「益川敏英」の原稿を投稿します。原稿文字数は873文字です。また、アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載してます。読者満足度を考え関連書籍を記載します。【学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。】作業として10月からの四半期で登場場所別、時代別のリライトをしてます。そして、私の文章で遷移語が不足しているようです。遷移語は、「同様に」、「しかし」、「に加えて」、「たとえば」などの単語です。以後加筆します。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていく予定です。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。
作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】
【1940年2月7日生まれ~2021年7月23日】
益川敏英の生い立ち
益川敏英は1940年に名古屋に生まれました。
先の大戦の終戦にほど近いので苦労しています。
5歳の時に名古屋大空襲で自宅が焼夷弾を受け、
非常に恐ろしい経験をしています。その為、
(憲法)「9条科学者の会」に名を連ね、
平和運動に情熱を捧げていたそうです。
そんな益川さんは高校時代に科学雑誌で
坂田昌一が「坂田モデル」を作り上げた事を知り、
大いに興味を抱き名古屋大学理学部に進みます。
当然、坂田研に所属して研究を進め、そこで
後の盟友となる小林誠と出会います。そして
坂田研で博士論文をまとめ上げた後に、
そのコンビは共に京都大学で研究を進めるのです。
益川敏英の感心事
特に、当時の大きな感心事だったC-P対称性
に関する理論的枠組みの構築をテーマとして選び、
自宅で風呂に入っている時に坂田さんは
クォークを6種類考えた時に理論が完結する
というアイディアをえました。
因みに、この時に観測されていたクォークは
3種類だったので理論が先行していた訳です。
そんな益川氏はノーベル賞受賞の際には
スピーチを英語で行う慣例を守らずに、
日本語でスピーチを行いました。そんな
益川さんが理路整然とした議論の枠組みを作り、
物静かな小林さんと深い議論をしていった結果
として小林-増川理論は出来上がり、素粒子の理解
が進んだのです。本稿の画像としては名大の風景
を使っています。二人はノーベル賞を京大時代に
とりましたが、その師は名大の人で出会いも名大
でした。いつも気持ちは名大にあった思います。
その一人益川さんが天に召されました。
享年81歳。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
〆
以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
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適時、返信・改定をします。
nowkouji226@gmail.com
2021/07/31_初稿投稿
2021/10/13_改定投稿
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