一応毎月月末にアップするよう努力しているプリンス社報シリーズですが、今回は1965年の4月号です。
今号は通算150号になります。
ではいつものように表紙から
ライトコーチの幼稚園バスです。
既にお気づきの方もおられるかもしれませんが、先月号から表紙がモノクロになりました。
コストダウンの影響なのでしょうか?
この後66年になると紙質が落とされてわら半紙になってしまいます。
表紙裏はこのところ恒例のお祭りネタから地域のプリンスディーラーを紹介するコーナーです(笑)
以前当ブログで紹介したクリッパーのミキサー車は、やっぱりこの岐阜プリンスからの購入なんでしょうか?
隣の1ページ目には新入社員の入社式の様子が載っています。
よく見ると新入社員の中には学ラン姿もチラホラ写っていますが、当時は割と普通のようです。
しかし、「一万台っ子を迎える」って見出しは何とも言えない微妙なネーミングセンスです。
この頃ようやくプリンスは月間販売台数が1万台の大台に乗るようになってきたところですが、この頃には大手2社は既にその数倍の台数を販売しており、その差は全く縮まりませんでした。
今号は150号と言うことで、このページでは社報の歴史を振り返っています。
よく読んでみると富士精密ニュース時代から合わせて150号と言うことだそうです。
次のページは今回の中で一番興味のある方が多そうなページです。
カタログから、と書いてありますが、私自身は2000GTのカタログを見たことが無いので確認できていません。
信号からのスタートダッシュの写真なんてカタログにはたぶん無いと思うんですが。
こちらはこれもシリーズ物のプリンス豆社史で、今回は4回目です。
ここでは旧プリンス自工と富士精密の合併について書かれています。
旧プリンス自工は富士精密工業と合併して一度名前が消えてしまいます。
合併後は富士精密工業となったのですが、1961年に改めてプリンス自動車工業と名称を改めます。
この辺りはちょっと分かり難いかもしれません。
お次は「やさしい自動車工学」という連載コーナーでその③とあります
本文を読むと、先月号では・・・と書かれていたので前回の社報を見てみましたが、どうやらこのページを保存していなかったようで見当たりませんでした(泣)
文章から察するに、どうやら前号では小難しい話をしていたみたいなので、恐らくつまらなそうに思いページを保存しなかったのかと思います。
どうでも良いですが、一枚目の写真は合成なのですがなんか滑稽に見えますね。
ここからの2ページは恒例の自動車ジャーナルとプリンスジャーナルです
各社のニュースと自社の値上げの話、それと社内のニュースです。
ここで個人的に注目したのは東洋工業(マツダ)の生産台数です。
小型4輪乗用車の生産数がプリンスより多いですね。
プリンスはグロリアとスカイライン合わせての台数なのですが、マツダは恐らくファミリア1車種でこの台数です。
クルマのクラスが違うとはいえ、合計台数で太刀打ちできていないというのはちょっと悲しい現実です。
最後はいつものように世界の乗用車コーナー
ついに出たと言った感じのおなじみ「ミニ」です。
殆ど基本的な形状に変更が無いまま90年代まで販売されていたのが凄いですよね。
三菱のデボネアも真っ青なくらい長い年月販売されていました。
実際は初期と後期では全く違いますが、詳しくない人でも見て分かる数少ない車の一つじゃないでしょうか。
今回は以上です。
ではまた
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表紙がモノクロになったタイミングと、会社の経営状況が怪しくなってきたタイミングが何だかリンクしているようで、結果を知っている身からすると何とも言えませんね。
表紙のライトコーチは歴代で一番スタイリッシュだと思うのですが、個人的に同時期のグロリアやスカイラインと同じデザインテイストなのではないかなと。
入社式の風景はかなり時代を感じてしまいました。
当時の写真を見ると、今とは違って大学生でも学ランを着ている人が結構いますね
確かにこの頃の2トンサイズのトラック系はリアタイヤがシングルの事が多いですね。
クリッパーもダブルタイヤの設定はこの後のT65系からだったと思います。
パンク、多かったでしょうね。
今より道路事情もタイヤの性能も悪かったでしょうし過積載も当たり前だったと想像するので、交換のサイクルも結構早かったのではないでしょうか?
ミニは本当に長生きでしたね。
基本がしっかりしていたからなのでしょうが、これといって特別先進的な機構ではなかったのがかえって良かったのかも。
それにしても、オースチンもヒルマンの既に無いメーカーなんですよね。
旧車趣味の世界では今でも馴染みあるメーカーですが、イギリスはもうほとんどのメーカーが淘汰されてしまったか身売りされてしまい、昔の勢いは全くなくなっているのが寂しい限りです。
プリンス社報、表紙が白黒写真になってしまったのが会社の行く末を暗示しているようです。結末を知っているので何でもそのように思ってしまうのですが…。
プリンスライトコーチは実車を見たことがありませんがなかなか近代的な外観ですね。この頃のバスやトラックで不思議なのはクリッパーやマイラーの2t車でもリアタイヤはシングルで当時のタイヤ性能を考えるとよくもったなと思います。パンクなど日常茶飯事だったのかもしれませんが。
華々しい入社式。今では高校生でも少なくなった学ラン姿ですが私の父親でも大学時代の写真にあって(昭和37年卒業)当時は普通だったようです。
ミニは製造・販売先を転々としながらも90年代まで生き延びました。ローバーとなってからホンダと提携したこともありましたが純粋なイギリス資本のメーカーは一部の小メーカー以外消滅してしまったのは寂しい限りです。日産はオースチンいすゞはヒルマンに乗用車づくりを教えてもらった大先生にあたるのですが。