霊界物語に時々、一絃琴(いちげんきん)が出て来ます。たとえば、
「梅ケ香姫(うめがかひめ)の日頃奏(かな)でさせ給う一絃琴のその音色」云々〔第9巻第32章「一絃琴」〕
「この時奥の間より、嚠喨(りゅうりょう)たる一絃琴の音(ね)幽(かす)かに聞(きこ)え、女神の歌う声」云々〔第12巻第9章p86〕
「奥殿の高楼(たかどの)には荘厳なる一絃琴の音(ね)爽(さわや)かに天津祝詞の声清々しく響き居る」云々〔第12巻第26章p225〕
この一絃琴の起源について王仁三郎は次のような意味のことを言っています。
……神代(かみよ)の昔、素盞嗚尊が世界の雲霧(くもきり)を払い、八重垣(やえがき)を取り除くにはどうしたらよいか悩んでいるときに、妻の櫛稲田姫(くしなだひめ)が弓を桶にくくりつけて、それをボンボンと叩かれた。これが弓太鼓(ゆみだいこ)の始まりである。その音を聞いて素盞嗚尊は心を和めて「八雲(やくも)立つ出雲(いづも)八重垣妻(つま)ごみに八重垣作るその八重垣を」という歌(「八雲神歌」と呼ぶ)を詠まれた。この弓太鼓が後に一絃琴になり、二絃琴になり、大正琴のようなものが出来た。〔「琴の初め」『玉鏡』、「歌祭り」『明光』昭和10年12月号〕
一般には一絃琴の起源は、平安時代に在原(ありわらの)行平(ゆきひら)が須磨(すま)(神戸市)に流されていた時に、浜辺に落ちていた木片に冠の緒(お)を張って琴を作り、葦(よし)の茎を爪にして琴を弾じて心の慰めにした…と伝えられています。そのため「須磨(すま)琴(ごと)」とも呼ばれています。
王仁三郎が大本に採り入れた八雲(やくも)琴(ごと)は、江戸末期の1820年頃に伊予(愛媛)の中山琴主が復活させたもので、二絃琴です。
霊界物語にも、たまに二絃琴が登場します。が、一絃琴の方が3倍くらい多く登場します。
「霊界物語スーパーメールマガジン、オニド(王仁三郎ドット・ジェイピー)から引用」
⇒ 霊界物語スーパーメールマガジン バックナンバー
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