ゴールデンウィークとなり、私が住む奈良にもたくさん観光客が訪れていますが、
奈良と言えば──奈良漬けと、奈良の大仏ですね。
出口王仁三郎は奈良の大仏について次のようにコメントしています。
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〜木庭次守・編『新月のかけ』の「奈良の大仏」より〜
聖武天皇が奈良の大仏を造られた時、
役の行者が調査した金鉱の地図を大仏の土台にかくしておかれた。
役の行者が二十年かかって調べて報告したもので、古文書には書いてある。
よき人のよくぞよくみてよしといひし
よしのよくみよよき人よくみつ(聖武天皇)※
金のありかは奈良の大仏の下に金板に地図を書いてしるしてあるから、
鋳(い)潰してしまわぬと判らぬ。
仏の終わりにならぬと判らぬという事で、みろくの神に渡すと伝えられている。
(昭和十八年三月十三日午後一時乃至三時)
※淑(よ)き人の良しとよく見て好(よ)しと言ひし
吉野よく見よ良き人よく見つ (万葉集)
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〜木庭次守・編『新月のかけ』の「役の行者」より〜
聖武天皇の勅命で、役の行者が二十年かかって
夜に金気の上るのを見て、ここにあるから掘れと書いた地図を
奈良の大仏の下にかくしてある。
金峯山にははな(露頭)が出ている。
(昭和十八年)
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役行者が調べた、というのは吉野にあるという金脈のことです。
その地図が奈良の大仏の下に隠されているというのです。
奈良の大仏は約250トンの銅でできているそうですよ。
これを鋳つぶすことは・・・やはり宗教が滅んで
みろくの世にならないと難しそうですね。
しかし、みろくの世になったら、
人々はあまり金を欲しがらないかも知れませんね。
そうなってからでないと、宝の奪い合いになるので、
今はまだ表には出せないのでしょう。
〜「霊界物語スーパーメールマガジンから引用」〜
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