2015年02月09日
アテネ五輪予選を戦ったレバノン代表のその後
更新が遅くなりました(._.)日付が変わる結構ギリギリでしたね。。。
1月30日に昨年のイラクリーグの最優秀選手のコドール・サラーメがサウディアラビアのアル・ウルバ
に移籍しましたが、おととい背番号が25になることが発表されました。
彼は、石川や大久保もいたアテネ五輪世代の主力MFで、このブログを始めた時に書いた通り
自分が、アラブのサッカーに興味を持ったきっかけとなった試合に出ていた選手ですが、18歳で
代表候補に選ばれ、この世代の代表でも年齢的には一番下にも関わらず、主将を任される程の
選手でした。が、同じ中盤のポジションには"オニカ"やアンタルという、レバノンのレベルを超えた
選手ぞろいで、結局今に至るまで一度も代表で主力を担うことなく時が過ぎたという感じです。
ただ、2013年までサファ一筋でやってきましたが、その年の夏にイラクのナフト・メイサン
という、当時のマイナークラブに移籍した事がきっかけで、もの凄く飛躍しました。
それがきっかけとなり、遠のいていた代表から再び声がかかり、また少しずつ出番が
与えられるようになり、今回アル・ウルバの移籍も決まりました。
が、
彼以外のアテネ五輪代表の多くはかなり波乱の人生を送ることになりました。
五輪予選を戦った当時のレバノン代表選手が、その後どういう人生を送っているのか、確実に
なっているものだけですが↓
GK
ムハンマド・サンティナ このチームの正GK。195cm。現在はオランピック・ベイルートから
名前を変えたトリポリSCというチームの第2GK。
ジョルジュ・サディーク クリスチャン。リーグでは、ほぼ光が当たることなくキャリアを終える。
その後、どうなったかは調べても良く分からず。
ラビエッ・カーキー 当時の第3GK。アラッカー・アラーリ アリーというクラブでブレイク。
フル代表に呼ばれるまでに成長。至近距離からの反応に自信を持ち
フットサル代表でも正GKを担った時期もあった。まさに下剋上。
DF
カリード・ハミーヤ フル代表でもセットプレーを担当したRSBだったが、代表キャリアの
終焉はあっという間に訪れた。以降クラブでもパッとせず。
現在は3流歌手としても活躍。
曲一覧→http://www.yala.fm/ar/artists/khaled-hamiye-09f1ce8abf3298a6b38072f9a8ca7a73
アハマド=エ・シューム 兄のサミ=エと共に、将来を嘱望され、フル代表にも名を連ねる時期も
あったが、2010年に26歳の若さで引退。このメンバーの中では最も
引退年齢が早かった。 しかし、その後レバノンサッカー1のルックス
と、頭脳を生かして、Future TVのキャスターに大抜擢。
茶の間の人気者になり、今では当時のメンバー、随一番のセレブ。
→とある日の彼の仕事内容https://www.youtube.com/watch?v=1ZapOuHEAfQ
フセイン・ドクマーク(享年25歳)2007年6月13日、ニジュメでの練習を終え、チームメイトの
フセイン・ナイームと車で帰宅中に爆弾テロの犠牲に。即死とも伝えられた。
アンダー世代の主将歴も豊富で、将来を嘱望されたが、最愛の妻と幼い
二人の子供を残し25年の人生に幕を閉じる。
当時の実際の記事→http://www.khiyam.com/news/article.php?articleID=641
サミ=エ=シューム 現在もアル・アンサルで現役だが、ここ3年間での出場はわずか。
ハサン・ナスララ 当時はアラーヘド(アル・アヘド)に所属。フル代表歴が2試合あるが
その後、アキレス腱を断裂。復帰はしたが、2009年を最後に選手生活
に区切りを打つ。
ムハンマド"モア" シャルル 去年引退。
現在は会社を経営している。
MF
ラメズ・ダユーブ W杯予選韓国戦にて歴史的な勝利をおさめたメンバーの一員。
しかし、2013年に起きたレバノン賭博事件の主犯格と見なされ
現在も謹慎の身。
詳しくは→http://www.haaretz.com/life/sports/match-fixing-scandal-in-lebanon-threatens-to-open-old-wounds-1.506288#!
"オニカ" 国立競技場での日本戦でもゴール。その後フランス移籍も噂さ
れる等A代表でも主力を担い、現在までほぼ挫折なく来ている。
コドル・ナジュディー 2012年に2部のサラム・スールで引退。
夢だったフル代表入りは叶わなず、その後の消息は不明。
FW
アコブ"ジャック"ダナビディアン
前例の無い17歳での代表招集に始まり、以後、しばらくはフル代表でも常連だったが
徐々にクラブレベルでも活躍に行き詰まり、祖国アルメニアのリーグやベラルーシ
のリーグで出場機会をうかがう時期もあった。現在は3部のホームントゥメンでプレー
ロニー・シャールベル・アザル
クリスチャン。モデルとしても活躍。
愛着が強すぎて、3部のロウダ・ダクワンナに長らく在籍していたが、その後
しばらくして、サファSCに移籍。スーパーサブでの活躍が認められ、『レバノンの
スールシャール』と呼ばれているが、レギュラーを取れない現状に対する不満を
あらわにした事もあった。
ポール・ルストム
クリスチャン。イケメン。
日本戦には怪我で出れなかったが、その年の6月にノートルダム大学を卒業。
その後フル代表のエースになった時期もあった。現在は銀行マンとサッカー
選手の掛け持ち。セレブとの情報あり。
メダルをかけてもらってるのがルストム。アンサル時代に貰った唯一のメダルで
現在でも大事にしているとの事。
1月30日に昨年のイラクリーグの最優秀選手のコドール・サラーメがサウディアラビアのアル・ウルバ
に移籍しましたが、おととい背番号が25になることが発表されました。
彼は、石川や大久保もいたアテネ五輪世代の主力MFで、このブログを始めた時に書いた通り
自分が、アラブのサッカーに興味を持ったきっかけとなった試合に出ていた選手ですが、18歳で
代表候補に選ばれ、この世代の代表でも年齢的には一番下にも関わらず、主将を任される程の
選手でした。が、同じ中盤のポジションには"オニカ"やアンタルという、レバノンのレベルを超えた
選手ぞろいで、結局今に至るまで一度も代表で主力を担うことなく時が過ぎたという感じです。
ただ、2013年までサファ一筋でやってきましたが、その年の夏にイラクのナフト・メイサン
という、当時のマイナークラブに移籍した事がきっかけで、もの凄く飛躍しました。
それがきっかけとなり、遠のいていた代表から再び声がかかり、また少しずつ出番が
与えられるようになり、今回アル・ウルバの移籍も決まりました。
が、
彼以外のアテネ五輪代表の多くはかなり波乱の人生を送ることになりました。
五輪予選を戦った当時のレバノン代表選手が、その後どういう人生を送っているのか、確実に
なっているものだけですが↓
GK
ムハンマド・サンティナ このチームの正GK。195cm。現在はオランピック・ベイルートから
名前を変えたトリポリSCというチームの第2GK。
ジョルジュ・サディーク クリスチャン。リーグでは、ほぼ光が当たることなくキャリアを終える。
その後、どうなったかは調べても良く分からず。
ラビエッ・カーキー 当時の第3GK。アラッカー・アラーリ アリーというクラブでブレイク。
フル代表に呼ばれるまでに成長。至近距離からの反応に自信を持ち
フットサル代表でも正GKを担った時期もあった。まさに下剋上。
DF
カリード・ハミーヤ フル代表でもセットプレーを担当したRSBだったが、代表キャリアの
終焉はあっという間に訪れた。以降クラブでもパッとせず。
現在は3流歌手としても活躍。
曲一覧→http://www.yala.fm/ar/artists/khaled-hamiye-09f1ce8abf3298a6b38072f9a8ca7a73
アハマド=エ・シューム 兄のサミ=エと共に、将来を嘱望され、フル代表にも名を連ねる時期も
あったが、2010年に26歳の若さで引退。このメンバーの中では最も
引退年齢が早かった。 しかし、その後レバノンサッカー1のルックス
と、頭脳を生かして、Future TVのキャスターに大抜擢。
茶の間の人気者になり、今では当時のメンバー、随一番のセレブ。
→とある日の彼の仕事内容https://www.youtube.com/watch?v=1ZapOuHEAfQ
フセイン・ドクマーク(享年25歳)2007年6月13日、ニジュメでの練習を終え、チームメイトの
フセイン・ナイームと車で帰宅中に爆弾テロの犠牲に。即死とも伝えられた。
アンダー世代の主将歴も豊富で、将来を嘱望されたが、最愛の妻と幼い
二人の子供を残し25年の人生に幕を閉じる。
当時の実際の記事→http://www.khiyam.com/news/article.php?articleID=641
サミ=エ=シューム 現在もアル・アンサルで現役だが、ここ3年間での出場はわずか。
ハサン・ナスララ 当時はアラーヘド(アル・アヘド)に所属。フル代表歴が2試合あるが
その後、アキレス腱を断裂。復帰はしたが、2009年を最後に選手生活
に区切りを打つ。
ムハンマド"モア" シャルル 去年引退。
現在は会社を経営している。
MF
ラメズ・ダユーブ W杯予選韓国戦にて歴史的な勝利をおさめたメンバーの一員。
しかし、2013年に起きたレバノン賭博事件の主犯格と見なされ
現在も謹慎の身。
詳しくは→http://www.haaretz.com/life/sports/match-fixing-scandal-in-lebanon-threatens-to-open-old-wounds-1.506288#!
"オニカ" 国立競技場での日本戦でもゴール。その後フランス移籍も噂さ
れる等A代表でも主力を担い、現在までほぼ挫折なく来ている。
コドル・ナジュディー 2012年に2部のサラム・スールで引退。
夢だったフル代表入りは叶わなず、その後の消息は不明。
FW
アコブ"ジャック"ダナビディアン
前例の無い17歳での代表招集に始まり、以後、しばらくはフル代表でも常連だったが
徐々にクラブレベルでも活躍に行き詰まり、祖国アルメニアのリーグやベラルーシ
のリーグで出場機会をうかがう時期もあった。現在は3部のホームントゥメンでプレー
ロニー・シャールベル・アザル
クリスチャン。モデルとしても活躍。
愛着が強すぎて、3部のロウダ・ダクワンナに長らく在籍していたが、その後
しばらくして、サファSCに移籍。スーパーサブでの活躍が認められ、『レバノンの
スールシャール』と呼ばれているが、レギュラーを取れない現状に対する不満を
あらわにした事もあった。
ポール・ルストム
クリスチャン。イケメン。
日本戦には怪我で出れなかったが、その年の6月にノートルダム大学を卒業。
その後フル代表のエースになった時期もあった。現在は銀行マンとサッカー
選手の掛け持ち。セレブとの情報あり。
メダルをかけてもらってるのがルストム。アンサル時代に貰った唯一のメダルで
現在でも大事にしているとの事。
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/3268970
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。
この記事へのトラックバック