その名は正しくはジョサイア・ウィラード・ギブズ_Josiah Willard Gibbsです。
米国コネチカット州に生まれイェール大学で博士号をとります。
その博士号はアメリカ大学における最初の工学博士だったそうで、
米国における物理学の先駆者だったのですね。
その後、ギブスは修行時代として、パリ、ベルリン、ハイデルベルクで
一年ずつ滞在します。今の感覚では想像出来ないのですが、
彼の人生で地元を離れたのはこの三年間だけだったそうです。
ギブスの業績として大きいものは物理学への統計の導入でしょう。個々の粒子の個別の性質は別として、体系の集団が持つ性質を統計的にまとめあげていく事でその性質が熱力学的な特性につながっていくのです。その考えをまとめた論文を読んだマクスウェルは大変感動をして、その思いを伝えるために石膏模型を作ったと言われています。そして、その抽象的な模型をギブスへ送ったのですが、模型は今でもイェール大学で大切に保管されているそうです。
数理的手法を物理学に取り入れたギブスですが、その立場(スタンス)を表現している言葉をご紹介します。
A mathematician may say anything he pleases,
but a physicist must be at least partially sane.
【(私の訳)
数学者は望むがままに物事を言えますが、
物理学者は何とかして、しゃっきりと
物事を伝えなくてはいけないですよ。】
数学者と物理学者は視点を変えていかねばいけないと。
最後に、戸田先生の教科書【岩波書店から出ていた熱・統計力学の本】
でギブスの人柄を伝えるエピソードが載っていたのでご紹介します。
(小さな物語の始まりです)
ギブスは結婚をしないで父の残した家に妹夫婦と共に住んでいました。
その家は彼の研究室から近い場所、道を渡ったところにあって、
ギブスは午前の講義を終えた後に、食事の為に家に戻っていました。
お昼を食べた後にギブスは研究室に帰ってそこで過ごし、
夕方五時頃に散歩をしながら帰宅するという静かな暮らし
を送っていました。何年も。何年も。
そして、
ギブスは妹の家事を手伝い、一緒に料理もしました。
特に、不均一系の研究をしていたギブスは
サラダを混ぜる仕事がとても得意だったそうです。
うまく作業できた時には大層、ご機嫌になれたでしょう。
そんな静かで温かい生活を重ねていました。
〆
【舞台別のご紹介】
以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。
nowkouji226@gmail.com
2020/10/31_初稿投稿
2021/01/18_改定投稿
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