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2017年08月22日

昔の話をダラダラと・・・

どうもです。

今回はちょっと昔の話をしようと思います。

記憶が不確かなところも多々ありますので間違いもあるかもしれませんが、私がどの辺りの世代なのかを分かっていただけると思いますので少しお付き合いの程を。

自分は昭和40年代半ばの生まれですので子供の頃は今で言う旧車が普通に走っていた時代です。
ただ、物心がついたころに見ていた車の記憶では昭和30年代の車はほとんど無くて、古くても40年代半ば頃のものばかりでした。

昔の町並みの写真などをネット等で見ていてお気づきになった方もいるかもしれませんが、当時の車は現在に比べても耐久性が劣っているせいか割と早くに代替されていたようで、今の時代と比較すると古い車の残存率が低いように思います。
昔の写真を見ていると、当時の最新の車種ばかりで5年古いともうほとんど見当たらない感じ。
特にタクシーはその傾向が強く感じます。

今なら10年前くらいの車ならそれこそいくらでも走っていますけど、40年代半ば頃の10年前と言ったら昭和30年代半ばですからね。
そもそもの台数も少ないですが、国産車がようやく性能的に及第点をとれるくらいになったばかりの頃ですので淘汰が早く進んだのでしょうか。
まあ、これは個人的な感覚なので全く根拠はないですけど。

それはさておき、私が幼稚園に入る頃の時代は、近所の空き地などには普通に使われなくなった車が放置されていました。
初代トヨエースとか、二代目のパブリカとか・・・
そんななか、普通にコルト1000が現役で近所にあったり、材木屋ではマツダの三輪トラックが現役バリバリであったりと今思えば楽しい時期だったのだと今更ながら思ってみたり。

バキュームカーはお約束の二代目クリッパー。
スキャン0006.jpg

昔の自動車ガイドブックより

地域的な違いはあるでしょうが、自分の育った横浜の外れあたりではメジャーだったと思います。
吸引中は排気管からかぐわしい香りを放ち、ホースを引きずりながら次のお宅へ走る、なんてことを平気でやってました。
ゴミ収集車は多分いすゞのエルフで、幼稚園バスはニッサンエコー(又は初代シビリアンかも)かトヨタのコースター
タクシーは230セドグロが多くて他にはクジラクラウンですね。
330セドグロや80系クラウンもいたはずですが正直記憶にありません。

路線バスにはまだ結構な数のシングルナンバーが現役でしたし、数は少なかったですが日野のボンネットトラックのダンプ等はたまに走っていました。

その頃、UDのサングレイトがなぜか好きで、日通カラーのリヤ二軸の内後ろ側の一軸のみシングルタイヤになっているやつがよく走っていて、やたら長い荷台がスマートに感じられたものです。
スキャン0009.jpg
 同じく昔の自動車ガイドブックより


自分の子供の頃はちょうど世の中オイルショックの後遺症を引きずっている頃で、各メーカーが排ガス対策を施したクルマにモデルチェンジをしていった頃と重なりますが、そんなことは大人になってから知った知識で子供の自分にはどうでも良いことだったのも確か。
そんな変化にさえ気が付かずに毎日楽しく暮らしてました(笑)
でも、このあたりの年式が自分の車趣味の分かれ目で、排ガス規制後の車にはなぜか興味が湧かないんですね。
何となくデザイン的にも好きになれなくて(好きな方ごめんなさい!)もっと古くてある意味洗練されていないデザインに惹かれてしまうんです。
なので、もっと正確に言えば一番好きなのは1960年代くらいまでの車なんですね。
正直70年代以降は樹脂率が上がって安っぽく見えてしまうというか・・・金属感が減ってしまっていてグッと来ないというか・・・そんな感じです。

まあ、そんな自分が気が付くと古い車ばかり捜すようになります。
当時もそこまで古い車に路上で出会うことは稀でしたが、それでも平成の排ガス規制のようなことが無かったのでまだまだ商用車やトラック、バスも現役でしたのでそれなりに楽しい毎日でした。
悔しいかな、まだまだ幼い子供でしたので写真を撮るという概念は無かったですので、このブログ記事も記憶を頼りに調べられるところは調べつつ書いていくしかないですが、幼い頃は型式を調べて一人悦に浸るということも無く、ただただ見て楽しむというだけの健全な?時期ではありました。

今はネットが充実しているので簡単なことなら検索をかけて調べることが出来るので便利になりましたね。
でも、子供の頃は高価な本の資料を探すことも出来ませんので実際に足を使って調べるしかなかったのです。

でもそれが楽しかったし、それが今の趣味の原点だったりと無駄ではなかったのかなと思います。

高校生の頃、初めて神田の古本屋街で古い自動車ガイドブックに出会い感動したのを思い出します。
それまで一通りの車種が揃って載っている本など知りませんでしたから。

その後何度か古い自動車ガイドブックを探しになけなしの小遣いを握り神田に通いました。
ブームになる少し前だったのでそれほど価格も高くはなく、学生の小遣いでも手に入る値段だったので何冊か入手してそれは未だに持っています。
今は神田の古本屋街も随分変わりましたね。
去年、20年ぶりくらいに行って見たらすっかり変わっていて、ガイドブックを買った店も消えてしまっていました・・・

話を元に戻します。
私は子供の頃は長らく横浜の戸塚区内に住んでいて、細かい引越し等は有りましたが最寄り駅はずっと国鉄の大船でした。
大船と言えば東海道線と横須賀線との分岐駅で、電車区もあったり当時は国鉄大船工場への入り口でもありました。
また、当時は根岸線が全線開通して間もない頃ですね。
後忘れてはいけないのが江ノ島方面に向かって走る湘南モノレール。
私の生まれる前にはドリーム交通のモノレールもありました。(湘南モノレールはドリームランドのモノレールが運転休止になってからの開業なので、同時期に存在はしていましたが運行時期はかぶっていないです)
物心ついたころには既に動いておらず、ドリームランドのモノレール大船駅は廃墟と化していました。

そんな大船ですが、一時期は線路に近い笠間町という所に住んでいたこともあり、よく祖母に連れられて線路際まで電車を見にいっていました。

かすかな記憶ではその頃はまだ駅の戸塚側にある陸橋は完成しておらず、その場所は踏切だったはずですが、駅が見えるそのカーブ付近でよく電車を見ていた記憶があります。

そんな大船ですが(どんな?)駅自体が横浜市と鎌倉市にまたがっているせいか、路線バスも横浜側は神奈川中央交通(神奈中)と江ノ島鎌倉観光(現・江ノ電バス)に横浜市営バスまでやってきていました。
鎌倉側になると江ノ電バスに加えて京急バスも乗り入れていて結構バラエティに富んでいました。
と、まだまだあるのですが長くなってしまったので今回はこの辺で。
まとまりの無い文章で読みにくくて申し訳ありません。

次回はもう少し細かく当時のことにについて書いてみようかなと思います。
子供の頃住んでいた地域のクルマ事情とか雰囲気とか、少し詳しく書くつもりですので興味のある方はまたおいでください。

それでは

この記事へのコメント
そう言えば、UD=日産ディーゼルのサングレイトは我が家が1973年に現在住んでいる市に引っ越してきた時に家財道具一切を積んできた「日通」の黄色いトラックがまさにそれで、同トラックに我が父親が乗り、小生と母親は親戚の叔父のトヨタコロナ1600デラックス/1970年型(RT80)で越す格好になったことを今も憶えております。
「トラックなんて何か得体が知れないし、怖そう」というイメージ故に時に3歳の小生と母親は「馴染みのある」叔父の乗用車に乗って引っ越したと思いますが、その後長じるにつれて「大型トラック」なる地上を走る最高峰のマシーンの魅力に取り憑かれて、素直に魅力的に思えるようになった辺り、「あの時乗っておけば良かった」とずっと後=小4(9歳)の頃とくに「痛恨の至り」を感じるようになり実際小学校の作文でもそれを書いたものです。
それにしてもこのサングレイトという奴、1963年に日産ディーゼル謹製2ストロークのディーゼルを搭載して登場したのは良いものの、どうも額面通りのパワーが出ていない「ハズレの個体」があったと見られそれらは「空荷なのに」向かい風で目に見えてスピードが落ちたなど、同社の品質管理の甘さを顕にする逸話が時代を感じさせられると思います。外観は英国のAECトラックを範にしたスクエアなキャビンデザインなど日野TC/THトラックに負けない魅力が感じられ、少なくともいすゞ初めてのキャブオーバー大型トラックたるTP-Eの野暮ったさよりもグッドルッキングに感じた小生ですが、やはり見るのと乗るのは大違いだったのでしょうか。
Posted by 真鍋清 at 2020年01月11日 20:23
コメントを拝見する限りかなりのマニアと見ました(笑)
同世代なのですね。

自分は子供の頃そこまで気にしたことはなかったですね。
幼稚園バスも日産エコーだったのかトヨタのシビリアンだったのかさえよく覚えてないくらいですから。
その中でもクリッパーはあの独特のグリルが強烈に記憶にあって覚えていた次第です。
さすがにガソリンだったかディーゼルだったかは覚えていませんが・・・
マツダライトバスはかなりうらやましいですね。
子供の頃トミカはしっかり持っていました。

更新がなかなか出来ないのですが、よろしければまた見に来てください。
Posted by トモさん at 2020年01月07日 17:26
お主!!
小生も管理人様とちょうど同世代の1970年生まれなのですよ!!
小生の周囲でもバキュームカーは日産プリンスのクリッパー、それも3000ディーゼルが主流でその一方でゴミ収集車はダイハツデルタ2000の初代後期型の1994cc/5R型トヨタ製エンジン搭載車で、デルタ自体が当時小生はあまり好きではなかったので「いすゞエルフ」を収集車に使っている他の市が羨ましかったほどです―時に幼稚園時代(1973-75年)の思い出です。
そうそう、この頃は住んでいる市の清掃課のダンプもまたダイハツデルタ2000で、こちらは初期型の1861cc/85psのダイハツ製FBユニット搭載のバージョンでトヨタダイナと共通エンジン版の♪トルルル ブディーン♪というトヨタ製R型エンジン特有の咆哮とは一線を画した♪ドンドンドン グドグドグドーン♪〜という三輪トラックCM型以来の「ダイハツ一家の音」を発しより個性的で、ドラマ性を幼心に感じ取ったものです。
さて小生が通っていた幼稚園では園バスはマツダライトバスのA型(だったっけ?)でトミカでミニカー化されたものと同じでした。エンジンはVA型1985cc/81psガソリンでまろやかな響きが印象的でした。
我が市(埼玉県南部の都内近郊の某市)はよっぽどダイハツファンで、広報課の宣伝カーも三代目ハイゼットバン(巨泉ハイゼットの次のタイプ)だったほどですがやがて日産二代目バイオレットのバン/1400デラックスへと代替され、ゴミ収集車も外部業者への委託へと変わって1978年から三菱キャンターT210型になりました。
なお自宅ではサニー1000の中古→1975年初頭にブルーバードU1600GL→1978年にアウディ80GLEと乗り換え、1984年のアウディ80GL5Eを経て以後は父親がベンツ190E→同260E→現在のレクサスIS350と乗り継ぎ、自身は1999年の初代ヴィッツ1000F-D→2004年ヴィッツ1300U-L→2015年式ヴィッツ1300Fで現在に至っております。
Posted by 真鍋清 at 2020年01月05日 14:37
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