2019年08月07日
表現の自由 続き
色々な思いがあり、昨日のブログの続きを書いてみたいと思います。
芸術監督の津田さんがその後
これはジャーナリストとしてのエゴだったかもしれない
とおっしゃっています。
私はその発言を複雑な思いで聞きました。
やはりそうかと思う一方で
心の奥には
もっと深い決意もあったのかもしれないと感じました。
言い訳や防衛的な言葉ではない言葉が
出てきたことでその決意の強さを感じます。
私はたくさんの人が不快になるものを
表現の芸術として出すことに抵抗があります。
でも、自分の考えを押し通すために
暴言や脅迫をするこの流れはあってはならないものだし
こうした言ったものがちの社会もなんとかしなくてはいけないとも感じます。
また
「すべての表現は自由に保障される」という表見の自由と
「誰かが強く不快に感じる」というものは
同じベクトルの上で議論してはいけないものなのかもしれない。
私はアーティストではありませんが
表現する仕事をしているものとして
よく考えていきたいと思います。
私はゲーム関係の仕事をしていたときは
ゲーム情報誌の編集をしていました。
お店にその情報誌を置いたところ
店長からこんな話をされました。
ある日、ゲーム情報誌を手にした男性がお店に飛び込んできて
「子供が自由に見る情報誌に、こんな画像を見せていいのか」
とあるゲームのゲームシーンが載っている部分を持ってきたそうです。
それはゾンビを倒す人気ゲームで主人公がチェンソーで
ゾンビに首を切られようとするシーンの画像でした。
店長はそのことを本部の SV(スーパーバイザー)に言ったそうです。
すると SVは表現の自由でそんなことをクレームを気にすることはない。
とのこと。
「私はおかしいと思ったのですが、間違っているのは私ですか」と
相談を受けました。
「いえ、私は間違っているのは SVのほうです」といい
当時、下っ端だった私は上司に掛け合って次から気をつけようと
いう話になりました。 SVにも話をしましたが
上司も SVもあまりピント来ていなかったようです。
そしてしばらくして私が編集長になると
ホラーはそうしたあぶない部分が魅力なのですが
ここは気をつけていこうとみんなに話をしたことを思い出します。
特に多感な子供の影響はメーカーの公式リリースだから
他の情報誌もやっているからではなく
繊細に考えていこうと思いました。
また
私が1冊目の本を書いたときに
悲劇の象徴として白血病を取り上げたことがあります。
すると読者の方からお手紙をいただき
最近の物語は白血病を題材にしたものが多く
商業的に利用されている家族の身にもなってみろという
内容でした。
私は世の中に病気の辛さや病気のことを知ってもらうために
そうした表現はありだろうけど
ただ不幸の例として書き不快に感じる人を生んだことの
自分の浅はかさを恥じて
猛省しました。
誰もが全く不快に感じないものなどないかもしれない。
でも、その奥にもっと苦しんでいる人を救おうとか
実際に「今」苦しんでいる人に寄り添えないのは最低だと思いました。
なんとも難しい問題を秘めてはいると思いますが
表現の自由、表現により苦しむ人がいる
そんなことを意識しながら
表現を続けていきたいと思います。
芸術監督の津田さんがその後
これはジャーナリストとしてのエゴだったかもしれない
とおっしゃっています。
私はその発言を複雑な思いで聞きました。
やはりそうかと思う一方で
心の奥には
もっと深い決意もあったのかもしれないと感じました。
言い訳や防衛的な言葉ではない言葉が
出てきたことでその決意の強さを感じます。
私はたくさんの人が不快になるものを
表現の芸術として出すことに抵抗があります。
でも、自分の考えを押し通すために
暴言や脅迫をするこの流れはあってはならないものだし
こうした言ったものがちの社会もなんとかしなくてはいけないとも感じます。
また
「すべての表現は自由に保障される」という表見の自由と
「誰かが強く不快に感じる」というものは
同じベクトルの上で議論してはいけないものなのかもしれない。
私はアーティストではありませんが
表現する仕事をしているものとして
よく考えていきたいと思います。
私はゲーム関係の仕事をしていたときは
ゲーム情報誌の編集をしていました。
お店にその情報誌を置いたところ
店長からこんな話をされました。
ある日、ゲーム情報誌を手にした男性がお店に飛び込んできて
「子供が自由に見る情報誌に、こんな画像を見せていいのか」
とあるゲームのゲームシーンが載っている部分を持ってきたそうです。
それはゾンビを倒す人気ゲームで主人公がチェンソーで
ゾンビに首を切られようとするシーンの画像でした。
店長はそのことを本部の SV(スーパーバイザー)に言ったそうです。
すると SVは表現の自由でそんなことをクレームを気にすることはない。
とのこと。
「私はおかしいと思ったのですが、間違っているのは私ですか」と
相談を受けました。
「いえ、私は間違っているのは SVのほうです」といい
当時、下っ端だった私は上司に掛け合って次から気をつけようと
いう話になりました。 SVにも話をしましたが
上司も SVもあまりピント来ていなかったようです。
そしてしばらくして私が編集長になると
ホラーはそうしたあぶない部分が魅力なのですが
ここは気をつけていこうとみんなに話をしたことを思い出します。
特に多感な子供の影響はメーカーの公式リリースだから
他の情報誌もやっているからではなく
繊細に考えていこうと思いました。
また
私が1冊目の本を書いたときに
悲劇の象徴として白血病を取り上げたことがあります。
すると読者の方からお手紙をいただき
最近の物語は白血病を題材にしたものが多く
商業的に利用されている家族の身にもなってみろという
内容でした。
私は世の中に病気の辛さや病気のことを知ってもらうために
そうした表現はありだろうけど
ただ不幸の例として書き不快に感じる人を生んだことの
自分の浅はかさを恥じて
猛省しました。
誰もが全く不快に感じないものなどないかもしれない。
でも、その奥にもっと苦しんでいる人を救おうとか
実際に「今」苦しんでいる人に寄り添えないのは最低だと思いました。
なんとも難しい問題を秘めてはいると思いますが
表現の自由、表現により苦しむ人がいる
そんなことを意識しながら
表現を続けていきたいと思います。
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