「広重徹」の原稿を投稿します。。原稿文字数は914文字です。また、アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載してます。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として10月からの四半期で登場場所別、時代別のリライトをしてます。そして、私の文章で遷移語が不足しているようです。遷移語は、「同様に」、「しかし」、「に加えて」、「たとえば」などの単語です。以後加筆します。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。
作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】
【1928年8月28日生まれ ~ 1975年1月7日没】
広重博士は京大理学部を卒業した後に
大学院をドロップアウトしてます。。。
戦争の時代に青春時代を過ごし、
占領下で多感な時期を過ごし、
世相として色々あった時代に
研究者としてのスタートをしていた
ので大変だったろうかと思います。
広重徹は初め素粒子論を専攻していたそうです。
広重徹は特に科学史の中で社会的側面に焦点
をあてて研究をしていました。村上洋一郎と
翻訳して日本に紹介していたりしました。
それだから文章を読んだ時に、きっと感じます。
広重徹の守っていた立場があるのです。
社会の中で占める
科学史の大きな役割を感じます。
社会から過度な期待がある半面で、
ある意味で無理解な評価があるのかな、と
覚悟しながら冷静に話して
一般人に理解してもらう事が大事です。
何よりも、その理解の中で文章を読んでいる人に
整理した形の「全体像」を伝えて、
現状での現象理解と問題点を出来るだけ
考えられるように出来れば、歴史を語りながら、
科学の発展に繋がっていくのです。
私も科学史の文章を作っている一人だと考えると、
少し身の引き締まる思いがします。
話し戻って、広重徹は30代で博士課程を終えて
(於、名古屋大学)、40代で早くして亡くなります。
もう少し話しが聞きたかったなぁ、
って感じですね。その後、
斯様な議論はあまり無いかと思うのです。
また、広重徹の奥様が自分史を
残していたのでリンクを残します。
広重徹のお人柄が偲ばれると同時に
終戦後の世相が感じられて
興味深いかと思えます。ご覧下さい。
http://www.asahi-net.or.jp/~fv9h-ab/kamakura/DrMiki.html
以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。
nowkouji226@gmail.com
2020/10/10_初稿投稿
2021/10/03_改定投稿
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