
現代を生きる教団としては、こういう言い換えや削除も必要になって来るのです。
宗教団体の社会的責任ということを考えたら、やむを得ない対応です。
上記の王仁三郎の教示の中に「天刑病」という言葉が出て来ましたが、ハンセン病はまさにその「天刑病」だとして差別されてきたという一面があります。
天刑病とは文字通り、天(神)が与えた刑罰、ということです。
ハンセン病に対するの差別の歴史を知っていると、王仁三郎の教示「癩病と肺病は天刑病」は社会的にマズイから無視してしてしまおう・・・とつい思ってしまいます。
しかしそれでは神様に向き合っていることにはなりません。
癩病が天刑病だというのは、宗教的なレトリックです。「三千世界一度に開く梅の花」とか「霊主体従」とかと同じです。
宗教的な表現です。
そしてそれは、国語辞書的な意味ではありません。
既存の言葉に新しい意味を与えたり、造語を作ったりして、人間が持っている常識とか固定概念というものを変えて行き、人間を霊的に甦らせて行くことが、宗教の重要な使命です。
「癩病と肺病は天刑病」だと聞いて、それらの病人に対して「前世で悪いことをしたから罰が当たったんだ、ざまーみろ」とか、「汚いからあっちに行け」などと思う人は、そもそもその人自身の身魂が汚れています。
王仁三郎はそのように「差別をしろ」と教えているわけではありません。
人類は今まで、それらの病人を「天刑病だから」という理由で差別して来たわけですが、なぜ、「天刑病だから」差別をしなくてはいけないのでしょうか? それは固定概念です。
ここに本当の問題があります。
人類愛善の精神に照らしてみれば、「天刑病だから」差別をしよう(蔑視しよう)なんてことにはなりません。
逆に、何とか助けてあげよう、救ってあげたい、という気持ちになるのではないでしょうか?
そのような気持ちが起こらないのは、私たちが体主霊従(われよし、利己主義)の人間だからです。
結局のところ、あらゆる差別というものは──自分がこの世に生きていてもおもしろくない、人生の憂さを晴らすために、誰かを虐めたい、虐めてストレスを解消し、誰かを踏み台にして自分の自尊心を維持したい、そういうイジメを正当化するために、「天刑病だから」「黒人だから」「ホームレスだから」などという大義名分を立てているのです。
そういう気持ちがある以上、表面的なものが「天刑病」から「新型コロナウイルス」に変わったり、「黒人」が「白人」に変わったりするだけで、差別というものがなくなることはありません。
そういった人間の性質を変化させ、ミロクの世にふさわしい人間へと変えて行くことが、スサノオが率いる、霊主体従(ひのもと)の宗教である三五教の目的です。
霊界物語に皮膚が膿んだ天刑病者が登場するシーンが3回出て来ます。
●第24巻第16章「慈愛の涙」で、初稚姫一行の前に、
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm2416
●第29巻第13章「愛流川」で、高姫一行の前に、
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm2913
●第47巻第14章「天開の花」で、治国別一行の前に、
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm4714
それぞれ病人が現れて、膿んだ汁を吸ってくれと頼むのです。
宣伝使たちは、その人の願いを喜んで受け入れ、膿汁を吸い取りました。
この3人の病人はいずれも、木花姫命の化身でした。宣伝使たちの身魂がどこまで磨けたか、試験を与えたのです。
このように王仁三郎は、天刑病者だから差別してよい、蔑視してよい、と教えているのではありません。
どんな人にでも愛善の精神で接して、助けてあげなさいと教えているのです。
(実際に差別を受けて来た人から見ると、そのような描写をすること自体が差別的だと感じるかも知れませんが、そのあたりは致し方ないことです)
福島原発の放射能もそうでしたし、このたびの新型コロナウイルスも同じです。
病人にかかった人を蔑視したり、病気にかかったこと自体を非難したり、そういう利己的な行動が社会の各所に見られます。
どんな人でも、不安や恐怖に襲われると、利己的になりがちです。それが人間社会を滅ぼす最大の原因です。
その不安や恐怖を解消し、安心立命へ導くものが信仰です。
何事も神様の御心のままに任す──惟神(かんながら)の精神によって、不安定な時代を乗り切って参りましょう。
★‥…―━―…‥・‥…―━―…‥★
お読みいただきありがとうございました!
次回もお楽しみに!
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タグ:霊界物語スーパーメルマガ 飯塚弘明
2019年05月11日
性欲の問題
性欲には正淫と邪淫との別がある。よし正当の婚姻をした夫婦でも、其性的生活が複雑であつて、天地自然の理法に違反した性交を遂行するやうな事があると、逆児などが出来るのであるから、慎まねばならぬ。又妻が妊娠した事が確実となつた暁には、断然性的関係を止さねばならぬ。出産後七十五日間は最も慎むべき時期で、此期間に性の交渉があると年子が生れる。女の病気はさうした事から起る場合が多い。私の母はこの点を非常に厳格に守つたさうで、先年食傷で病気した事があるきり、若い時から一度も寝た事はない。産なんかも極めて軽く、私が生れた時は夕食中産気がついたので、母は寝床をのべようとするや否やもう生れて仕舞つたさうである。
子供が生れた時は誰でも頭が長いものだから、格好を直してやるとよい、丸い頭が一番よいのである。生れる時親の苦痛も大きいが、子の苦痛は一層大きいのである。
性欲と云ふものは最後まであるもので、人生の春は生涯つづくものである。さういふみづみづしい心でなくては、天国に入る事が出来ない。天国は春から夏へつづくのである。人間は常に若々しい三十位の想念でなくてはならぬ。
出典:Reikai Monogatari Net (霊界物語ネット)略して「レモン」
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg308
子供が生れた時は誰でも頭が長いものだから、格好を直してやるとよい、丸い頭が一番よいのである。生れる時親の苦痛も大きいが、子の苦痛は一層大きいのである。
性欲と云ふものは最後まであるもので、人生の春は生涯つづくものである。さういふみづみづしい心でなくては、天国に入る事が出来ない。天国は春から夏へつづくのである。人間は常に若々しい三十位の想念でなくてはならぬ。
出典:Reikai Monogatari Net (霊界物語ネット)略して「レモン」
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg308
タグ:性欲の問題
2019年05月10日
慧春尼
足利時代に於ける、禅林の傑物と称へられた慧春尼は尼僧として数ふるに足るべき貞操の固い尼僧であつた。慧春尼は、意志の弱いものと侮蔑された当時の女のために、気を吐いた訳である。彼能く得度し得たるは、花顔月眉、丈なす黒髪を吝気もなく切り捨てた所にある。彼は性欲なんか問題にしてゐなかつた。それでも相応に恋の迫害を受けた。彼は赤裸々となつて陰部を開放するだけの勇気があつた。彼が禅林に修する時、某男僧から情交を要求されて、絶対に辞言に窮したる場合に、一策を案出して曰く「妾の為すことは如何なる事にても為し玉ふか、それを能く為し、妾が言ふが儘になると云ふ御約束なれば、妾の身体は貴僧が意に従ふべし」といふ問題を提出した。茲に熱烈なる恋に燃え切つた男僧は、即座に之を諒とし、如何なる場合に、如何なる事にても、是に応ずべきを諾し、寸刻も彼尼僧が提出条件の速ならん事を希ひ、恋の成就と性欲の満足を期せんものと、満身ただそれより外に念とすべきものは無かつた。
扨て、男僧が熱烈なる生命がけの恋の成就の期は到来した。慧春尼は、如何なる問題を男僧の前に提出したかと云へば、実に思ひ切り徹底した問題であつた。慧春尼は或日大法会にて幾百の僧侶が、大本堂に集会した、尼は斯の時こそはと、赤裸体にて万衆の中に出で、陰部を開放して曰「某男僧よ、願はくは此の衆僧の眼前にて、只今妾が身体を貴僧に任せん、積日の欲望を達せられよ、自由に情欲を充たされよ」と恥づるの色なく平然として出でた。時に某男僧は顔より火を発して、何処ともなく逃げさりたりとの逸話がある。是を見るも如何に彼が俗を脱して居たかと云ふ消息が解る。そして女人の慧春は能く男と成り得たのである。
茲に、現代の新しい女と一時名を天下になした平塚雷鳥が、禅味を気取つて、前を捲つて示す可からざるを示し、南天棒に抱ついて接吻したなどは大に見るべきものがあるとしてあつたに拘らず、若い燕と、水も入らない生活を送る人となつた。そして今では児まで生んで俗化し最早処女では無くなつた。処女の美を捨てた彼は矢張り女であつた。現代の尼僧が尼僧たるに到つた経路は、千態万様到底純真なものは尠い。世を捨鉢の者もあるだらうし、悔恨の情禁ずる能はずして遂に剃髪した者もあるだらう。煩悶悲痛人事の盡きざるを感奮して、此の境に入つたものもあらう。然し彼等が一生を通じて、初心を貫く事が出来るかが、頗る疑問である。彼等が山門に於て、稚気満幅変な匂ひが鼻孔を穿つを聞くは、猶女を脱する事の出来ない證拠である。彼等が激しく変つた感情に支配されて尼僧となつて幾日ならず、能く禅味を味はふ事が出来ず、馬鹿馬鹿しいと云つて、俗に還るものが往々あるを観ては、彼等が心事を察するに余りありである。彼等は頭髪を切捨たりと雖も猶、臀肉を有す、彼等が得度の域に達せんと欲するならば、猶臀肉をも削らねばならぬ。到底臀肉を有する間は性欲を捨つる事、決して不可能事に属するものである。
天地の神の恵みを打忘れ
仏に仕ふる不徹底の尼
出典:Reikai Monogatari Net (霊界物語ネット)略して「レモン」
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg293
扨て、男僧が熱烈なる生命がけの恋の成就の期は到来した。慧春尼は、如何なる問題を男僧の前に提出したかと云へば、実に思ひ切り徹底した問題であつた。慧春尼は或日大法会にて幾百の僧侶が、大本堂に集会した、尼は斯の時こそはと、赤裸体にて万衆の中に出で、陰部を開放して曰「某男僧よ、願はくは此の衆僧の眼前にて、只今妾が身体を貴僧に任せん、積日の欲望を達せられよ、自由に情欲を充たされよ」と恥づるの色なく平然として出でた。時に某男僧は顔より火を発して、何処ともなく逃げさりたりとの逸話がある。是を見るも如何に彼が俗を脱して居たかと云ふ消息が解る。そして女人の慧春は能く男と成り得たのである。
茲に、現代の新しい女と一時名を天下になした平塚雷鳥が、禅味を気取つて、前を捲つて示す可からざるを示し、南天棒に抱ついて接吻したなどは大に見るべきものがあるとしてあつたに拘らず、若い燕と、水も入らない生活を送る人となつた。そして今では児まで生んで俗化し最早処女では無くなつた。処女の美を捨てた彼は矢張り女であつた。現代の尼僧が尼僧たるに到つた経路は、千態万様到底純真なものは尠い。世を捨鉢の者もあるだらうし、悔恨の情禁ずる能はずして遂に剃髪した者もあるだらう。煩悶悲痛人事の盡きざるを感奮して、此の境に入つたものもあらう。然し彼等が一生を通じて、初心を貫く事が出来るかが、頗る疑問である。彼等が山門に於て、稚気満幅変な匂ひが鼻孔を穿つを聞くは、猶女を脱する事の出来ない證拠である。彼等が激しく変つた感情に支配されて尼僧となつて幾日ならず、能く禅味を味はふ事が出来ず、馬鹿馬鹿しいと云つて、俗に還るものが往々あるを観ては、彼等が心事を察するに余りありである。彼等は頭髪を切捨たりと雖も猶、臀肉を有す、彼等が得度の域に達せんと欲するならば、猶臀肉をも削らねばならぬ。到底臀肉を有する間は性欲を捨つる事、決して不可能事に属するものである。
天地の神の恵みを打忘れ
仏に仕ふる不徹底の尼
出典:Reikai Monogatari Net (霊界物語ネット)略して「レモン」
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タグ:慧春尼
2019年05月09日
葱と呼吸器病
葱は肋膜炎や肺病等に特効あるものである。元来葱は其成分中に殺菌剤と精力増進剤とを兼ね備へて居るのであるから、非常に結構なものである。但其用法は刻んだり、煮たりしたのでは効果はない、生の儘一寸五分位にちぎつて味噌をつけて食するのである。ことに醤油の諸味をつけて食べるのが一等である。
出典:Reikai Monogatari Net (霊界物語ネット)略して「レモン」
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg228
出典:Reikai Monogatari Net (霊界物語ネット)略して「レモン」
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg228
タグ:葱と呼吸器病
2019年05月08日
千の利休は明智光秀
千の利休と云ふ人は、明智光秀の成れの果てである。明智光秀は山崎の一戦に脆くも敗れて、遂に名もなき一土兵の為めに竹槍にてつき殺されたと、歴史に伝へられてあるがあれは嘘である。天王山の一戦で勝敗の決することは、初めからよく承知してをつたが、光秀は将士の度々の迎へをうけながら、態とグズグズして居て、遂に勝を秀吉に譲つたのである。実は疾くに光秀と秀吉との間には妥協が成立して居たのである。聡明なる光秀は、たとへ如何なる事情があつたにもせよ、いつたん主殺の汚名を着たものが、天下の将軍となつても永続きがせぬと云ふ事をよく承知して居て秀吉に勝を譲つたのである。そして彼は頭を丸めてお茶坊主となり、萩の枝折戸四畳半の中にあつて、天下の大事を論じ、謀を廻らして秀吉を太閤の地位迄押しのぼして仕舞つたのである。彼は実に秀吉の好参謀であつたのである。朝鮮征伐なども、彼の献策に出たものである。茶室に這入るには丸腰となつてにじり口より入らねばならぬ。元亀天正時代の荒武者を制御操縦するに、もつて来いの場所方法であつた。第一秘密を保つに絶好であつた。後彼は娘の美貌が禍の因をなして自殺を余儀なくせしめられたと、世に伝へられて居るが、全く跡形もない事である。英雄、英雄を知る諸般機微の消息は俗人には分らぬ。
筆者がこのお話を伺つて、或時の事二三の方々にお話して居りました、偶座に岡山の太田栄子夫人が居られて、この話を裏書する面白い物語をせられましたので、左に御紹介致します。
太田夫人は、大正九年の頃、聖師様から「千の利休は明智光秀である」と云ふ事を承はつて、それを師匠(お茶の先生)の名倉某氏に話されたさうです。さうすると名倉氏はそれを又家元(当時第十三代円能斎氏)に話されました、すると円能斎氏の顔色がサツと変つて暫くは物も云はれなかつたさうですが、太い吐息と共に口を突いて出た言葉は、「まあどうしてそれが分つたのですか」と云ふ事であつたと云ふ事です。そして、更に語をついで、「その事こそ、千家に伝はる、一子相伝の大秘密であつて、後を嗣ぐ長男のみが知つて、次から次へと言ひつたへ語りつぎて、世に知るものが絶えて無い筈です。どうしてそれが分つたのでせう」と聞くので、名倉氏は「霊覚によつて分つたのです。丹波の国綾部町に、大神通力を供へた聖者がありましてその人の霊覚によつて、其秘事が分つて来たのです」とて、聖師様に関するお話をせられました。円能斎氏はいたく驚き且感じ入り、遂に執事を派して綾部に参拝せしめ、次で自らも亦参拝せられたさうですが、深くこの事を秘して人に語らなかつた。名倉氏も又秘して仕舞つたのですが、不思議な事には三人が三人共、相前後して同じ心臓病の為め倒れて仕舞つたさうです。
太田夫人は「これは秘してはならぬと思ひ、皆さんにお話して居ります」と語られました。一座のものは是を聞いて、今更の如く驚き、聖師様の称へ盡せぬ御霊覚の程を感じ入りました。そして聖師様がもし、此霊覚によつて訂正さるるならば、世界の歴史も随分変つて来るかも知れないと思ひました。
出典:Reikai Monogatari Net (霊界物語ネット)略して「レモン」
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg148
筆者がこのお話を伺つて、或時の事二三の方々にお話して居りました、偶座に岡山の太田栄子夫人が居られて、この話を裏書する面白い物語をせられましたので、左に御紹介致します。
太田夫人は、大正九年の頃、聖師様から「千の利休は明智光秀である」と云ふ事を承はつて、それを師匠(お茶の先生)の名倉某氏に話されたさうです。さうすると名倉氏はそれを又家元(当時第十三代円能斎氏)に話されました、すると円能斎氏の顔色がサツと変つて暫くは物も云はれなかつたさうですが、太い吐息と共に口を突いて出た言葉は、「まあどうしてそれが分つたのですか」と云ふ事であつたと云ふ事です。そして、更に語をついで、「その事こそ、千家に伝はる、一子相伝の大秘密であつて、後を嗣ぐ長男のみが知つて、次から次へと言ひつたへ語りつぎて、世に知るものが絶えて無い筈です。どうしてそれが分つたのでせう」と聞くので、名倉氏は「霊覚によつて分つたのです。丹波の国綾部町に、大神通力を供へた聖者がありましてその人の霊覚によつて、其秘事が分つて来たのです」とて、聖師様に関するお話をせられました。円能斎氏はいたく驚き且感じ入り、遂に執事を派して綾部に参拝せしめ、次で自らも亦参拝せられたさうですが、深くこの事を秘して人に語らなかつた。名倉氏も又秘して仕舞つたのですが、不思議な事には三人が三人共、相前後して同じ心臓病の為め倒れて仕舞つたさうです。
太田夫人は「これは秘してはならぬと思ひ、皆さんにお話して居ります」と語られました。一座のものは是を聞いて、今更の如く驚き、聖師様の称へ盡せぬ御霊覚の程を感じ入りました。そして聖師様がもし、此霊覚によつて訂正さるるならば、世界の歴史も随分変つて来るかも知れないと思ひました。
出典:Reikai Monogatari Net (霊界物語ネット)略して「レモン」
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タグ:千の利休は明智光秀
2019年05月07日
義経と蒙古
蒙古とは古の高麗の国の事である。百済の国と云ふのは今の満洲で、新羅、任那の両国を合したものが今の朝鮮の地である。之を三韓と云うたので、今の朝鮮を三韓だと思ふのは間違ひである。玄海灘には、散島があつて、それを辿りつつ小さな船で日本から渡つたものである。義経はこの道をとらないで北海道から渡つたのであるが、蒙古では成吉斯汗と名乗つて皇帝の位についた。蒙古には百六王があつて汗と云ふのが皇帝に相当するのである。蒙古には又面白い予言があつて、成吉斯汗起兵後六百六十六年にして蒙古救済の聖雄が現はれる、其時は黒鉄の蛇が世界を取り巻き、馬や牛がものを云ひ、下駄の下を通る人間が出来ると云ふのである。正に現代であつて黒鉄の蛇といふのは鉄道が世界を一周すると云ふ事、牛馬がものを云うとは神諭の「今の人間皆四つ足の容器になりて居るぞよ」と云ふのに相当し、下駄の下を通る人と云ふのは小人物を指すのである。又成吉斯汗の子孫母に伴れられて日本に渡り、五十四才の時蒙古に帰り来つて滅び行かんとする故国を救うと云ふ予言もある。私の入蒙は恰度その年即ち五十四才にあたり、又成吉斯汗起兵後六百六十六年目に当つて居るのである。かるが故に蒙古人は私を成吉斯汗即ち義経の再来だと信じきつたのである。義経はアフガニスタン、ベルヂスタンにも行き、遂に甘粛にて死んだ。元の忽必烈はその子孫である。元と云ふのは源の字音から来るのである。
出典:Reikai Monogatari Net (霊界物語ネット)略して「レモン」
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg380
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https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg380
タグ:義経と蒙古
2019年05月04日
支那道院奉唱呪文略解
免因咒
先天嗡啦昔静呢
先 中心
天 金剛力
嗡 生れ出る
啦 無量寿
昔 出入の息
静 実相真如
呢 粘着離れ去る
是を約すれば、先天老祖無量寿を以て出世し、実相真如の水火の呼吸を人群物類に与へて粘着の因を離去し以て六根清浄の社会を生じ給ふ意義なり。
要するに執着心と罪障の消滅を根本的に実行し給ふ意義なり。
化劫咒
雲天多婆夜怛哆
雲 天の結びの姿
天 金剛力
多 皆治むる
婆 万里一貫 血柄の色
夜 矢也、焼也
怛 突直し打込む
哆 形の本元
是を約すれば、先天老祖産霊の金剛力を以て、霊力体の活機を万里に一貫し、乱れを治め、夜見の邪神悪鬼を焼払ひ、急速に神力を全地上に打込み根本の土台より突直し本元の太古神政を行ひ、人群物類を安息せしめ給ふ意義なり。
要は神政復古治国安民の祥代を樹立せんとの神諭なり。
右は奉天道院に於ける乩示であつて旧三月九日(神示の出た日)より、五十日間毎日(正午最もよし)五百回宛、即ち千遍唱へるやうにとのお示しであつた。余程重大なる神示に相違ないが、意味を解する事が出来ないので、最高幹部が寄り合つて評議の結果、之は出口聖師(尋仁)にお尋ねするがよからうといふ事になり、西川那華秀氏を介して大本井上主理の所へお願ひの取次を依頼して来たのに対する略解であります。全文を一見せらるると、直に筆を取つてかくの如く書かれたので、言霊学をもつて解釈せられたので厶います。
出典:Reikai Monogatari Net (霊界物語ネット)略して「レモン」
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg345
先天嗡啦昔静呢
先 中心
天 金剛力
嗡 生れ出る
啦 無量寿
昔 出入の息
静 実相真如
呢 粘着離れ去る
是を約すれば、先天老祖無量寿を以て出世し、実相真如の水火の呼吸を人群物類に与へて粘着の因を離去し以て六根清浄の社会を生じ給ふ意義なり。
要するに執着心と罪障の消滅を根本的に実行し給ふ意義なり。
化劫咒
雲天多婆夜怛哆
雲 天の結びの姿
天 金剛力
多 皆治むる
婆 万里一貫 血柄の色
夜 矢也、焼也
怛 突直し打込む
哆 形の本元
是を約すれば、先天老祖産霊の金剛力を以て、霊力体の活機を万里に一貫し、乱れを治め、夜見の邪神悪鬼を焼払ひ、急速に神力を全地上に打込み根本の土台より突直し本元の太古神政を行ひ、人群物類を安息せしめ給ふ意義なり。
要は神政復古治国安民の祥代を樹立せんとの神諭なり。
右は奉天道院に於ける乩示であつて旧三月九日(神示の出た日)より、五十日間毎日(正午最もよし)五百回宛、即ち千遍唱へるやうにとのお示しであつた。余程重大なる神示に相違ないが、意味を解する事が出来ないので、最高幹部が寄り合つて評議の結果、之は出口聖師(尋仁)にお尋ねするがよからうといふ事になり、西川那華秀氏を介して大本井上主理の所へお願ひの取次を依頼して来たのに対する略解であります。全文を一見せらるると、直に筆を取つてかくの如く書かれたので、言霊学をもつて解釈せられたので厶います。
出典:Reikai Monogatari Net (霊界物語ネット)略して「レモン」
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg345
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2019年05月03日
小判の効能
心臓病、肺病等の病気には小判を煎じて飲ましてやると卓効があるものである、すべて金は人間の体にはよいもので、歯の金冠なども知らず知らず金気が体内に入つてよい結果をおよぼすものである。この理に於て純金ならば、何でもよいやうなものであるが、実際となるとやつぱり小判がよいので、小判にはそれだけの位があるのである。
出典:Reikai Monogatari Net (霊界物語ネット)略して「レモン」
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg458
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https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg458
タグ:小判の効能