2018年04月30日
プリンスグロリアエステート W41A-1
※2020年9月1日 一部加筆修正をしました(マイナーチェンジ時期とネジピッチの記述などについての部分他)
どうもです。
昨日に引き続き珍しく連続更新です。
まあ、以前から下書きは終わってたんですけど写真の取り込みに時間がかかるんで中々どうして・・・
さて今回はプリンスグロリアエステート(W41A-1)です。
エステートは実車が残っていないので(世に出てこないだけなのかもしれないですが・・・)謎の多いクルマですが、自分の持っているカタログを見ながら当時のプリンスの状況などを交えて少し書いてみたいと思います。
カタログも発行されていますし、当時の自動車ガイドブックにも価格入りで掲載されているので間違いなく売られていたクルマなんですが、誰も見たことが無いので幻のような存在です。
とにかく販売期間が短いのと、発売開始のタイミングが悪かったので余計に目立たない存在なんですよね。
グロリアエステート(W41A-1)は1965年(昭和40年)の2月に発売されました。
既に(64年5月)発売されていたグロリア6ワゴンをベースに内外装をより乗用車ライクに仕立て、エンジンもスーパー6と同じ高圧縮仕様(8.8)105馬力のG7を搭載しました。(6ワゴンはG7でも低圧縮8.3の100馬力仕様)
外装はボンネットにデラックスやスーパー6と同じようにセンターモールが入り、サイドモールも追加されて塗装もメタリックとなり高級感を演出。(6ワゴンにはメタリック塗装はなし)
ホイルキャップもスーパー6などと同じになっていました。
内装は専用生地のシートと内張りが採用され、当然のように白いステアリングハンドルも採用して6ワゴンとの差別化を図っていました。
しかし、この時期プリンスの販売はあまり芳しくなく、この年の8月には日産との合併(実質的には吸収)が発表されます。
合併が決まると、各メーカーはプリンス潰しにかかり、もう無くなるメーカーの車なんか買わない方が良いと言って自社の車を露骨に売り込んでいたらしいんです。
そんな時期だからなのか、それともそもそも商品としての魅力が無かったのか、はたまた販売力の問題なのか、エステートはほとんど売れませんでした。
そして早くも発売から約1年という短いスパンで2型にマイナーチェンジ(W41A-2)をしますが、日産との合併を控えた時期ですので売り上げの増加にはそれほど寄与しなかったと思われます。
結局1型は車両番号で言うと僅か100台ほどしか生産されていません。
それにしても、約1年間の間に僅か100台ほどの生産数と言うのは相当少ない台数ですよね。
本当にそれだけ売れなかったのか、それとも売る気がなかったのか?
何とも不思議な事ですが、いくら販売不振とはいえそこまで売れないものなのか疑問すら感じます。
あまり積極的に宣伝したイメージが無いので、とりあえずラインナップを増やしただけと言う事なのでしょうか?
これでは恐らく2型になってからも同じような状況だったのではないかと思うので、総生産数はスカイラインスポーツに次ぐ少なさなのではないでしょうか?
それは半分冗談だとしても、とにかく同時期のほかの車種に比べて圧倒的に少ない販売台数でしょう。
S54Bよりも全然少ない台数です。
このエステート、1型から2型になるまでの期間がやたら短いですが、これには社内的な事情があったと思われます。
プリンスではこの時期生産車に使用しているネジを日本独自のJIS規格から国際規格のISOに切り替えるタイミングに当たっていたので、ちょうど時期的に適合したグロリアシリーズを順次マイナーチェンジしていったからのではないかと個人的には推測します。
ほとんどのグロリアシリーズは1型から2型に切り替わったタイミングでネジピッチの変更が行われています(S40Dはこの時に3型になってます)ので、エステートも発売からまだ日が浅かったにもかかわらず一緒にマイナーチェンジをしたのでしょう。
※上記のグレー部分の記述は記事作成時個人的に思っていたことを書きましたが、よく考えればグロリアシリーズ全般のマイナーチェンジに合わせるのは部品の互換性などを考えれば至極当たり前の事だと思うので、あくまでも個人的な憶測ということでご理解ください。
グロリアシリーズのマイナーチェンジは65年12月のグランドグロリアBWの発売と合わせて変更されたのを皮切りに、残りの車種も66年の3月には2型へとチェンジしました。(S40Dは3型へ)
エステートも同時期に2型へチェンジして型式もW41A-2となります。
余談ですがこの頃日本では国際規格に合わせるべく、ネジピッチのISOへの変更が各メーカーでも進められていました。
自分の知っている範囲ではスバルが68年頃のモデルから切り替わっていたと思います。
スバル360の場合、ISO規格ネジ使用車はドア部分にステッカーが貼ってありました。(エアクリーナーケースにも貼ってあったような?)
65年後半から66年に掛けてのこの時期、プリンスの車はモデルチェンジとマイナーチェンジが続きます。
ネジピッチの変更はあくまでタイミングの問題だと思いますが、
・65年7月、マイラーがFMC T43系→T44系へ
・65年12月〜翌年3月、S4系グロリアシリーズが順次MC 1型→2型(40Dのみ3型へ)
・66年4月、クリッパーがFMC T63系→T65系へ
・66年10月、S5系スカイラインシリーズがMC(日産合併後) 1型→2型(S54は2型から3型へチェンジ)
等々、ちょうどこの時期に集中してます。
モデルチェンジの準備は当然早くから進めていたのでしょうが、何となく合併が決まってから一気に進めたように思えなくもないです。
せめて日産になる前に何とか・・・
そんな風に感じるのは自分だけでしょうか?
スカイラインだけ合併後のチェンジになってますが、これは合併後も暫くは販売継続が決まっていたからなんでしょうかねぇ?
それとも単純に合併前にはスケジュール的に無理だっただけかもしれないですけどね。
話を元に戻しますと、グロリアの場合は既にこの時新型(S6系→A30系)の開発はほぼ終了しており、40系グロリアの先は見えてたわけです。
なので、とっととマイナーチェンジをして次に備えた?のかもしれません・・・(あくまでも個人的な意見ですよ)
まあ、残念な事に40系グロリアは発売当初こそ好調な売り上げでしたがその後はあまり芳しくなく、一時期はかなりの長期在庫の山を抱えていました。
自工(プリンス自動車工業)は黒字でしたが自販(プリンス自動車販売)は在庫車を多数抱えて経営は苦しかったようです。
理由は、自工は生産した車を自販に売っているだけなので見かけは黒字。
しかし、自販は売りつけられたクルマが捌けず赤字。
身内に車を売っているだけなので儲かるわけないんですよね。
実際のところ、プリンスで車を買ったら長期在庫車を売られた、と言う話もあるので(以前ノスヒロの記事でグロリアのオーナーさんが当時のエピソードとして語っていましたし、私自身も明らかに64年式の特徴を持った66年初年度登録のS41D-1を知っています)新車なんだけど年式的には型落ち、と言う事が実際にあったようです。
長期の屋外在庫で内張りが変色してしまったという問題も初期にはあったようです。
(これは内張りを製作する際の糊の塗布方法に問題があったらしく、長期間日光に当たった事によってその糊が生地の表に染み出してしまったそうですが、これは後に解決したらしいです)
これでは顧客の信用も得られないですよね。
このような事情もあり、プリンス全体の販売数も落ちていた時期なのでしょう。
エステートはひっそりと発売され、ひっそりと消えていきました。
最初の方に書いたとおり、販売台数も少なかったため(グランドグロリアよりも少ないでしょう)残存車があるかどうかも分からないくらい幻のような車です。
個人的にはクラウンカスタム(クラウンの5ナンバーワゴン車)や、セドリックのエステートワゴンと比べても十分すぎるくらい魅力的なクルマだと思うんですが、結果として販売は振るわずに合併後のモデルチェンジでグロリアの5ナンバーワゴンは消滅してしまいました。
自分がこの趣味に足を踏み入れてから早四半世紀が過ぎましたが、その間に一度もエステートが残っているという話しは噂ですら聞いた事がありません。
あのグランドグロリアのロングボディ版である特殊なS45Pですら複数の個体が残っていると言うのに、一応仮にも量産車であったエステートがただの一台も残っていないと思えないんですが・・・
是非一度実車を見てみたい車のダントツ1位なんで、個人的にはどこかに人知れずエステートが残っている事を願ってるんですがね。
では最後にカタログを載せておきます。
6ワゴンの時に気になったのですが、何故かちゃんとしたリアビューが一枚もないんです。
ゲートの開いた姿しか写ってないので何でかな〜と思ってました。
今回のエステートでは一枚だけですがしっかりとリアビューの映ったカットがありますので是非堪能してください(笑)
細かいところでは、ワゴンとエステートで
リアランプリムの材質が違い、アルミそのままとメッキという違いがあります。
2ページ目と3ページ目
エステートもビジネスでの使用もOKですよ的なシーンと
運動性の高さをアピールするシーン
見開きで室内の広さをアピール
6ワゴンと同じくリアシートは10センチスライドします。
優雅なサイドビュー
それにしても当時家族で乗馬なんて出来る家庭がどれくらいあったんでしょ?
このページでは使い勝手の良さをアピール
ビジネスにもレジャーにもなんて言ってますが、それじゃあ6ワゴンとおんなじですよね〜
何とも中途半端なアピールに感じてしまうのは自分だけでしょうか。
そして最後はお決まりのG7エンジンと各種先進装備の解説
発売から約2年という短い販売期間しかなく(1型と2型で各1年ほど)
残念ながら終始影の薄い存在でしたが、個人的には大好きな1台です。
ではまた
どうもです。
昨日に引き続き珍しく連続更新です。
まあ、以前から下書きは終わってたんですけど写真の取り込みに時間がかかるんで中々どうして・・・
さて今回はプリンスグロリアエステート(W41A-1)です。
エステートは実車が残っていないので(世に出てこないだけなのかもしれないですが・・・)謎の多いクルマですが、自分の持っているカタログを見ながら当時のプリンスの状況などを交えて少し書いてみたいと思います。
カタログも発行されていますし、当時の自動車ガイドブックにも価格入りで掲載されているので間違いなく売られていたクルマなんですが、誰も見たことが無いので幻のような存在です。
65年度版自動車ガイドブックより(画像加工しています) このガイドブックが65年10月25日印刷発行となっているので、その時点での価格ですが、 東海道地区統一現金正価で¥1,036,000- 3車の中で一番高価格です。 |
とにかく販売期間が短いのと、発売開始のタイミングが悪かったので余計に目立たない存在なんですよね。
グロリアエステートとは?
グロリアエステート(W41A-1)は1965年(昭和40年)の2月に発売されました。
既に(64年5月)発売されていたグロリア6ワゴンをベースに内外装をより乗用車ライクに仕立て、エンジンもスーパー6と同じ高圧縮仕様(8.8)105馬力のG7を搭載しました。(6ワゴンはG7でも低圧縮8.3の100馬力仕様)
外装はボンネットにデラックスやスーパー6と同じようにセンターモールが入り、サイドモールも追加されて塗装もメタリックとなり高級感を演出。(6ワゴンにはメタリック塗装はなし)
ホイルキャップもスーパー6などと同じになっていました。
内装は専用生地のシートと内張りが採用され、当然のように白いステアリングハンドルも採用して6ワゴンとの差別化を図っていました。
しかし、この時期プリンスの販売はあまり芳しくなく、この年の8月には日産との合併(実質的には吸収)が発表されます。
合併が決まると、各メーカーはプリンス潰しにかかり、もう無くなるメーカーの車なんか買わない方が良いと言って自社の車を露骨に売り込んでいたらしいんです。
そんな時期だからなのか、それともそもそも商品としての魅力が無かったのか、はたまた販売力の問題なのか、エステートはほとんど売れませんでした。
そして早くも発売から約1年という短いスパンで2型にマイナーチェンジ(W41A-2)をしますが、日産との合併を控えた時期ですので売り上げの増加にはそれほど寄与しなかったと思われます。
結局1型は車両番号で言うと僅か100台ほどしか生産されていません。
それにしても、約1年間の間に僅か100台ほどの生産数と言うのは相当少ない台数ですよね。
本当にそれだけ売れなかったのか、それとも売る気がなかったのか?
何とも不思議な事ですが、いくら販売不振とはいえそこまで売れないものなのか疑問すら感じます。
あまり積極的に宣伝したイメージが無いので、とりあえずラインナップを増やしただけと言う事なのでしょうか?
これでは恐らく2型になってからも同じような状況だったのではないかと思うので、総生産数はスカイラインスポーツに次ぐ少なさなのではないでしょうか?
それは半分冗談だとしても、とにかく同時期のほかの車種に比べて圧倒的に少ない販売台数でしょう。
S54Bよりも全然少ない台数です。
このエステート、1型から2型になるまでの期間がやたら短いですが、これには社内的な事情があったと思われます。
プリンスではこの時期生産車に使用しているネジを日本独自のJIS規格から国際規格のISOに切り替えるタイミングに当たっていたので、ちょうど時期的に適合したグロリアシリーズを順次マイナーチェンジしていったからのではないかと個人的には推測します。
ほとんどのグロリアシリーズは1型から2型に切り替わったタイミングでネジピッチの変更が行われています(S40Dはこの時に3型になってます)ので、エステートも発売からまだ日が浅かったにもかかわらず一緒にマイナーチェンジをしたのでしょう。
※上記のグレー部分の記述は記事作成時個人的に思っていたことを書きましたが、よく考えればグロリアシリーズ全般のマイナーチェンジに合わせるのは部品の互換性などを考えれば至極当たり前の事だと思うので、あくまでも個人的な憶測ということでご理解ください。
グロリアシリーズのマイナーチェンジは65年12月のグランドグロリアBWの発売と合わせて変更されたのを皮切りに、残りの車種も66年の3月には2型へとチェンジしました。(S40Dは3型へ)
エステートも同時期に2型へチェンジして型式もW41A-2となります。
66年度版自動車ガイドブックより グロリアエステート以外はモデルチェンジしてます。 そのせいなのか価格が前年より下がってますね。 ¥1,036,000-→¥990,000- ちなみに日産自動車になってからのものなので、価格表示方法も東京店頭渡価格に変わってます。 |
余談ですがこの頃日本では国際規格に合わせるべく、ネジピッチのISOへの変更が各メーカーでも進められていました。
自分の知っている範囲ではスバルが68年頃のモデルから切り替わっていたと思います。
スバル360の場合、ISO規格ネジ使用車はドア部分にステッカーが貼ってありました。(エアクリーナーケースにも貼ってあったような?)
プリンス車のマイナーチェンジ時期
65年後半から66年に掛けてのこの時期、プリンスの車はモデルチェンジとマイナーチェンジが続きます。
ネジピッチの変更はあくまでタイミングの問題だと思いますが、
・65年7月、マイラーがFMC T43系→T44系へ
・65年12月〜翌年3月、S4系グロリアシリーズが順次MC 1型→2型(40Dのみ3型へ)
・66年4月、クリッパーがFMC T63系→T65系へ
・66年10月、S5系スカイラインシリーズがMC(日産合併後) 1型→2型(S54は2型から3型へチェンジ)
等々、ちょうどこの時期に集中してます。
モデルチェンジの準備は当然早くから進めていたのでしょうが、何となく合併が決まってから一気に進めたように思えなくもないです。
せめて日産になる前に何とか・・・
そんな風に感じるのは自分だけでしょうか?
スカイラインだけ合併後のチェンジになってますが、これは合併後も暫くは販売継続が決まっていたからなんでしょうかねぇ?
それとも単純に合併前にはスケジュール的に無理だっただけかもしれないですけどね。
話を元に戻しますと、グロリアの場合は既にこの時新型(S6系→A30系)の開発はほぼ終了しており、40系グロリアの先は見えてたわけです。
なので、とっととマイナーチェンジをして次に備えた?のかもしれません・・・(あくまでも個人的な意見ですよ)
プリンスの内情
まあ、残念な事に40系グロリアは発売当初こそ好調な売り上げでしたがその後はあまり芳しくなく、一時期はかなりの長期在庫の山を抱えていました。
自工(プリンス自動車工業)は黒字でしたが自販(プリンス自動車販売)は在庫車を多数抱えて経営は苦しかったようです。
理由は、自工は生産した車を自販に売っているだけなので見かけは黒字。
しかし、自販は売りつけられたクルマが捌けず赤字。
身内に車を売っているだけなので儲かるわけないんですよね。
実際のところ、プリンスで車を買ったら長期在庫車を売られた、と言う話もあるので(以前ノスヒロの記事でグロリアのオーナーさんが当時のエピソードとして語っていましたし、私自身も明らかに64年式の特徴を持った66年初年度登録のS41D-1を知っています)新車なんだけど年式的には型落ち、と言う事が実際にあったようです。
長期の屋外在庫で内張りが変色してしまったという問題も初期にはあったようです。
(これは内張りを製作する際の糊の塗布方法に問題があったらしく、長期間日光に当たった事によってその糊が生地の表に染み出してしまったそうですが、これは後に解決したらしいです)
これでは顧客の信用も得られないですよね。
このような事情もあり、プリンス全体の販売数も落ちていた時期なのでしょう。
エステートはひっそりと発売され、ひっそりと消えていきました。
最後に
最初の方に書いたとおり、販売台数も少なかったため(グランドグロリアよりも少ないでしょう)残存車があるかどうかも分からないくらい幻のような車です。
個人的にはクラウンカスタム(クラウンの5ナンバーワゴン車)や、セドリックのエステートワゴンと比べても十分すぎるくらい魅力的なクルマだと思うんですが、結果として販売は振るわずに合併後のモデルチェンジでグロリアの5ナンバーワゴンは消滅してしまいました。
自分がこの趣味に足を踏み入れてから早四半世紀が過ぎましたが、その間に一度もエステートが残っているという話しは噂ですら聞いた事がありません。
あのグランドグロリアのロングボディ版である特殊なS45Pですら複数の個体が残っていると言うのに、一応仮にも量産車であったエステートがただの一台も残っていないと思えないんですが・・・
是非一度実車を見てみたい車のダントツ1位なんで、個人的にはどこかに人知れずエステートが残っている事を願ってるんですがね。
では最後にカタログを載せておきます。
6ワゴンの時に気になったのですが、何故かちゃんとしたリアビューが一枚もないんです。
ゲートの開いた姿しか写ってないので何でかな〜と思ってました。
今回のエステートでは一枚だけですがしっかりとリアビューの映ったカットがありますので是非堪能してください(笑)
細かいところでは、ワゴンとエステートで
リアランプリムの材質が違い、アルミそのままとメッキという違いがあります。
W41A-1エステートの表紙 後ろの建物とメタリックの塗装が高級感を醸し出しています。 フロントだけ見るとスーパー6と見分けが付きません。 |
2ページ目と3ページ目
エステートもビジネスでの使用もOKですよ的なシーンと
運動性の高さをアピールするシーン
見開きで室内の広さをアピール
6ワゴンと同じくリアシートは10センチスライドします。
優雅なサイドビュー
それにしても当時家族で乗馬なんて出来る家庭がどれくらいあったんでしょ?
このページでは使い勝手の良さをアピール
ビジネスにもレジャーにもなんて言ってますが、それじゃあ6ワゴンとおんなじですよね〜
何とも中途半端なアピールに感じてしまうのは自分だけでしょうか。
そして最後はお決まりのG7エンジンと各種先進装備の解説
最後に裏表紙 諸元表です。 |
発売から約2年という短い販売期間しかなく(1型と2型で各1年ほど)
残念ながら終始影の薄い存在でしたが、個人的には大好きな1台です。
ではまた
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