アフィリエイト広告を利用しています
ファン
検索

メンズエステサロン
【エルセーヌMEN】

メタボリック対策やヒゲ脱毛など、男の魅力を引き出すエステ体験実施中!
<< 2022年04月 >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最新記事
最新コメント

2022年04月06日

ジョルダーノ・ブルーノ
【1548年生まれ 4/6改訂】

こんにちはコウジです。「J・ブルーノ」の原稿を改定します。投稿作業としては関連リンク、内部リンクの改定、個別の人物の追加をしましています。星の世界を今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。
7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。半年後の2/9と2/20時点で‗
@SyvEgTqxNDfLBX‗3385⇒3395‗Aev2Fz71Tr4x7b1k‗2717⇒2736
‗BBLLpQ8kta98RLO9‗2543⇒2593‗CKazenoKouji‗3422⇒3477
なので合計‗6102+5965=【12057@2/9】⇒6131+6170=【12301@2/20】


作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1548年生まれ ~ 1600年2月17日没】



【スポンサーリンク】


ジョルダーノ・ブルーノはイタリア生まれの哲学者にして


ドミニコ会の修道士です。ルネッサンスの時代の人で


有名なガリレオ・ガリレイと生きた時代が重なります。


科学者のご紹介という視点からは少しずれますが、


自然観の変遷という観点から科学史の中で論じます。


 

コペルニクスの時代から時が過ぎ、


教会の世界観は変化しています。


当時のヨーロッパの人々の世界観について


教会が支配的立場をとるのです。その中で、


現代の我々の視点からは当時人々の不合理さは


受け入れ難いです。最終的にはブルーノは


火炙りに処されてしまいます。宇宙は有限ではなく無限で、


地球や太陽も星の1つ、というブルーノの考えは


当時の社会的な価値観と合いませんでした。


当時としては不愉快な考えだとも思われたのです。


そして火あぶり。酷い話です。


 

何よりも、ブルーノは


ドミニコ会の修道士でした。


「神の作りたもう世界は限り無い」


という信念をもっていて、


権威に立ち向かいつつも


彼なりに良心的な判断をして


考え方を構築していったのです。


 

数学的モデルで検証して欲しかった。


実験結果と照らして判断して欲しかった。


科学が得意な人々と議論して欲しかった。


私は勝手に、そう思います。


 

最後に、ブルーノの名誉回復の話です。


20世紀になってヨハネ・パウロ2世の時代に


過去の見直しが成され、処刑は不当であるとして、


異端判決を取り消しています。新しい発想を


作り出したブルーノが再評価されたのです。


今、ブルーノは思想の自由に殉じた


”殉職者”として評価されています。



【スポンサーリンク】


以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。


nowkouji226@gmail.com


2020/10/23_初回投稿
2022/03/26_改定投稿


(旧)舞台別
纏めサイトTOP
舞台別のご紹介
時代別(順)
イタリア関係
力学関係


【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】


(対応英訳)


Giordano Bruno is an Italian-born philosopher and Dominican monk. Bruno lives with the famous Galileo Galilei.


This paper discusses Bruno in the history of science from the perspective of nature.


 

Time has passed since the days of Copernicus, and the world view of the church has changed. The church takes a dominant position in the worldview of the European people at that time. Among them, the absurdity of people at that time is unacceptable from our modern point of view. Eventually Bruno will be burned at the stake. Bruno's idea that the universe is not finite but infinite, and that the earth and the sun are one of the stars, did not fit the social values ​​of the time.


It seemed like an unpleasant idea at the time. And Bruno burns at the stake. It's a terrible story.


Above all, Bruno was a Dominican monk.
He had his belief that "the world created by God is endless," and he built his mindset while confronting authority and making his own conscientious decisions.


He wanted it to be verified with a mathematical model. He wanted him to judge in the light of the experimental results. He wanted to discuss with people who are good at science. I think so without permission.


Finally, the story of Bruno's rehabilitation. In the 20th century, during the time of John Paul II, and the heretical judgment was revoked, saying that the execution was unjustified. Bruno, who created a new idea, was re-evaluated. Bruno is now regarded as a free-spirited line of duty death.


ダーヴィット・ヒルベルト【1862年1月23日 〜 1943年2月14日】

ヒルベルトの名前を英語でつづるとDavid Hilbertとなり
ドイツ語:でつづるとˈdaːvɪt ˈhɪlbɐtとなります。誰しもが認める
「現代数学の父」がヒルベルトです。遅ればせながら、
誰しもが認める大物をご紹介します。
ヒルベルトは当時プロイセン王国領だったケーニヒスベルク
(今はロシア領であるカリーニングラード)に生まれました。


ヒルベルトはケーニヒスベルク大学に進学し学びますが、この大学では別途、カントが(別の時代に)学び、学長を務めていたような歴史ある大学です。もともとドイツ騎士団だった男が設置した大学で、第二次大戦後はソビエト連邦領として統治されていました。記事を書いている2022年にはウクライナとロシアの紛争が続いていますがロシアの領土を巡る経緯は非常に根深いものがあると感じさせる地方です。思えば旧東ドイツも実質的にロシアの支配下あったとも言えます。プロイセン王国ではありますが、後の時代には別の国であったような地方でヒルベルトは生まれ学びました。後に多彩な才能がヒルベルトを育てました。特にウェーバーはドイツ数学の影響をヒルベルトに与えたと言われています。更に、同大学でヘルマン・ミンコフスキーとアドルフ・フルヴィッツと刺激を与えあう関係を持ちます。なかんずくミンコフスキーとは「最良にして、本当の友人」と感じるような関係を築きました。

またヒルベルトは偉大な数学者を多数、指導輩出しています。教育者として非常に優れています。ヒルベルトはゲッティンゲン大学で色々な人を指導していきました。その中の一人であるヨハネス・ルートヴィヒ・フォン・ノイマン(のちのジョン・フォン・ノイマン)の論文を評価していて、ノイマンは後に原子爆弾やコンピュータの開発で特筆される業績を残します。また、後述する「ヒルベルト空間」の名付け親はノイマンだと言われています。「三次元ユークリッド空間」を発展させていったのです。ヒルベルトは当時22歳であったノイマンをゲッティンゲン大学に招いて育てたのです。また日本人では東大の高木貞治がドイツ留学時代ヒルベルトの指導を受けたと言われています。思い返せば恐縮ながら、私も高木貞治の教科書を使っていたので、日本で数学を志す若者もヒルベルトの影響を受けていたのです。明文化すると少し感慨深いです。


ヒルベルトの業績で大きいと思えるのは数学概念の統合計画」と言える仕事だと思えます。それは不変式論、抽象代数学、代数的整数論、積分方程式、関数解析学、幾何学の公理系の研究、一般相対性理論などで個別にあった公理を整理して応用を考えていき、現実の現象(人間の頭の中での認識群)との相関を考えた時に、多岐に及ぶ業績を「結びつける試み」であると思えます。ヒルベルトの公理論と数学的な整合性の証明に関する一連の計画はヒルベルト・プログラムと呼ばれ、現代で理解されています。後にフォンノイマンも議論を続け、ヒルベルト空間と呼ぶ空間を3次元ミンコフスキー空間から発展させています。また、ヒルベルトの零点定理などに名前が残っています。

何よりヒルベルトはドイツの数学レベルを世界最高の水準ひきあげた数学者達の一人でした。一流の数学者でした。そんなヒルベルトは、晩年にナチスドイツによるユダヤ人迫害を目の当たりにしています。ドイツの数学研究所からユダヤ人たちが一人一人いなくなっていく様子に心を痛めていたそうです。