「ボーア」の原稿を投稿します。原稿文字数は1510文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/23(金)朝の時点でフォロワーは合計【11902】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】
【1885年10月7日生まれ ~ 1962年11月18日没】
TOP画で使っている写真では中列右端に立っています。
北海に面したユトランド半島および、その近辺の多くの島々
からなる立憲君主制国家である、デンマーク王国に
ボーアは生まれました。
若い時代にはアマチュアサッカー選手リーグの
ABコペンハーゲンでゴールキーパーを務めていた
という一面もあります。ボーアはそんな人でもあるんです。
そしてボーアは前期量子論において先駆的な理論
を提供し続けました。ボーアは当時、不完全であった
原子像を洗練させて独自の原子模型を提唱します。
先ず1911年にイギリスへ留学し、J・J・トムソンや
ラザフォード_の元で原子核に対する基礎知識を吸収して
先進的な考察を進めていきます。そもそも光学顕微鏡で
見えないほど小さいレベルにまで議論が進んでいくのですが、
その世界に対して、考察を止めることなく幾多の議論を重ね、
量子力学を確立していきます。例えば今でも原子の大きさを
議論する時に「ボーア半径」という言葉を使います。
この言葉はこの時代に確立された概念です。
その後、ボーアはイギリスから帰国後に幾多の仲間を
コペンハーゲンに集め、コペンハーゲン学派と呼ばれた
仲間を形成します。そこでまとまった解釈は
コペンハーゲン解釈と呼ばれるようになり、
それまでの物理学でのスタイルを変えていきます。
コペンハーゲン解釈は微視的世界での
「観測に対する考え方」です。光学顕微鏡で
微細な世界を覗いても分解能の問題でどうしても
画像がぼやけてしまう「限界」にいきつきます。
アルファー線やベータ―線といった粒子線を純度の高い物質に当てて光路から内部構造を予想しようとする試みも色々な形で繰り広げられました。日本では寺田寅彦の時代にそうした解析が行われています。そうした蓄積を辻褄(つじつま)の合う理論で結びつける体系が必要とされていたのです。目で見て取れる現象は顕微鏡の分解能の範囲で終わってしまいます。実際にはそれ以下の大きさで繰り広げられる現象が存在していて、観測しようとして光を当てると(光子を作用させると)、「観測する事情」で「状態をかき乱してしまう」のです。位置と運動量の微視的分解能の限界をA・アインシュタインと論じた話などが残っています。また段々に分かってくるのですが、後にパウリが示すスピンの自由度も電子は持っていて、軌道半径だけをイメージして議論すれば話が終わる訳ではないのです。
その中でボーアは本質的な「ボーアの量子化条件」を用いて様々な現象を説明してみせます。長さスケールで10の‐23乗メートルのスケールでの議論では「位置等の観測値」が「とびとびの値」を示すのですが、その事象を現実世界での本質的な性質であると提唱したのです。原子半径、磁気的性質も現代では、その形式で考えるが方がわかりやすい訳です。師であるラザフォードの原子モデルに改良を加えてボーアモデルを作りあげます。
そして晩年、
ボーアはデンマーク最高の勲章である
エレファント勲章を受けています。
その際には東洋密教で使う陰陽のマーク
を模してボーア家の紋章をデザインした、
と言われています。また、
英国の王立協会では外国人会員の栄誉を受けていました。
〆
以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
適時、返信・改定をします。
nowkouji226@gmail.com
2020/08/31_初版投稿
2021/07/28_改定投稿
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