チャドウィックは研究環境で恵まれていました。
マンチェスター大学の時代から
ラザフォードの指導を受け、
海外修業時代にはガイガーの下で
放射線計測の知見を積み上げました。
開発されたばかりのガイガーカウンター
を使い放射線特性での実績をあげます。
第一次大戦終了後はケンブリッジ大学の
キャベンディッシュ研究所で
再びラザフォードの下で研究を続けます。
ドクター修了後も10年以上、
ラザフォードの助手を努めていました。
キャンデビッシュ研究所での
討論や助言は多分に有益だった
であろうと思われます。
チャドウィック以外にも有能な
研究者達が集まっていました。
その中で議論を交わした筈です。
そんな中でチャドウィックは
中性子を発見していきます。その発見で
原子構造をまた一つ明らかにしたのです。
更にチャドウィックは中性子の質量
を明らかにして、それがガン治療
に有益であろうと考えます。
ただ、チャドウィックの時代は
世界大戦の時代と重なります。
マンハッタン計画ではイギリスチームの
リーダーとして計画を進めていました。
トリニティー実験も目の当たりにしたようです。
自身が心血を注いで作り上げた概念が
政治的に利用されていく有り様を
チャドウィックは、どう感じて
いたのでしょうか。不満だった筈です。
その他、パウリ・ハイゼンベルク等との
議論の発展、サイクルトロンの導入、
ノーベル賞の賞金の使い道について
追って、きちんと整理して再投稿したいです。
本稿はそろそろ〆ます。
チャドウィックはキーズ・カレッジ
の学寮長として晩年を過ごしています。
そして、リヴァプール大学には彼の
名を冠した研究所が残っています。
以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。
nowkouji226@gmail.com
2020/10/29_初回投稿
2021/01/17_改定投稿
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