霊界物語スーパーメールマガジン
2019.1.17
出口王仁三郎・著『霊界物語』を
飯塚弘明がやさしく解説します
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╋ ミロクの世(32)富の使い方 ╋
天国の富は神から与えられたものなので、他人に分けることは出来ない。
そのため、財産を祭典の費用に当てたり、家に人を招いてパーティーを開いて共に楽しむようなことに使っている。
それが現界に移写されたら、どのようになるだろうか?
現界での財産は、モノとか所有権なので、いくらでも分け与えることが出来る。自分とは別の存在だからだ。だから他人から盗んだり、借りたりも出来る。
しかし天国の富は、ある意味ではその人そのものだと言える。天国の富は、その人の徳の程度によって決まるからだ。
現界でも、人の徳そのものは、他人に分け与えることは出来ない。徳の高い人から、その徳そのものを貰うことは出来ない。徳という、目に見えない、形のないものを分けてもらうことは不可能だ。
天国では、徳が高い人は財産(富)を沢山持っているが、現界では徳の高い人だからと言って財産(富)を持っているわけではない。富と徳とは別物だ。直接関係がない。
ではもし現界で、徳の高い人が財産家だったら、どういうお金の使い方をするだろうか?
徳が高いのだから、豪邸を建てたり、ブランド品を買い漁ったり…という私利私欲にまみれた使い方はしないだろうが、何分にも私は徳が低いし財産も無いのでよく分からない (^_^;
五三公が次のようなことを言っている。
「天国団体の最も富めるものは、現界にあるうちによく神を理解し、愛のために愛をなし、善のために善をなし、真のために真を行い、自利心を捨て、神の国の建設のために心を尽くし身を尽くし、忠実なる神のしもべとなり、また現界において充分に活動をし、その余財を教会のために捧げ、神の栄えと道の拡張にのみ心身を傾注した善徳者が、天国の富者であります。(略)
中位の富者は、自分の知己や朋友の危難を救い、また社会公共の救済のために財を散じ、陰徳を積んだ人間が、天国に来たって大神様より相応の財産を賜り、安楽に生活を続けているのです。」
なるほど。有徳者はやはり、神のため、天下公共のために財を使っているようだ。
徳が高いと言えば、もちろん王仁三郎も徳が高いが、王仁三郎は集金力に長けた人でもあった。本人は貧農のせがれなので財産があったわけではないが、彼を慕う信者たちから多額の献金を集めたのである。
そのお金を使って、綾部と亀岡に神殿など建物を多数建築し、聖地を整備して行った。
しかしそのような外観を着飾るようなやり方に対して批判もあり、ある外国人に「そのお金を貧しい人たちに施したらどうだ?」と言われたそうだ。
その手厳しい指摘に対して王仁三郎は次のように答えている(意訳)。──そのお金を国民に分け与えたところで、一人当たりにすればわずかな金額にしかならない。それよりも宗教の道場を築き、神様を鄭重にお祭りし、心の中に精神的な慰安を与え、さらに死後の世界にまで慰安を与えるのが、愛善だと思う。限りある物質をもって、限りない人々を物質的に助けることは出来ない。「物質で救うのはその時かぎりでありますが、精神的に心から改良して、それで愛善の精神を実行するにおいては、商売も繁昌してくる。なぜ繁昌するかといえば、正直で親切である、暴利を貪らないというようになるから、あすこに行けば、品物が安くて親切であるというように、この教えを聞いたためにその商売が繁昌する。そのほか医学であろうが、いっさいの営業、すべて愛の心に充ちて、神の心になってやったならば、どんな鬼でも悪魔でも改心して、そして、なついてくるのであります。」
〔第二回人類愛善会総会における出口総裁のお話〕
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B195303c122
なるほど。貧しい人にお金を恵んでも、ほんの一部の人しか救えない。世界一の大金持ちであるビル・ゲイツ氏は1000億ドル(約10兆円)もの財産があるそうだが、75億人ほどいる全人類に分け与えたら一人当たり13ドル(1300円)ほどにしかならない。微々たる金額である。
近頃巷で話題のZOZOの前澤社長がお年玉として1億円を100万円ずつ100人にバラまいたことが最近ニュースになったが、1人100万円ならそれなりに大きな金額だ。助かる人は大いに助かったことだろう。しかし100人しか助からないし、使い終えたら、また次の日から金欠に苦しまなくてはいけない。
結局、お金のない人にお金を恵むという行為は、一時的な救いにしかならないのだ。
2006年にノーベル平和賞を受賞したバングラデシュのグラミン銀行は、貧困者に低金利でお金を貸すマイクロクレジットという事業を行っている。サラ金のように生活資金として貸すのではなく、事業用の資金を貸すのである。たとえば家畜を買ったり、内職用のミシンを買うとかして、生活力を向上させるのである。
単にお金を恵むのでは、その人は永久にお金を乞い続けることになりかねない。技術を身につけ、資本を手に入れることで、自立した人生を送ることが出来るようになる。
あるいは学校を建てたり、産業を興して職を与えたりと、そのようなお金の使い方の方が、長期的に見たらはるかに有益であろう。
そして、人はパンのみにて生くるものに非ず、だ。
王仁三郎が神苑を建設して行ったように、精神的な拠り所も必要である。
お金の使い方に、その人の徳性が現れる。
天国の富が地上に移写するということは、ミロクの世では徳のあるお金の使い方をする人が増える、ということなのだと思う。
もちろん今でも、宗教に寄付したり、公のために寄付する人は沢山いるが、自分が善人だと思われたいがために寄付するような偽善者もまた多い。
心にもないことをすることが出来るのは、現界ならではの特徴であり、それは致し方ないことだ。
「霊界物語スーパーメールマガジンから引用」
タグ:ミロクの世の富の使い方
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