●水鏡「癩病と肺病は天刑病」
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg227
癩病(らいびょう)、肺病、共に体の組織が破壊される病であって、どちらとも天刑病である。癩病は外部に起こる天刑病、肺病は内部に起こる天刑病である。普通ではなかなか癒らぬ。よほど深い信仰に入らねばいかぬ。
「言うて聞かせてやりたいけれど、今の人間は欲に呆けているから、取り違いをするから」とて、教祖様(注・出口直)もとうとう平癒の方法を示されなかった。
初出:不明
- - - - - - - - - - - - - - - - -
癩病というのはハンセン病のことであり、日本でも外国でも、昔から患者が差別されて来ました。
ハンセン病は皮膚病で、後天的な感染症ですが、昔は遺伝的なものと考えられたり、感染力が強いと思われたり(実際には感染力は弱い)して、患者は隔離されたり、迫害を受けて来たのです。
第二次大戦後に有効な治療薬が開発されて完治するようになりましたが、それ以前はなかなか治らないため、一生を隔離施設で暮らすようなことになり、苦しい目に遭ってきました。
日本では2001年になって、ハンセン病患者の名誉回復・補償のための法律が出来ています。
今でもときどき、ホテルなどがハンセン病患者の宿泊を拒否したりして、社会問題になることがあります。
上記の水鏡の文章は、第二次大戦後に発行された三鏡(水鏡、月鏡、玉鏡の3冊の総称)からは全て削除されています。
ハンセン病に対する偏見・差別を無くそうということで、削除されたのだと思います。
そういう作業をポリティカル・コレクトネス(略してPC)と呼びます。
日本語に訳すと「政治的公正」というような意味になります。
デジタル大辞泉には、PCとは「人種・宗教・性別などの違いによる偏見・差別を含まない、中立的な表現や用語を用いること」と書いてあります。
https://kotobank.jp/word/-631565
たとえば「めくら」を「目の不自由な人」と言い換えたり、「看護婦」を「看護師」と言い換えたりするようなことです。
それは宗教界も無関係ではなく、教典の言葉の書き換えや、場合によっては教義の変更も余儀なくされます。
キリスト教の聖書に、イエス・キリストが皮膚病の人を癒す場面があります。これは昔は「癩病」と訳されていましたが、今は「重い皮膚病」と訳されています(1996年以降
に発行された新共同訳聖書)。
https://www.bible.or.jp/read/read08.html
現代を生きる教団としては、こういう言い換えや削除も必要になって来るのです。
宗教団体の社会的責任ということを考えたら、やむを得ない対応です。
上記の王仁三郎の教示の中に「天刑病」という言葉が出て来ましたが、ハンセン病はまさにその「天刑病」だとして差別されてきたという一面があります。
天刑病とは文字通り、天(神)が与えた刑罰、ということです。
ハンセン病に対するの差別の歴史を知っていると、王仁三郎の教示「癩病と肺病は天刑病」は社会的にマズイから無視してしてしまおう・・・とつい思ってしまいます。
しかしそれでは神様に向き合っていることにはなりません。
癩病が天刑病だというのは、宗教的なレトリックです。「三千世界一度に開く梅の花」とか「霊主体従」とかと同じです。
宗教的な表現です。
そしてそれは、国語辞書的な意味ではありません。
既存の言葉に新しい意味を与えたり、造語を作ったりして、人間が持っている常識とか固定概念というものを変えて行き、人間を霊的に甦らせて行くことが、宗教の重要な使命です。
「癩病と肺病は天刑病」だと聞いて、それらの病人に対して「前世で悪いことをしたから罰が当たったんだ、ざまーみろ」とか、「汚いからあっちに行け」などと思う人は、そもそもその人自身の身魂が汚れています。
王仁三郎はそのように「差別をしろ」と教えているわけではありません。
人類は今まで、それらの病人を「天刑病だから」という理由で差別して来たわけですが、なぜ、「天刑病だから」差別をしなくてはいけないのでしょうか? それは固定概念です。
ここに本当の問題があります。
人類愛善の精神に照らしてみれば、「天刑病だから」差別をしよう(蔑視しよう)なんてことにはなりません。
逆に、何とか助けてあげよう、救ってあげたい、という気持ちになるのではないでしょうか?
そのような気持ちが起こらないのは、私たちが体主霊従(われよし、利己主義)の人間だからです。
結局のところ、あらゆる差別というものは──自分がこの世に生きていてもおもしろくない、人生の憂さを晴らすために、誰かを虐めたい、虐めてストレスを解消し、誰かを踏み台にして自分の自尊心を維持したい、そういうイジメを正当化するために、「天刑病だから」「黒人だから」「ホームレスだから」などという大義名分を立てているのです。
そういう気持ちがある以上、表面的なものが「天刑病」から「新型コロナウイルス」に変わったり、「黒人」が「白人」に変わったりするだけで、差別というものがなくなることはありません。
そういった人間の性質を変化させ、ミロクの世にふさわしい人間へと変えて行くことが、スサノオが率いる、霊主体従(ひのもと)の宗教である三五教の目的です。
霊界物語に皮膚が膿んだ天刑病者が登場するシーンが3回出て来ます。
●第24巻第16章「慈愛の涙」で、初稚姫一行の前に、
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm2416
●第29巻第13章「愛流川」で、高姫一行の前に、
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm2913
●第47巻第14章「天開の花」で、治国別一行の前に、
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm4714
それぞれ病人が現れて、膿んだ汁を吸ってくれと頼むのです。
宣伝使たちは、その人の願いを喜んで受け入れ、膿汁を吸い取りました。
この3人の病人はいずれも、木花姫命の化身でした。宣伝使たちの身魂がどこまで磨けたか、試験を与えたのです。
このように王仁三郎は、天刑病者だから差別してよい、蔑視してよい、と教えているのではありません。
どんな人にでも愛善の精神で接して、助けてあげなさいと教えているのです。
(実際に差別を受けて来た人から見ると、そのような描写をすること自体が差別的だと感じるかも知れませんが、そのあたりは致し方ないことです)
福島原発の放射能もそうでしたし、このたびの新型コロナウイルスも同じです。
病人にかかった人を蔑視したり、病気にかかったこと自体を非難したり、そういう利己的な行動が社会の各所に見られます。
どんな人でも、不安や恐怖に襲われると、利己的になりがちです。それが人間社会を滅ぼす最大の原因です。
その不安や恐怖を解消し、安心立命へ導くものが信仰です。
何事も神様の御心のままに任す──惟神(かんながら)の精神によって、不安定な時代を乗り切って参りましょう。
★‥…―━―…‥・‥…―━―…‥★
お読みいただきありがとうございました!
次回もお楽しみに!
+‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥+
『霊界物語スーパーメールマガジン』
■発行日 令和2年(2020年)5月14日 (毎週月曜、木曜発行)
■発行所 オニド(王仁三郎ドット・ジェイピー)
http://www.onisavulo.jp/
■発行人 飯塚弘明
■連絡先 oni_do@ybb.ne.jp
■メルマガの公式ページ(登録)
http://www.onisavulo.jp/ond.php?id=4
■バックナンバー
http://oni.big.ph/mailmg/backnumber.cgi
■総集編
http://www.onisavulo.jp/ond.php?id=4#sousyuuhen
◆登録解除
http://www.onisavulo.jp/ond.php?id=4#kaijyo
メールアドレスの変更は、古いメアドの登録を解除して
新しいメアドを登録し直して下さい。
+‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥+
(C) 2020 IIZUKA HIROAKI
注:出典を明記していただければ自由に転載してもらっても構いません。
たとえば、「霊界物語スーパーメールマガジンから引用」などと
どこかに書いておいてもらえればOKです。
タグ:霊界物語スーパーメルマガ 飯塚弘明
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image